第1708話「研究進捗」
シード02-スサノオ、〈ウェイド〉の商業区画の一角に〈白鹿庵〉のガレージがある。普段は〈ワダツミ〉の別荘が本拠地となっているものの、第一号の拠点としてはこちらの四方を建物に囲まれた小さな館の方がメインガレージにあたる。
行きつけの喫茶店である〈新天地〉二号店の裏手に存在する二階建ての建物で、普段はもっぱら倉庫として使われている。しかしつい最近、ここを改装してとある施設を作っていた。
「ヨモギ、調子はどうだ?」
「おかえりなさい、師匠! ぼちぼちですねぇ。やっぱり配合を手動操作で変えると、微調整が難しくて」
余裕のあるスペースを活かして大型の生産設備を思い切って取り付けた一階部分には、薬っぽい香りが充満していた。巨大なフラスコが火にかけられ、無数のハーブが天井から吊り下げて干されている。
まるで魔女の実験室のような様相だが、実際そこまで外れていない。ここはヨモギが調剤をするために使っている工房だった。
大鍋をかき混ぜていた、タイプ-ライカンスロープ、モデル-ハウンドの少女、ヨモギがゴーグルを外してこちらへやって来る。マスクも着けて完璧な防護態勢で、エナドリの開発を進めてくれている。
『相変わらず危険物が満載の部屋ですね……。爆発させないでくださいよ』
俺の足元からひょっこりと顔を覗かせ、室内をぐるりと見渡したウェイドが、早速小言を放つ。ヨモギはぱたぱたと尻尾を振りながら愛想よく頷いた。
「もちろんです。師匠から貰った大切な工房を破壊するなんて、絶対にしませんよ」
『なら良いんですが……』
ちなみに、この工房はすでに三回ほど壁が吹き飛んでいる。
ウェイドの半信半疑な目も、さもありなんといったところだろう。だから最初から最高耐久の装甲壁にした方がいいと言ったのに。
「それよりも師匠、新しい人工甘味料のレシピ、試してみましたよ」
『なんと! それを早く言いなさい!』
俺たちが植物園に赴いていた間に、ヨモギも作業を進めていた。俺が考案した人工甘味料の製造レシピを試してくれていたのだ。その進捗を口にした途端、ウェイドが目の色を変えてヨモギに飛びつく。
『さあ、早く出しなさい。検分します。ほらほら!』
「ちょちょちょ、落ち着いてください。すぐに持って来ますから」
しつこいウェイドを引き剥がし、工房の奥へ駆けていくヨモギ。すぐに戻ってきて、その手に小瓶を持っていた。
そこに入っていたのは、薄紫色に輝く一辺1cmほどの三角錐結晶だ。
蝕毒靫葛の毒液を抽出し、それを中和しながら煮詰めていった後、甘みを感じる成分だけを抽出し、更に〈調剤〉スキルを用いて変性と培養を進めたものである。出自は一滴触れるだけでフレームまで溶ける猛毒だが、理論上無毒化できているはず。
『……これ、本当に食べられるんですか?』
レシピの内容を聞いたウェイドが怪訝な顔をして小瓶の中の結晶を見つめる。さしもの彼女も、レシピの内容を聞いて少し不安になったらしい。
「計算が間違ってなけりゃ無毒化できてるはずだ。それに、毒キノコも死ぬほど旨味が強いって言うじゃないか」
『それで死んでちゃ意味がないんですよ』
「しかし、これ一つでネオ・ピュアホワイト並みの甘さだぞ」
『ぬぅ……』
しかも原料は蝕毒靭葛の毒液のみ。大体10リットルあれば結晶一つが作れるから、生産性の意味でもNPWを凌駕している。
「というか、わざわざウェイドが試食しなくてもいいんだが。俺が代わりに――」
『いただきますっ!』
小瓶に手を伸ばした途端、ウェイドは躊躇なく結晶を飲み込む。
瞬間、彼女は目を大きく開き、青い瞳をキラキラと輝かせた。
『あま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!』
町中に響き渡るような歓喜の声。ずっと甘味断ちを強いられていた彼女の脳に、偽物の糖分が染み渡る。強烈な甘みだけを抽出した味の結晶だ。そこには雑味は一切なく、ただ直接的な甘みだけが直線最短距離で突き抜ける。
ウェイドは興奮の極致に至り、飛び跳ねて全身で喜びを表現している。ぴょこぴょこと動き回っている様子を見るに、しっかり無毒化も成功しているようだ。
「精製は成功みたいだな。おめでとう、ヨモギ」
「師匠のレシピのおかげですよ! よくあんなに複雑なプロセスを思いつきましたね」
「そういうの考えるのは得意なんだよ」
俺はレシピを考えただけ。それも非常に大雑把なものだ。それを試行錯誤の末に結実させたのは、ヨモギの実力だ。出会った時から強く俺を慕ってくれている彼女だが、自身の能力は俺など比較にならない。特に細やかな調整がうまく、難しい調剤作業も難なくこなせる集中力があった。
そもそも実験器具の扱いも慣れている様子だが、リアルでもそういう関係の仕事でもしているのだろうか。
『はぁ、はぁ! ヨモギ、結晶をもう一粒ください!』
「無理ですよ。昨日から精製したのがあの一粒なんですから』
『そんなぁ……!?』
すっかりハイになったウェイドだが、まだ量産体制は整っていない。ヨモギに一蹴され、まるで終末の日を迎えたかのような絶望の顔で崩れ落ちていた。
「そうだヨモギ、これも使ってくれ」
忘れないうちに戦利品も渡しておく。植物園の松から採れた松の実だ。
この実にはカニ殻を咀嚼して取り込まれた“情報”の逆転情報が含まれている。あの松は、入力に対してマイナスを掛けて出力する特性がある。それを利用して、カニ殻の“逆”を作ったのだ。
「ありがとうございます! これで“ミスティックレイク”の開発も進みますよ」
小さな松の実を慎重に受け取り、ぱたぱたと尻尾を振るヨモギ。彼女のおかげでエナジードリンク開発は順調だ。試作2号として開発し、実用化に向けて改良を進めている“ミスティックレイク”も、これで完成の目処が立ったというところだろう。
「それじゃ、また作業に戻りますね」
「ああ。頑張ってくれ」
『はぁ……あ、あと一粒だけでも……』
ブルブルと震えるウェイドを抱えて退散する。工房は彼女の城だ。あとはヨモギに任せておく方が、良いものができるだろう。
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Tips
◇薄紫結晶
蝕毒靭葛の毒液を加工して精製した小さな結晶。非常に甘い。カロリーはない。
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