第1741話「結晶化する砂糖」

 特殊水密テント"叢雨"が完成した。

 派手に吹っ飛んだはずのヌロゥはピンピンしているが、それでもこの監獄から抜け出すことはできない。このテントもまた、内部に水を湛えているかぎり絶対に壊れないのだから。


『はわあ……』

「どうだウェイド。これが俺の最新テントだぞ」

『何がテントですか!』


 放心状態のウェイドに自慢してみると、なぜか激しいツッコミが帰ってきた。何がテントかと言われたら、見たまま全てと答えるほかないわけだが。敵を内に封じるか、外に阻むかの違いは、原理的には同根のものだ。


『それで、ここからどうするんです? ヌロゥは不死身の化け物らしいじゃないですか』

「まあ見てろって。俺ももうほとんど身体は動かせないが、このテントが完成したんだからな」


 そういえば、もうウェイドの LPを供給されなくとも問題はないのだが、彼女はケーブルを外そうとしない。傷自体が消えたわけじゃないので、俺が右半身しか残っていない状態であるのを気にしているのだろうか。

 ともあれ、残った片腕と右側のサブアームを使い、ウィンドウに表示したテントの操作パネルを動かす。

 "叢雨"は錐台型をしている。そのほとんどはプラントの廃材を利用した構造物であり、巨大なテントの構造維持を担っている。その内部に大量の水を蓄えて、ヌロゥはそこでバシャバシャと泳いでいるという現状だ。

 俺とウェイドは第三タンクを背後に置いたテントの中心部に居座り、そこからヌロゥの泳ぐ姿を見下ろしている。

 三本のサブアームでウェイドを抱えながら、テントを動かす。


『ふわわっ!? な、何をしたんですか!?』

「ちょっとした水流操作だよ」


 "叢雨"は内部の水をある程度自由に操作できる。俺の指先一つで、猛烈な勢いの流れるプールにすることも。ヌロゥの巨体を押し流すほどの激流で、内部の水がぐるぐると回る。その様子はまるで――。


「まるで洗濯機みたいですね、師匠」


 いつの間にかタンクから出てきたヨモギがそんな感想を漏らす。洗濯機というにはなかなかダイナミックだが、構造は似たようなものだ。きちんと揉み洗いまでできるのだから、ネヴァも随分と凝った真似をしている。


「そして、洗濯機みたいな機能があるということは、だ。もちろん脱水もできる」


 ヨモギたちが見ている前で、テントが激音を鳴らす。各所に取り付けられた排水機構が動き出し、ヌロゥの力の源でもある水を排出していく。そうなるとテントの方も多少力が衰えていくものの、ヌロゥほど劇的ではない。


「ぜぇ、はぁ……。うっぷ、もう飲めません……」


 タンクからナットに寄りかかりながらペンが出てくる。まだ顔色は悪いが、かなり中毒症状は抜け出せたようだ。


「おお、ペンも見てみるといい。エナドリを飲みすぎた奴の末路はあれだぞ」

「何を言って……? なんですかこの建物は!?」


 今頃になって"叢雨"の中にいることに気付いたようで、ペンが驚愕する。


「ああっ! あのヒルがあんなところに! なんでぐるぐる回ってるんですか!? ていうかなんか暑くないですか!?」

「早速元気だな……。水を絞りながら蒸発もさせてるからな。内部は多少暑くなるのさ」


 矢継ぎ早に質問を繰り出すペンに答えつつ、猛烈に回転する壁を眺める。遠心力によって壁面に張り付いたヌロゥから水が排出されていく。それと同時に室温も高まり、更に乾燥を促す。

 そしてある閾値を超えたその時――。


『ギィイイイイイッ!?』


 ピキピキと音を立て、ヌロゥの黒々とした表皮を貫く鋭利な結晶。鋭い先端が次々と飛び出し、瞬く間にヌロゥは水晶の針で飾られたハリネズミのような姿となる。


「ひえっ」

「な、なんて凶悪な……」

「体内から結晶が飛び出して……? あなた、人の心とかないんですか?」


 ヨモギも絶句し、ナットが狼狽え、ペンが俺に疑念の目を向けてくる。

 スイートシェードは適量を飲む分にはなんら問題はない、便利な甘味料である。しかし飲みすぎて体内に浸透すると事情が変わってくる。体内の水分量が飽和量を下回った時、スイートシェードは結晶化する。その際、分子構造のあれこれが原因で、鋭い棘のようなものが表皮を貫いて飛び出してしまうのだ。

