第1719話「迫る猛獣」

 フィールド上の建築物は、その規模によって幅はあるものの大なり小なり環境負荷の原因となる。広範囲にわたって大規模な施設を建築すれば、周辺の環境への汚染も強くなる。閾値を越えれば重大な猛獣侵攻スタンピードを発生させることもあるが、それ以前にも周辺の原生生物が本能的な脅威を感じ取り、昼夜を問わず襲いかかってくることもあった。


『グルルルアアッ!』


 霧立ち込める森の中から現れたのは、灰色の毛並みをした狼の群れだった。原生生物としては中型に分類される、タイプ-ヒューマノイドの腰ほどまでの体高だが、野生の中で磨き上げられた体躯は逞しい。六頭ほどの群れが木々の隙間を流れるように駆け抜け、フェンスに牙と爪を立てた。


『ギャウンッ!?』


 フェンスに仕込まれていた電流が獣に流れ込み、一瞬怯ませる。

 だが、彼らの猛攻は止まらなかった。


「襲撃発生! グレイファング六頭!」


 警報器の発報に気が付いた警備員が現場に急行した頃には、狼たちは倒木を咥え、それをフェンスに立てかけて橋を作ろうとしていた。簡便な道具を用いるほどの知能に警備員は舌を巻く。

 すぐさま槍や剣を手にした戦闘職が飛び出してきて、フェンスを乗り越えようとする獣を迎撃する。


「ぐああっ!? な、なんだこの狼!」

「動きが速すぎ――ぎゃああっ!?」


 だが警備員として雇われているのは、戦闘系スキルレベルが高くとも40前半程度の、駆け出しに毛が生えた程度の初心者だ。日雇いであり、攻勢ならともかく守勢の戦い方には全く慣れていない。連携をとれるほどお互いを理解しているわけでもない。

 生まれた時から群れの一員となり、常に集団で狩りを行っていたグレイファングの方が一枚上手であった。


「う、裏側が突破された!」

「ちくしょう、こいつら六匹だけじゃなかったのか!」


 六頭の突撃隊は陽動。警備員たちがそちらへ釘付けになっている隙に、手薄になった後方のフェンスが破られる。あちこちで警報が鳴り響き、プラント内で作業していた生産職は避難を始める。

 警備員たちは急いで人員を配置しようとするが、六頭の狼にも押され気味で余裕がない中では遅々として進まない。

 そんな中で一人の警備員が気が付いた。


「おい、新入りはどうした!?」


 昨日入ったばかりの新人がいるはずだ。礼儀正しい少女で、仲間内での印象も良かった。しかし、この緊急事態になぜか姿を表さない。まさか怖気付いて逃げたのでは……。


「ふひゃひゃひゃーーっ!」


 不穏な予想が警備員を襲った直後、頭上から甲高い笑声が響いた。

 夕闇に呑まれる森に、次々と銃声が鳴る。それに合わせてグレイファングたちが吹き飛んだ。


「……え?」


 突然の銃撃に呆然とする警備員。銃器を持つ警備員がいたかと脳内で検索し、一人思い当たる人物がいた。


「ふひゃあっ! エナドリが全身に染み渡りますねぇ! 犬っころなんて百匹束になっても無駄ですよぉ!」


 プラントの屋根から飛び降りてきた、一人の少女。影に溶けるようなスーツを着込み、濡れ羽色の髪を翻す。大型の狙撃銃を、二丁の拳銃に持ち替える。照準を定める時間は刹那。二重の銃声が森に響く。


『ギャンッ!?』

『グルゥゥアアアッ!』


 グレイファングを一頭仕留め、しかし一頭は狙いが外れる。頭側を掠め、血を噴き出しながらも激昂した狼が少女に迫る。


「『クイックリロード』『アサルトショット』!」


 だが、再装填と発射の方が速かった。弾丸はまっすぐに飛び、狼の頭を貫通する。射程と引き換えに威力を上げるアサルトショットが、野生の頭蓋骨を貫いた。

 マガジンを地面に落としながら、少女は振り返る。縁無しの眼鏡がきらりと光を反射して、怯えていた警備員たちを見渡した。


「皆さんは後方へ応援へ。ここは私が受け持ちます」

「お、おまえ……。いや、だめだ。コイツらは強すぎる。それにまだボスが――」


 挫けそうな心を鼓舞して立ち上がる警備員。彼はグレイファングの生態を知っていた。彼らは群れで行動する。そして、群れの中心にはボスがいる。

 それを伝えようとした矢先、メキメキと木々のへし折れる音がした。不穏な気配に息を呑み、警備員たちが振り返る。歪んだフェンスの向こう、ほの暗い闇の中に、巨影が立ち上がる。


「ぼ、ボスだ……!」


 タイプ-ゴーレム機体もはるかに超える巨大な体高。それに相応しい風格と、美しい白の毛並みをもつ巨狼。それが牙を剥き出しにして、低く唸っていた。群れの精鋭たちを屠った者に、怨嗟の目を向けていた。


