第1716話「顔なしの救世主」

「え、エナドリ……エナドリ……」


 ペンは亡者のようにふらつきながら彷徨っていた。謎のエナドリ特需により、〈スサノオ〉の町中からエナドリが消え失せたのだ。深刻なエナドリ欠乏症に陥った彼女は、高騰するエナドリ価格に目眩を覚えながら、それでも稼ごうと躍起になった。しかし、以前まで600ビットで買えたゲキレツが、今や6,000ビット以上にまで値上がりしている。〈水蛇の湖沼〉での稼ぎでは、もはや採算が合わなかった。

 エナドリがなければ、ペンの銃は豆鉄砲にも劣る。そもそも弾丸が敵に当たらないのだ。当たらない弾は、ストレートに財布にダメージを与える。今や〈暁紅の侵攻〉で得られた収益さえ底をつき、弾丸を買うのすら難しいほどに困窮していた。


「エナドリがあれば……エナドリさえ……エナドリ……」


 一縷の希望をかけてやって来たのは〈鎧魚の瀑布〉。彼女が進めるフィールドの中で最も危険度が高く、収獲も望める土地である。ここのスケイルフィッシュを10体も狩ればエナドリを買える。30体倒せれば、弾丸も揃えられるだろう。しかし、彼女の銃に装填されている弾丸は、たったの三発だけであった。


「それもこれも、あの男のせいです。何やら怪しい実験をしているそうじゃないですか。そのせいでエナドリの需要が上がったと聞きます。なんということを……。私がこんなに困っているのも、全てはあの男が元凶なんです……」


 ブツブツと呪詛を吐きながら歩く。とにかく原生生物を狩らなければならなかった。“シャドウツイン”の一丁だけを握りしめ、泥で汚れたスーツの裾にも構わず、霧立ち込める森の中を進む。

 脳内はぐるぐると無駄な思考が巡り、注意力は散漫になっていた。原生生物を狩りに来たのに、原生生物を探すという発想がなかった。ただエナドリが欲しい。そんな思いだけがあった。

 そんな極限状態にあったからこそ、ペンは気が付かなかった。自分が地上げの真っ最中である土地へ迷い込んでしまったことに。そこが平均危険指数40程度の〈鎧魚の瀑布〉のなかで例外的に、危険指数830の巨敵を相手取っている激戦地であることに。

 メリメリと大木を薙ぎ倒す音。それに気がついて顔を上げた時には、すでに何もかもが遅かった。


「……へ?」


 濃い影が彼女の頭上に落ちる。

 ノコギリのような牙を剥き出しにして、トカゲに似た凶悪な顔をこちらに向ける、鱗に覆われたゴリラのような異形の原生生物。名前すらも知らない、想像を絶する恐怖の権化に、ペンは回避することさえ忘れてしまった。

 怪物が握る丸太を、勢いよく振り下ろす。それはまっすぐにペンの頭を狙い――。


「風牙流、四の技――『疾風牙』ッ!」


 割り込んできた突風が、瘤だらけの棍棒を弾き飛ばす。落ち葉が舞い上がり、ペンは思わず顔を腕で庇う。その隙間から見えたのは、タイプ-ヒューマノイドの人影。槍を持ち、こちらに背を向けて化物と対峙していた。


「お嬢ちゃん、さっさと逃げてくれ。守りながら戦えるほど俺は強くない」

「は、はへ……?」


 地面にへたり込んだペンは咄嗟に動くことができない。

 文字通りの横槍を入れられた化物は凶悪な声で鳴き、再び棍棒を繰り出す。


『ほわーーーーっ!? ちょ、ちょっとこの馬鹿! 何を突然飛び出してるんですか! ひやーーーーっ!?』

「ええい、うるさい! もうちょっとしがみつく所を考えてくれ!」


 男? ――は棍棒を紙一重で避け、更なる連撃を繰り出す。洗練された鋭い刺突が、的確に化物を貫き怯ませた。

 しかしペンは、その男の表情を見ることができなかった。


「な、なんで頭に少女が……?」


 その男はなぜか、頭に銀髪の少女がしがみ付いていた。しかも顔面を覆うように張り付いているせいで、後頭部の黒髪しか判別できない。男の方も煩わしいのかブンブンと振り落とそうとしているが、少女は全く落ちる様子がない。

