第1702話「管巻く怨」

 〈暁紅の侵攻〉三日目の夕方。その日もペンはリュックサックにカニ素材を詰め込み、よたよたとネヴァ工房を訪れた。


「こんにちはー」

「いらっしゃい。どうぞ上がって」


 初日からイベントに参加し、今日で三回目。それでもペンはげっそりとした顔で、工房2階のテーブルに突っ伏した。

 LPに問題があるわけではない。朝から夕方までカニの侵攻を迎え撃ち、エナドリを暴飲した反動で、凄まじい虚脱感に襲われているだけである。そんな彼女を見かねて、ネヴァは工房の二階で休ませていた。


「はぁー、今日も疲れました」

「そろそろグレンキョウトウショウグンガザミも出てくる頃合いだっけ」

「そうですね。いっぱい採ってきたので、鑑定お願いします」


 ペンを迎え入れているのは善意だが、ネヴァにメリットがないわけでもない。イベント終了後、大量のドロップアイテムを売り捌く気力も残っていないペンは、それら全てをネヴァに売却していた。商人の矜持にかけてネヴァも相場通りの値段で買い取っているものの、そもそも大量のカニ素材が安定的に入手できるのが良かった。

 ネヴァも専ら最前線のトッププレイヤー向けの武器防具を作っているが、それでもたまにカニ素材のような比較的低級のアイテムも必要になる。それを一々集めようとなると、案外面倒なことも多いのだ。


「そういえばペンちゃん、新しいエナドリの試作ができたんだけど……」

「本当ですか!?」


 ずらりと並ぶカニ素材の鑑定をしながら、何気なくネヴァが言う。机に頭を乗せてぺちゃりと潰れた頬に冷たさを感じていたペンは、目を大きく開いて立ち上がった。

 あまりにも如実な反応に声を上擦らせながら、ネヴァは頷く。


「初日に持ってきてくれたカニ味噌とかも使って、とりあえずお試しで作ってみたんだって。まだ細部は詰めきれてないけど、方向性の確認だけでもしてほしいってさ」

「飲みます! 飲みます!」


 グイグイと迫る少女に苦笑しつつ、ネヴァが懐から取り出したのは、飾り気のないガラスの容器だった。その中に、薄黄色の液体が入っている。


「くんくん……。匂いは確かにエナドリですね。カニ味噌を使っているわりに、生臭くないです」

「その辺は頑張ってくれたんでしょ」

「いただきます!」


 量としては50ml程度。一口で煽れる。躊躇なくそれを飲んだ後、真剣な顔で吟味する。


「なるほど、確かにエナドリ感がありますね。ゲキレツの系譜を感じさせます。ただ、まだちょっと炭酸が弱い気がします。あとはカフェインの量も。砂糖は……天然の砂糖ですね? 作り物感が薄いです」

「その辺は追々って言ってたわ。砂糖については次の試作から人工甘味料に代替するって」

「なるほど。……確かに試作らしい荒削り感がありますが、ちょっと元気がでましたよ」


 ハァハァと息を荒くするペン。怪しさが満点の光景だが、本人が満足そうならいいだろう、とネヴァも納得する。


「しかし、私のためにエナドリを一から作ってくれるとは、なんて優しい方なんでしょう」

「え? ああ、うん。まあそう言うことするの好きな人だしねぇ」


 ペンが空のガラス瓶を握り締め、彼方を見つめてうっとりとする。彼女の中では、エナドリ作りを引き受けてくれた職人はすでに尊敬に値する人物として認められていた。


「ぜひ直接挨拶したいのですが、難しいですか?」

「うーん……。二人とも基本は最前線にいるし、拠点にしてるのもなんだかんだ〈ワダツミ〉の方だしね」


 エナドリ作りの話を聞いてから、ペンはその職人に挨拶をしたいと考えていた。しかし、ネヴァの方が両者をつなぐ事に難色を示している。

 そもそもレッジが有名になって以降、彼を紹介してくれという声が多くて辟易していたのだ。ペンになら教えてもいいかと思いつつ、一度前例を作ればまた面倒なことになるのではないか、という危惧もあった。