「皆さんは後方へ。――ここは私が受け持ちます」

「お前、何言って……」


 しかし、少女は同じ言葉を繰り返す。驚く警備員は、彼女の表情を見てはっとした。凛々しく対峙する彼女に怯えはない。元よりあの群れの主と対峙するつもりだったのだ。そこに、自分たちは足手まといにしかなり得ない。


「……後ろを片付けたらすぐに戻る!」


 警備員は仲間を連れて走り出す。自分の不甲斐なさを痛感しながら、今はこれが最善の手であると信じて。


「……ふひゃっ! ふひゃひゃっ! はぁ、はぁ、エナドリがもう切れてしまいました。ふひゃっ! やっぱり一人で戦う方が、楽ですからね!」


 同僚たちが涙を堪えて去った後、ペンは隠し持っていたエナドリを開けて飲み干す。屋上からの狙撃の前にもミスティックレイクを飲んでいたが、その効力の持続時間は非常に短い。また、近接射撃戦闘ならば、別のエナドリの方が適していた。


「――さあ、行きますよ!」


 エナドリ、ホロウダイブを飲み干して、口元を拭いながら駆け出す。湧き上がる衝動は暴力的に弾け、彼女の身体能力を励起させる。牙を剥いて襲いかかる狼たちをすれ違いざまに撃ち倒しながら、一気にボス狼へと接近した。


「ふひゃっ! 『フルバースト』ッ!」


 立て続けの連撃。一瞬にして弾倉を空にする。無数の弾丸が白い毛並みを食い破った。だが巨狼も負けてはいない。滑らかな身のこなしで的確に急所を避け、軽傷に抑えた。そしてリロードのわずかな隙を見逃さず、鋭く喰らいつく。


『グルゥゥアッ!』

「させませんよぉ!」


 ガキンッ! と火花が散る。鋼のように硬い牙が空を噛む。

 ペンは踊るようなステップで、狼の前足の隙間へ潜り込んだ。


「蟹と違って柔らかい身体! どこを狙ってもいいから楽ですよ。ふひゃあっ!」


 重く響く銃声。弾丸は肉に食い込み、内部で弾ける。爆砕弾が炸裂し、無数の破片が狼に深い傷を負わせた。

 無敗の王が苦しげに呻く。だが、群れを率いる絶対強者として、退くわけにはいかなかった。野生の矜持が彼に力を与える。


「チッ、食いしばりましたね!」

『グルゥゥアアアッ!』


 本来ならHPは0になる。だが、常軌を逸した意地が彼に奇跡を与えた。わずかに一桁のHPが残り、首の皮一枚繋がった。更に、死の気配が彼を奮い立たせ、渾身の力が湧き上がる。

 鋭利な爪を備えた前足が振るわれる。ペンはそれを避けるが、距離を離される。リロードの隙も与えぬ猛攻が、彼女を防戦一方にさせた。


「ふぎぎぎっ! この威圧……厄介ですね!」


 野生の覇気は対峙者を怯えさせる。ペンのステータスでは、狼に対する畏怖の念は拭いされない。強制的に身体の動きが鈍くなり、ペンは思わず悪態をつく。だが状況が好転することはない。

 高らかな咆哮をあげ、狼牙が迫る。形勢は逆転し、ペンの生命は風前の灯の如く揺らめいている。


「――仕方ありません。エナドリブーストです!」


 次の瞬間、ペンの姿がかき消えた。

 否、狼の王でさえ追えぬほどの機敏さで移動したのだ。

 再びの形勢逆転。狼は空を噛み、ペンはその後頭部に銃口を突きつける。彼女の手にはエナジードリンクがあった。


「ふひゃひゃっ! サンプル品ということで横流――提供していただいたホロウダイブの原液。さすが、凄まじい効力ですね。ふひゃひゃっ!」


 そのエナジードリンクは粘度を持っていた。どろりとした液体は通常よりも更に濃く、味も強い。それを一口舐めただけでも、ペンは身体中の血液が沸騰しそうなほどの興奮状態になっていた。

 おそらく、これは常飲できない。飲めば飲むほど機体にダメージが入る劇物だ。

 それを理解しながら、ペンは頬を赤らめ、鼓動を加速させていた。


「ほひゅっ。ひひゃっ。ふひゃひゃっ! ――貴方の敗因はただ一つ、エナドリを飲んでいなかったことですよ!」


 銃声が最後に響く。

 群れの主が倒れ、少女がそこに残った。銃口から尾を引く煙を振り払い、彼女は勝利のエナドリに酔う。爽やかな炭酸が突き抜けて、彼女を祝った。


「おおーい、大丈夫か!」

「うぉおっ!? すごいな、このデカブツを一人で倒したのか!?」


 遅れて後方の狼を片付け終えた警備員たちが戻ってくる。彼らは巨狼の骸の側でにへらと笑う少女に、驚きと困惑、そして尊敬の念を抱くのだった。


━━━━━

Tips

◇無欠のジーヴァ

 〈鎧魚の瀑布〉に生息するグレイファングの一個体。同種の中でも突出して練度の高い群れを率いる実力者。成長と共に体毛が黒から徐々に白化していくグレイファングにおいて、純白の毛並みは強者の証である。故にその群れの士気は高く、どれほどの苦難にあっても萎えることはない。無欠とは、群れの完成である。


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