 化物が攻撃を繰り出す。男は横跳びでそれを避け、土や落ち葉が飛び散るなか、棍棒の上を走る。


「せやああああっ!」


 猛々しい声と共に槍を繰り出す。その鋭い切先が化物の目を穿ったかと思われた。


「チッ、流石に避けるか!」


 だが僅かに狙いが外れ、硬い頭蓋骨を叩く無機質な音がする。化物はさらに激昂して動きを激しくした。


「あの子、管理者? いやでも、普通は都市の外に出ることなんて滅多にないし……。ど、どういうロールプレイ?」


 ペンの脳内には疑問符が溢れ出していた。

 銀髪を靡かせて男の頭にしがみつく少女は管理者のひとりによく似ている。だが、管理者というのは基本的に都市の外には出ないものだ。となれば、タイプ-フェアリー機体の調査開拓員が、管理者に似せた外見で活動していると考えるのが妥当だろう。

 頭上に逆三角形のビルボードが確認できれば手っ取り早いが、激しい動きと舞い上がる落ち葉、立ち込める霧や木々の枝葉が邪魔をして判然としない。


「そこの方、大丈夫ですか!?」


 困惑のまま硬直していると、タイプ-ゴーレムの女性が焦り顔で駆け寄ってきた。グレーの作業着に身を包み、腕に腕章を、頭にヘルメットを着けている。そこに記されたマークは、ペンもよく知るものだった。


「だ、だますかす?」

「我々は〈ダマスカス組合〉の調査部です。この土地を購入するため、エリアエネミーと交戦中なのです。申し訳ありませんが、避難をお願いします」


 身分と事情を手早く説明した女性は、深々と頭を下げる。

 その背後で轟音と共に数本の巨木がくの字に折れて吹き飛んだ。


「ぐおおおっ!? いくらなんでも強すぎるだろ!」

『ほわああっ!? な、何やってんですか! さっさと避けなさい!』

「視界が9割隠されてるせいで動きにくいんだ!」


 男とその顔面にしがみつく少女が激しく口論している。彼らが劣勢を強いられていることは明白で、その理由が自分にあることもペンは即座に理解した。


「ご、ごめんなさい。すぐに逃げます。――お名前だけ聞かせてください?」


 すぐに立ち去るべきであると判断した。だがその前に、自分を助けてくれた恩人の名前だけでも知りたかった。


「はい? あ、エルクムスといいます」

「分かりました。――また会いましょう、エルクムスさん!」


 きょとんとした女性が、男の名前を答える。背後の激戦では、ドワーフらしい2人がツルハシを持って加勢しているようだった。

 ペンはぺこりと頭を下げて、その場から駆け出す。槍使いのエルクムス。その名前だけ分かっていればよかった。あとは落ち着いてから、ゆっくりお礼しにいこう。

 戦場に背を向けて走り出す。向かう先は最寄りの安全地帯〈ウェイド〉である。


「うおおおっ!? ウェイド、せめて後ろに回ってくれ! というか殴られてもノーダメだろ、どうせ!」

『管理者を盾にするとか正気ですか!? 反逆罪で牢屋にぶち込みますよ!』


 ペンが走り去った後も、二人は言葉の応酬を繰り広げながら戦闘を続ける。


「……エルクムスさん?」


 その様子を眺めながら、ナットは遅まきながら首を傾げるのだった。


━━━━━

Tips

◇大瘤堅樹

 〈鎧魚の瀑布〉下層に生える巨木。幹の表面に無数の大きな瘤を作り、特徴的な外見をしている。非常に硬い木質であり、打撃武器などの材料に適している。


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