第1707話「松の錬金術」
『――というわけで試作2号の評判は上々よ。あとは持続時間だけ伸ばして欲しいって』
「了解。時間はこっちも苦慮してるとこなんだが……。まあ、なんとかやってみるよ」
ネヴァからの品評を聞き、通話を終える。ヨモギと共に開発したエナジードリンク試作2号“ミスティックレイク”は好評を得られた。とはいえ手放しで賞賛されたというわけでもなく、こちらも薄々感じていた欠点が予想通りに指摘された。
“ミスティックレイク”は興奮作用と鎮静作用を同時に発揮し、冷静に戦うことを念頭において開発した。そんな相反する薬効を混ぜ合わせてしまったことで、薬効の持続時間が非常に短くなっている。
これは薬効そのものとのトレードオフになっている以上、成分の調整が非常に難しい。
『ちょっとレッジ、何をサボっているんですか』
「ネヴァと話してたんだよ。利用者からのフィードバックを受けるのも大事だろ」
どうしたものかと改善案を模索していると、足元から声がした。鋭い眼光でこちらを見上げるウェイドである。
ここはシード02-スサノオ〈ウェイド〉の中央制御区域内にある〈植物型原始原生生物管理研究所〉の第27階層。俺はウェイドから許可を貰って、ここで厳重に収容されている原始原生生物を用いた実験を行っていた。
27階層ともなると危険度もそれなりで、防護服を身に付けないと立ち入りもできない。白いHAZMATスーツにすっぽりと身を包んだウェイドと共に、円形に並ぶ収容室の前を歩く。
『いいですか。ここは冗談抜きで危険なものが収容されてるんです。ちょっとした気の緩みが都市壊滅に繋がる恐れもあるんですからね』
「分かってるって。ここにある種の半分は俺が納品したんだぞ?」
『だから忠告してるんですよ!』
一階層につき五つの収容室が置かれている研究室。階層が下るほど、その危険度は跳ね上がる。多額の研究ポイントを注ぎ込まなければ立ち入り権限さえ得られない下層は、まさしく死の危険が隣り合わせになっている。
できるならばカミルも助手として連れてきたかったんだが、それはウェイドが断固として許さなかった。俺や管理者であるウェイドならば死んでも復活できるが、NPCであるカミルはそれができないからだ。
俺自身はカミルが収容に失敗することはないと思っているのだが、ここは素直に管理者の指示に従う。
「っと、ここだな」
ぽてぽてと動きにくいスーツで歩くウェイドと共にやってきたのは、第27階層第5収容室。つまり、この階層で一番危険度が高いと判断されている原始原生生物の部屋だ。
頑丈な特殊装甲ガラスの窓越しに、30気圧と濃硫酸に満ちた室内が見えた。
そこは殺風景な白い部屋だ。装飾品の類は当然ない。ただの正方形が六面に並べられた立方体の中央に、ぽつんと小さな植木鉢が置かれている。
盆栽のようにも見える。小さな松が、この過酷な環境にも拘らず、平然と青々と針葉を茂らせている。二本の枝を左右に広げ、幹の頂点からも緑が見える。
『本当にこれを使うんですか?』
ここまで来て今更ながら、ウェイドが振り返る。彼女も砂糖に飢えているとはいえ、この施設の管理責任者であることに違いはない。できることなら、このままそっと安置しておきたいというのが本音だろう。
しかし、俺はここまで来て諦めるわけにもいかない。
「アイテムの要素分解をするなら、これが一番いいだろ」
『ぬう……。仕方ありません、砂糖のためです』
割合すんなりと引き下がるウェイド。彼女が壁のコンソールにアクセスし、厳重な施錠を外していく。
「じゃ、ウェイドはそこで待っててくれ」
『言われなくても入りませんよ!』
三重の気密装甲扉を開き、収容室の内部へ。
本来の研究業務は収容室内に入ることなく、マシンアームを使って行う。そのため、俺も室内に入るのはこれが初めてだった。有毒ガスで満たされ、更に気圧が地上の30倍に設定された環境は、特別な化学防護服がなければ俺でも生きられない。凄まじい気圧差で外から押されているような圧迫感を感じながら、冷静に各種機能が正常に作動していることを確認する。
機械の身体とはいえ、酸素が十分に供給されていないと倒れるからな。
「――〝代償求める壊裂の黒松〟」
岩のように亀裂の走った厳めしい幹は、大きさ以上の力強さを感じさせる。鉢を抱えて離さない根張りの良さと、瑞々しい葉が、この環境下でも凄まじい生気を放っていた。