 適量を求めるため、自分でも色々試していたのだが、体内からズタズタにされるのはなかなか奇妙な体験だった。


「わ、私もあんな風に……? ひぃ」


 ヌロゥは死ぬことはないらしい。しかし大量のエナドリを摂取したことで、体内にはスイートシェードが溜まっている。それが脱水によって結晶化し、爆発的に巨大化して表皮を貫いたのだ。

 悲鳴を上げながらもがくも、止めることはできない。

 その姿に自分を重ねたのか、ペンは顔を青ざめさせる。


「ていうかこれ、ちょっとしたPK手段になりそうな気がするんですけど……?」

「エナドリを1時間以内に50リットル飲みつつ、気温50度以上の環境にいないと結晶化しないさ」


 一応、これでもエナドリの商品化に向けて危険性がないと判断できるように苦慮しているのだ。まさかこの範囲を逸脱する輩が現れるとは思わなかったが……。


「卑しくも大量のエナドリを考えなしにガパガパと飲み荒らした奴が苦しむだけさ」

「うぎぎ……。もうしませんよ!」


 ちらりとペンを一瞥して言うと、ちゃんと通じたのかそんな答えが返ってきた。何事も適量というものがあるのだから、それを弁えればいいのである。


「ちゃんとウェイドの安全評価も受けてるしな。……ウェイド?」


 更に太鼓判を押そうとして、ふと気付く。さっきから背中に背負っている管理者が静かだ。首を捻って様子を見ると、何やら思い詰めた表情をしている。


「どうしたんだ、ウェイド。何か、ヌロゥの惨状が他人事じゃなさそうな顔してるぞ」

『ひぇっ!? な、ななななんでもありませんよ! わ、私は管理者ですよ!?』


 いやまあ、なんでもないならいいんだが。

 というか管理者は関係ないような。

 しかしウェイドは焦った顔のままヨロヨロと俺の背中から降りる。冷や汗がものすごいが、どうしたんだろう。


『わ、私ちょっと喉が渇きました。何か飲み物は持ってませんか?』

「エナドリならあるが?」

『逆効果ですよ! ――じゃなくて、水がいいです!』

「そう言われても、水は今抜いてるところだしなぁ」


 テント内は室温50℃を超えている。確かに喉が渇くかもしれないな。

 とはいえ、こっちも左半身が吹っ飛んでいる状態だ。いつものようにテントの福利厚生としてドリンクを提供することもできない。申し訳ないが、我慢してもらうほかないだろう。


『ひ、ひぎっ!』

「どうしたんだ? 本当に調子が悪そうだが」

『な、なんでも――ぎいいゃあああああっ!』


 プルプルと震えるウェイド。様子を窺ったその直後、彼女は絹の裂けるような悲鳴を上げて倒れた。


「うわああっ!? ウェイド、大丈夫か!?」

『あが、がが、身体が、動かな……。全身が痛いいいい!』


 ビクビクと痙攣し、陸に上がった鯉のように跳ね回るウェイド。しかしその動きが少しずつ鈍くなり、やがて全身がガチガチに固まってしまう。

 慌ててヨモギが駆け寄り、彼女の容態を診る。真剣な表情で各所を触診し、驚いたように目を見開いた。


「ヨモギ、何があったんだ? 新手の攻撃か?」

「これは……」


 彼女は喉を鳴らす。

 まだ現実を受け入れられないようだったが、それでも結論を下す。


「全身の血管にスイートシェードが詰まって固まっています。管理者機体の防御障壁のおかげで針が外にこそ飛び出していませんが、全身ボロボロですよ」


 どうしてこんなになるまで放っておいたんですか、とヨモギはウェイドを叱責する。


[管理者ウェイド:違うんです]

[管理者ウェイド:ちょっと味見をしただけで]


 もはや口どころか舌も動かせなくなったウェイドが、テキストメッセージをこちらに送ってくる。

 どうやら、タンク二つ分の人工甘味料を食べた報いを受けているらしい。

 俺たちが呆れて見下ろすなか、ウェイドは全身の血管にトゲトゲの結晶を詰まらせて動けなくなった。


━━━━━

◇スイートシェード(結晶)

 水に溶け、それが蒸発することによって再結晶化したスイートシェード。分子構造からその形は非常に鋭利な棘をフラクタル的に周囲に伸ばすものとなる。結晶は非常に硬質で、ヌープ硬度で8000を超える。機体内部で再結晶化することは非常に稀だが、万が一再結晶化した場合は全身の体内から棘が飛び出し非常に強い痛みを伴う。


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