 あくまでペンとの付き合いと、レッジとの付き合いは別個である。というのがネヴァの認識である。


「むぅ……。仕方ありません。私も早く強くなって、会いに行けるようになります」

「そうするのが良いと思うわ」

「そもそも、早く最前線に行きたい気持ちもありますからね。あの男を見つけ出して、ぶん殴って泣いて土下座させてやるんです!」

「前もそんなこと言ってたわねぇ」


 試作エナドリを飲んだ影響か、ふんふんと鼻息を荒くするペン。彼女と出会った当初も同じような言葉を聞いたことを思い出し、ネヴァは苦笑する。なかなか見ないプレイ動機で、これもまた興味を引いた一因だった。


「ちなみに、その男っていうのはどう言う人なの?」

「名前は……流石にちょっと明かせませんね。コンプラ違反になるので」


 そもそもシステム側がプレイヤーとして潜入している状況が違反とも言えるが、データ的には正規にパッケージを購入してVRシェルからログインしているので、外見上の問題はない。とはいえペンの出自として、一般プレイヤーの氏名は業務上知り得た情報となり、守秘義務の範囲に入ってしまう。

 そのややこしい経緯から、ペンもネヴァに殴りたい男について詳細を明かすことはできなかった。


「ただ、何人も女性を侍らせる悪い男ですよ。周りに迷惑をかけながらヘラヘラ笑って、あっちこっちに大損害を与えてるんです」

「随分凶悪な奴もいたもんね……」

「本当ですよ! まったく!」


 酒でも飲んだかのように、ペンの舌は止まらない。


「重箱の隅を突くようなことばっかりして迷惑をかけるし、こっちがお膳立てしてもお膳ごとぶっ飛ばすし、挙句の果てにはこっちにまで介入しようとしてきて」

「もしかしてストーカー? 自分で解決しないで、警察に行った方がいいんじゃない?」

運営警察も役に立たないから、こうやって直接乗り込んでるんですよ!」


 警察すら手を出せないとは、相手はいったいどんな凶悪人なのだろう。特に思い当たる節のないネヴァは首を傾げるのみである。


「このエナドリを作ってくれた方とは大違いですよ! たしか、これは二人組の職人さんなんですよね?」

「え? あー、うん。エナドリは二人で作ってるみたいよ」


 一転、うっとりとした顔で職人を称える。急に勢いの向きを変えたペンに驚きながら、ネヴァは頷く。エナドリ作りに関わっているのは、レッジとヨモギの二人のみ。別に嘘をついているわけではなかった。


「きっと清流のように心の澄み渡ったお方なのでしょう。その方の爪の垢をそいつに飲ませてやりたいです」

「せめて煎じてあげたほうが……」

「直接一気飲みさせないと治りませんよ、あの捻じ曲がった神経は!」


 疲れたところにエナドリを飲んだせいか、ペンの情緒が不安定であった。


「ペンちゃん、そういえばログアウトしてる様子を見たことがないんだけど、大丈夫なの?」

「ログアウトなんて必要ないですよ! 私はちょう優秀なハイスペーックサーバーがですねぇ!」


 思い返せばネヴァがログインしている間、一度もペンがログアウトしているところを見たことがない。ネヴァ自身はリアルもそれなりに多忙ということもあり、一日に数時間程度のプレイとはいえ、昼夜を問わぬ不規則なログインだ。それにも関わらずずっと居るということは、ペン自身が全くログアウトしていない可能性も高かった。

 彼女もVR適合者なのだろうか、とネヴァは推察する。人によっては長時間の仮想現実没入に耐える体質も存在する。それこそ、レッジなどが好例であった。とはいえ、適合者であっても丸三日もログインし続けていれば支障を来たす。現実の肉体に大変な負荷が掛かるのだ。


「いいから、今日はもうログアウトしなさい。近くにセーフポイントもあるから」


 町中でログアウトすればログイン時のペナルティも軽減されるが、更に宿屋のようなセーフポイントであれば、ログイン時に休息ボーナスも付与される。


「私はまだ戦えます! 二十四時間ハリキッテ!」

「はいはい。ユア、ちょっとこの子送ってくるから、留守番よろしくね」

『はいっ! お任せください!』


 ネヴァはジタバタと動くペンを担いで、最寄りのセーフポイント目指して歩き出した。


━━━━━

Tips

◇試作エナジードリンクNo.1

 試験的に作製されたエナジードリンク。数種類の活性化作用を持つハーブを調合し、砂糖やスパイスで味を整えた。多少の気付け効果が期待できる。

“人工甘味料が完成すれば、もっとエナドリっぽくなるはずです”


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