これも原始原生生物である。基本的に巨大なものが多いなかではかなり小型の種類ではあるが、そのぶん内部に凄まじい異能を秘めている。
俺はガラス越しにウェイドがこちらを見ているのを感じながら、インベントリに収めていたアイテムを取り出す。それはネヴァから受け取った大量のカニ素材だ。元を辿れば、件の新人が狩り集めてきてくれたものでもある。
それらをどっさりと運んできて、鉢の周囲に並べていく。
『準備はできましたか? さっさと退避してください』
「はいよ」
床が埋まるほどに大量のカニ殻を敷き詰め、ウェイドに急かされながら撤収。全ての防護設備が完全に機能していることを確認したのち、ウェイドが再びコンソールを操作する。
『減圧、換気を行います』
新鮮な空気が注入され、濃硫酸の気体が排出されていく。その濃度が下がっていくにしたがって、鉢の上の緑が揺れた。
「動き始めたな」
『はあ……。なんて危険な……』
思わずワクワクしてしまう俺とは対照的に、ウェイドは気が進まないようだ。ともあれ、ここまできて引き返すわけにも行かない。
バキバキと軋む音がして、鉢から太い根が伸びる。それは急激に生長し、周囲にあるカニの殻を抱きしめた。バキボキと硬い殻が砕ける音がする。凄まじい力で、根が取り込んでいく。その動きは貝を捕食するタコのようにも見える。
『レッジ、まだですか?』
「まだだ。もっと食べさせたい」
『うぐぐ……』
コンソールに張り付いたままのウェイドが急かす。だが、ここで日和るのが一番ダメだ。十分な量を喰わせなければ、必要な対価が得られない。
松は根を伸ばし、殻を抱き込んで砕き、取り込んでいく。地中の養分や水分を吸収するだけの軟弱な植物とは違い、硬い殻も積極的に咀嚼している。根の範囲は急激に広がり、やがて四方の壁に到達する。
『レッジ!』
「まだだ。まだ食べ終わってない」
ボキボキと殻が砕ける。爪が折れ、柔らかな身も当然の如く食べられる。
常に飢餓状態で押さえつけられていた松は、久方ぶりの食事に歓喜していた。根を伸ばし、壁すらも覆う勢いで生長する。唯一大きさの変わらない幹も力を漲らせている。
『収容室が破損します! 気密が破れたら再収容も難しいですよ!』
「あと5秒だけ!」
『3秒も持ちません!』
ウェイドと瀬戸際の攻防を繰り広げながら、目はガラス窓の方へ釘付けだ。
原始原生生物が動き出している。完熟し、均衡を手に入れた環境に根付くことで、その均衡を破壊するトリックスター。強引に波乱を巻き起こす狂言者。他の原始原生生物による支配が完了した土地を耕すもの。
それはあらゆる物を食い、分解し、反転させる。
松の葉の影に、小さな木の実ができていた。
「今だ!」
『っ!』
ギリギリまで耐え、ウェイドが再収容を行う。
勢い余って窓ガラスに亀裂が入るが、三層構造になっているため一応気密は保たれている。
即座に濃硫酸が流し込まれ、加圧が始まる。隆盛を取り戻そうとしていた松の根が急速に萎れ、鉢の中へと戻っていく。
『あ、危なかった……。もう少しで焼却処分でしたよ。私たちごと!』
「最高のタイミングだったぞ、ウェイド」
冷や汗を流すウェイドの頭をスーツ越しに撫でながら労い、俺は収容体制の整った室内へと再び入る。
「ちゃんとできてるじゃないか、松の実が」
小さく実った小ぶりな果実。そこには、この松が食らったカニ殻の情報を反転させたものが詰まっている。これが、人工甘味料の作製に必要なのだ。
「じゃ、帰ろうか」
『気楽に言いますね、まったく!』
ぷりぷりとご立腹のウェイドと共に、俺は戦利品を携えて凱旋するのだった。
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Tips
◇ 〝代償求める壊裂の黒松〟
現在は滅びた原初原生生物。第零期先行調査開拓団によって蒔かれた“生命の種”から生まれた初期の原生生物。
非常に小ぶりな松に似た外見をしているが、強靭な根を持つ。土中の水分や養分にとどまらず、さまざまな有機物・無機物を破壊、咀嚼し、吸収する。その際には対象の“情報”を分解して消化するため、理論上は万物を侵食する能力を持つ。
消化後は“情報”の反転物を果実として実らせる。
極相に至った環境を破壊し、再構築する働きを持つ。これにより新たな生物多様性が開闢され、次世代の原生生物の発生を促進する。
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