第1748話「歪んだ星の空」

 講堂の中に設けられたオトヒメの書斎。そこにはこの世界では珍しい紙の書籍がみっちりと詰まった書棚が壁一面に造り付けられていた。アナログな媒体が好みなのだと言う管理者は執務机の上で一冊を開いた。


『惑星イザナミの大気圏を越えて、宇宙に行きたい。そういう話だったネ』


 俺が頷くと彼女は革張りの椅子に深く身を沈めて一呼吸おく。


『そもそも開拓司令船アマテラスが惑星の静止軌道上に停泊している理由は分かってるカナ?』


 T-1がいる開拓司令船アマテラスは、シード01-スサノオの直上にある。静止軌道上、つまり惑星の自転と一致するポイントだ。これはよく考えれば少々不可解だ。わざわざ静止軌道上に船を停めずとも、もっと高度を下げてもいいはずだろう。

 逆に言えば、それができない理由がある。


「高度36,000kmも離れないといけない理由。つまり、その間に立ち入れない理由だな。〈ダマスカス組合〉の航空機開発部門や、〈いつか天空島を見つける会〉なんかのレポートでは、高度100kmから急激に航空機の挙動がおかしくなるらしいな。エンジンやら機体構造に不具合は見当たらず、ずいぶん不可解な現象だとか」


 高速航空輸送網イカルガが整備されたこともあり、航空機開発も活発だ。しかし現行の航空機のほぼ全てが高度100km未満の空域を飛んでおり、それ以上の高さに登れるものは非常に少ない。

 上があるならできる限り目指してみたいというのが、新天地を求める調査開拓員の性だろう。多くのバンドが叡智を結して高度100kmの壁を越えようと試行錯誤を繰り返してきた。しかし現在に至るまで、そのことごとくが失敗している。

 エンジンの出力に問題はない。理論上、機体の形状も矛盾がない。だが満を辞して飛ばした飛行機は、無惨にも墜落する。まるで太陽に羽を焼かれたかのように。


『いくつかのレポートは、我様も読んでるヨ。機体の写真も見たけど、なかなか興味深いヨネー♪』


 有志バンドが広く知見を集めるために公開しているレポートがある。そこには高度100kmを超えたことで異常をきたし、墜落した機体の詳細な状況写真も添付されていた。

 ごく一般的なジェット機である。おおよそ三角形の、鈍色の機体。強い日差しを遮るための黒々としたキャノピーがいかめしい。機体後方と両翼にそれぞれ大型のBBジェットエンジンを搭載し、出力はかなり余裕を持っているように見える。

 だが、墜落後の写真を見れば、その異様さが良くわかる。


「はええ……。翼が捩じ切れちゃってるね」


 俺が取り出したレポートを後ろから覗き込んだシフォンが驚きの声を漏らす。

 カメラに捉えられた凄惨な光景。ガレージに並べられた部品と、わずかに原型を止める機体。そして、その両翼は奇妙な螺旋を描いて捩れていた。


「機体の耐久が不足してるだけじゃあ、こんな壊れ方はしない。それに、開発者もどれくらいの負荷を受けるかは何度も計算して、かなり余裕を持たせたはずだ。この強引に捻った飴細工みたいな結果は不可解すぎる」

『そうだねぇ』


 オトヒメはウンウンと頷く。

 やはり彼女は何か知っているのだろう。

 そもそもこの破損した形状。どうにも通常の壊れ方ではない。


「時空間が歪んでいるんじゃないのか?」


 俺の予想を口にする。オトヒメはそれを否定することなく、意味深長に口元を緩めた。


「はええ? イザナミの空が歪んでるって、どういうこと?」


 今ひとつ納得のいっていない様子でシフォンが首を傾げる。たしかに、彼女はあまりピンとこないかもしれない。だがレティやトーカであれば、きっとすんなりと受け入れるだろう。


『この破断痕は空間捻転によるものダネ。三つの時空間干渉スキル、いわゆる物質系による効果と良く似ている』


 〈破壊〉〈切断〉〈貫通〉の三スキルは、通常では破壊不可能なオブジェクトさえ破壊するほどの力を持つ。それは空間そのものを歪ませる。レティたちがこれらのスキルを用いた時と、上空100kmを超えた航空機の翼の捩れ方は偶然では片付けられないほど酷似していた。


『レッジは満点を取ってくれたし、きっと理解できるデショ。――たしかに、惑星イザナミの上空は空間が歪んでる。しかもそれは一方通行のものダヨ。船からポッドを落とすぶんには何も問題はない。でも、地上から船に戻ることはできない』


 今この瞬間にも、多くの調査開拓員がアマテラスから投下されている。彼らは期待に胸を膨らませ、まだ見ぬ世界を心待ちにしている。だが、自分たちが二度とアマテラスへ戻れないことを知らない。

 オトヒメの話を聞いて、ふと気付いた。


「それは、第零期先行調査開拓団も同じなのか」


 俺たち、第一期調査開拓団が入植するより遥か前に、まだ生命が存在し得ないほどの環境であった惑星イザナミを大規模に開拓していた、第零期先行調査開拓団。彼らも開拓司令船アマテラスから放たれたはずだ。

 オトヒメ――彼女もまた、そんな零期団のひとりである。


『いや? そもそも我様たちは何億年後かにアマテラスが時間跳躍したのを見送ったからネ。そもそも戻るつもりはなかったヨ』

「ああ、そういえばそうだったか」


 ここも事実確認が面倒になっている点だ。

 アマテラスは零期団を地上に下ろした後、現代まで時間跳躍でやってきた。だからその間の零期団壊滅の理由が分からず、困っているのだ。


『この星の空が歪んだのは、たぶん最近のことだネ。その理由が分かれば、きっと解決の手がかりも見つかるはずだヨ』


 オトヒメから重要な言葉を受け取る。この星の空は生来的に歪んでいたわけではない。また、零期団によるテラフォーミングの結果というわけでもないらしい。何か、別の理由で空は一方通行になっている。

 まるで、誰かが俺たち調査開拓団を逃したくないかのように。


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◇高高度飛行実験検証機SF-5"キャンドルウィング"

 〈ダマスカス組合〉によって製造された、高高度飛行実験検証機。重大な被害を想定し、遠隔操作による無人飛行が可能となっている。

"前人未到の高みを目指し、無謀に蒼穹を駆け抜ける。"


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