第1705話「溢れる慈愛の心」

 〈暁紅の侵攻〉は、時間経過によって徐々に強力な個体が増えていく。最初はただ大きくて硬いだけのイワガザミがほとんどだった戦場も、やがて鋭利な刀のような爪を持つグレンキョウトウショウグンガザミといった手強い相手が目立つようになってきた。


「『スリーポイントショット』ッ!」


 四日目。今日も今日とてFPOにログインしたペンは、二丁拳銃を構えてカニの群れに飛び込んでいた。至近距離から炸裂する三連射が赤い甲殻を砕き、内側の柔らかい弱点を露出させる。


「『クライミングステップ』!」


 タイプ-ヒューマノイド機体のペンにとっても敵は巨大だ。作り上げた弱点に弾丸を叩き込むためにも、できる限り肉薄しなくてはならない。そのため、彼女は戦いのなかで着実に〈登攀〉スキルのレベルを上げていた。

 崖や急斜面を登るために必要なスキルであり、巨大な原生生物をよじ登ったり、振り落とそうとする動きに耐えたりすることもできる。そんな〈登攀〉スキルの基本テクニックを発動させたペンは、軽快にカニの外殻を駆け上る。


「『チェンジリロード』『パワーショット』!」


 叩き込むのはレベルⅡ散弾。甲羅に穿たれた穴から飛び込み、広がり、蹂躙する。カニ特攻とも言えるほど破格の効力を発揮する弾丸を、力の限り解き放つ。

 『パワーショット』によって威力が底上げされ、弾速も上がる。それはカニの体内を混ぜ返すように破壊しながら、外殻の内側に当たって跳弾した。


「ふひゃひゃひゃひゃ! グレンキョウトウショウグンガザミ、討ち取ったり!」


 いかに硬い甲殻を持とうとも、その内側を破壊されてはひとたまりもない。ぐらりとよろめき、そのまま地に倒れる巨蟹の上に立ち、ペンが笑声を突き上げた。


━━━━━


「というわけで今日も連戦連勝。いやぁ、勝ちすぎて笑いが止まりませんよ」

「順調そうで良かったわ。――はい、整備完了」

「ありがとうございます、ネヴァさん」


 〈暁紅の侵攻〉四日目を終えたペンは、その足でネヴァの工房を訪れていた。そこで今日の戦利品を売り払うと共に、半日酷使した装備類のメンテナンスをするためだった。

 弾丸を消費するぶん、銃器そのものは比較的消耗の少ない部類の武器種である。しかし至近距離から弾丸を叩き込む近接銃撃スタイルを取るペンの場合は、銃身へのダメージもかなり大きい。それに加えて、殻の突破に使用する爆砕弾が砲身に大きな負担を強いる。

 そのため、ネヴァが毎回の整備を買って出てくれていた。


「グレンキョウトウショウグンガザミって、第一回のボスだったはずなんだけどねぇ」


 初心者も装備類が拡充され、各種ステータスが底上げされている。それに合わせるように〈暁紅の侵攻〉に出現するカニの強化も行われていた。全七日間の日程で行われるイベントの三日目から、すでに第一回のボス扱いであったグレンキョウトウショウグンガザミが出現し、本日四日目には一般MOBに成り下がっているというインフレ具合に、ネヴァも遠い目をしてしまう。

 FPOはシステムAIがかなり優秀なのか、インフレはさほど激しいものではない。それでも感じずにはいられない時代の流れがそこにあった。


「今日のボスはオオツチヨコヅナガザミでした。横幅が大きくて、とにかく重たくて硬くて。しかも攻撃が全部広域地震付きだったので大変でしたよ」

「もう私もあんまり知らないエネミーねぇ」


 爪がハンマーのようになった巨大なカニで、地面にそれを叩きつけることで周囲に地震を発生させる。一定以上の〈歩行〉スキルがなければ立つことも困難で、近づくにも苦労する強敵であった。


「中遠距離用の銃も作っておく?」


 しみじみと苦労話を語るペンを見て、商機を嗅ぎ取ったネヴァがすり寄る。そもそも銃器は敵の間合いの外から一方的に攻撃できるのが利点である。ペンがそれを捨てていることに、一定の勿体無さも感じていたのだ。

 ペンが弾丸とエナドリ以外に出費もなく懐が温まっていることは、よく知っている。他ならぬネヴァ自身が、彼女の主要な収入源になっているのだから。

 しかしセールスを受けたペンは難しい表情だ。


「遠距離ですか。私、あんまり射撃は上手くないんですが……」


 そもそもペンが二丁拳銃による近接射撃というニッチなスタイルに落ち着いたのは、自身の射撃精度に疑問があったからだ。当たらぬなら当たる距離まで近づこうというシンプルな理由である。


「初期ならともかく、今は〈銃術〉スキルレベルも上がってるでしょ。基礎的な射撃精度も上がってるだろうし、命中率補強テクもちらほら出てるんじゃない?」

「それはまあ、確かに」


 対象を固定して武器照準を自動的に補正する『対象固定』や、その影響範囲を拡張する『鷹の目』など、ペンが近接射撃を選んだ時には習得していなかった便利なテクニックも増えている。

 また、〈銃術〉スキルレベルが上がったことでより高性能な銃も扱えるようになっている。


「BBの割り振りも脚部と腕部集中なんでしょ。腕部BBが上がってれば、反動もかなり抑えられるはずよ」

「ぬぬぬ……」


 畳み掛ける助言は、全て的を射ていた。海千山千の商談を乗り越えてきたネヴァの言葉には説得力がある。

 だが、それでもペンは頷かない。かなり揺らいでいるようではありつつも、最後の一押しが足りない。

 予想以上に意志の固い彼女を見て、ネヴァも一度口を閉じる。


「あ、そういえば試作2号が届いてたわね」

「なんですって!」


 話題を変えるつもりで呟いた瞬間、ペンが弾かれたように立ち上がる。

 早く飲ませろと迫る彼女に若干気押されながら、ネヴァは先ほど届いたばかりの荷物をテーブルに置く。


「お、おおお……。これが新しいエナドリですか」

「こっちの方が反応がいいの、ちょっと妬けるわね」


 銃を更新した時よりも目を輝かせているペンを見て、口をへの字に曲げるネヴァ。彼女の反応に気付く余裕すらなくしたようで、ペンはガラス瓶に詰められた半透明の青い液体を見つめた。

 炭酸の細かな泡が浮かぶ、少量の液体である。開封して匂いを嗅ぐと、エナドリらしい香料を感じる。だが、問題は味だ。


「いただきます」


 期待に胸を躍らせ、生唾を飲み込んで、彼女はそれを一気に煽る。


「ごくっ。――お、おおおっ? おひょっ!」


 一口飲んだ直後、瞳孔を大きく開いて全身をピクピクと痙攣させる。まさか毒でも入っていたかと心配になるネヴァの目の前で、ペンは満面の笑みを浮かべた。


「あ、頭がスッキリします! ふひゃっ! ああ、全てが輝いて――自然が……この美しい星を護りたい……」

「本当に合法なものだけで作ってるのかしら、これ……」


 一瞬極度の興奮状態にブチ上がったかと思えば、直下降で冷静な表情になる。眼鏡の奥の瞳は慈愛に満ち溢れ、手は自然と祈りの形を取っていた。

 あまりの急変振りにネヴァの方が心配になるが、ペン本人は深く満足した様子だった。


「――ネヴァさん、銃を一丁作っていただいてもいいでしょうか。今なら、千里先の米粒でも撃ち抜けそうなんです」

「は? ああ、はい。まいどありー」


 よく分からない自信を漲らせるペンに困惑しつつ、ネヴァは頷く。何はともあれ、商談が成立しそうならそれに従うのが得策であろう。

 ネヴァはアイディアと要望をまとめる紙を机上に広げながら、空になったガラス瓶を一瞥する。レッジとヨモギが、ウェイドの協力も取り付けて作ったエナジードリンク。いったい、何が入っているのか。ネヴァは深く考えることをやめてペンを手に取った。


━━━━━

Tips

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 優しい甘さの人工甘味料を中心とし、全体として刺激は抑えられている。興奮作用と鎮静作用のバランスを探り、深い集中力を発揮できるように調整されている。


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