第1695話「未到品再注」
今日もせっせと農作業である。ちゃんと気圧が保たれているか確認し、防護服をしっかりと着込めているかを確認し、隔離扉を開いて中に入る。原始原生生物というだけで駆除しろだとか、燃やせだとか、堆肥にして砂糖を育てろだとか言う管理者もいるのだが、自分で種から育ててやると愛着も湧くもんだ。
「そら、今日はレペルロブスターの肉だぞ」
〈塩蜥蜴の干潟〉で獲ってきた新鮮なエビ肉を投げてやると、あちこちから触手が伸びて瞬く間に食べられてしまう。温室内に肉を溶かす独特の匂いが漂い始め、俺はさっさと退散の用意を始めた。食後も突っ立っていたら、俺まで餌だと思われるからな。
植物たちの栄養補給も終えて、一昔前の宇宙服じみた防護服のヘルメットを外す。新鮮な空気が流れ込み、一仕事終えた爽快感を際立たせる。
あとは常温常圧下でも育つ植物たちの様子も見なければ。普段はカミルに世話を任せっぱなしだが、やはり〈栽培〉スキルを持つ俺がいなければできないことも多い。
ハーブ類はヨモギに持って行こうか。砂糖の品種改良も進めているから、ウェイドにもまた連絡しないといけないしな。
「テント担いで各地を旅するのが目的だったはずが、いつの間にかすっかりここに定着するようになっちまったなぁ」
FPOを始めた当初のことを思い出し、ずいぶんと変わったプレイスタイルに感慨深くなる。まあ、そうやって初志貫徹しなくてもいいところが、このゲームの魅力でもあるのだ。
第9回〈特殊開拓指令;月海の水渡り〉が一応終幕した。その後もアストラたちは列柱神殿の守護者たちと戦って巡礼RTAを行っていたり、検証が済んでいなかった各地の壁画の調査を行ったりと、イベント自体はまだ楽しめる。とはいえ、俺は早々に身を引いて、〈ワダツミ〉の海岸にある別荘でこうして花の世話に興じていた。
俺がいたら、イベントが進まないのではないか。
そんな疑念が浮かんできたからだ。レティたちは俺を迷惑だとは言わないが、今回のイベントが随分と紆余曲折を経たのは事実だ。いっそ、二、三歩引いたところから眺めている方がいいんじゃないか、そんな思いが浮かんでいた。
「よしよし、お前もそろそろ花が咲きそうだな」
膨らんだ蕾を重たげにしている植物に水をやり、栄養剤を補給する。この花は特に、何か薬効があるわけではない。もちろん、原始原生生物ではない。多くのフィールドで広く見られる、なんの変哲もない花だ。
こういった花も、育ててみるとまた違った魅力を感じさせてくれる。
「現実でも育てられたらいいんだけどなぁ」
普通の家に住んでいた時は、観葉植物なんかを二、三育てていた。とはいえ、無菌室に移ってからはそういったものは望むべくもない。一度、花山に打診したこともあるのだが、素気無く一蹴されてしまった。
『今日の夕刊届いてるわよ』
「おお、ありがとう」
ジョウロで水を撒いていると、別荘の方からカミルが呼ぶ。毎日の朝夕にわざわざ紙の新聞を発刊している物好きなバンドがあって、〈白鹿庵〉もそれを取っているのだ。
現実世界では紙の新聞も無くなって久しいが、なぜか懐かしさを感じるということで、そこそこ人気はあるらしい。
花の世話を終えて別荘に入ると、カミルがコーヒーを飲んでいた。当然俺のぶんが用意されているということもなく、ただポットには入っているので、自分でカップに注ぐ。
カミルは協調性こそないものの、自分が飲むついでと言いながら多めに淹れてくれるあたり、やはり優秀なメイドさんだ。
「〈スサノオ〉で緊急警報、禁輸品の持ち込み発覚か。――面倒なことをする奴もいたもんだな」
紙面に掲載されているのは、各都市のその日のニュース。一面にはウェイドとT-1が結託して砂糖と稲荷寿司の禁輸措置撤回を求める声明を出していたが、そちらは大抵の読者がスルーしていることだろう。いつものことだ。
ぱらぱらと捲っていると、〈スサノオ〉の事件が小さく書かれている。禁輸品は管理者によって定められ、いくつかリストに掲載されている。とはいえ、絶対に持ち込めないというわけではない。ちょっとゴニョゴニョとすれば……。
「うん? ネヴァからか」
新聞を読んでいると、ネヴァからTELがかかってくる。珍しいこともあるもんだと応答すると、聞き馴染んだ声が聞こえてきた。
『や、今は大丈夫かな?』
「新聞読んでコーヒー飲んでたところだ」
『暇ってことね。ちょっと申し訳ないんだけど、この前発送してもらった種瓶、また送ってくれない?』
「あれ? 検閲に引っかかったのか?」
先日、ネヴァから注文を受けて、とある原始原生生物の種瓶を送っていた。特殊なルートを使うため、到着まで数日かかるものではあるのだが、それが届かなかったらしい。
一応、検閲に引っかからないルートを選んだつもりだったのだが……。
『検閲は抜けたわ。ただ、ちょっとこっちの不手際で落としちゃって』
「もしかして、〈スサノオ〉で警報鳴らしたのって……」
『私よ』
再び、珍しいこともあるもんだ。
まあ種瓶が割れて芽吹いたら、それこそ町の区画の二、三個くらいは吹っ飛んでいた可能性もあるし、通報くらいで終わったのは良かったのかもしれない。しかしネヴァが見つかるような失敗をするとは。
「まあまた送るよ。別のルートを使うから、今度は一週間ほどかかると思うが」
『大丈夫。ちゃんとお金は払うからね』
「了解」
この辺りは俺もネヴァもきっちりしている。親しい関係とはいえ、売買はまた別だ。輸送ルートも、専門のバンドが開拓しているものだし、一度使えば二度と使えなくなることも多いからな。
そのまま通話を切るつもりだったが、ネヴァが間を置かずに再び口を開く。
『そういえば、この前貰ったエナジードリンクなんだけど、まだあったりする?』
「エナドリ……。ゲキレツの限定味のことか?」
『そうそう。あの目がチカチカするパッケージの缶』
ゲキレツは現実世界でも流通している人気のエナジードリンクだ。しかしエレクトリックファイア味はFPO限定かつ数量と期間も限定されたもので、それなりに人気だったものの、すぐ終売してしまった。『飲むと一週間完徹できる』『全身の細胞が目をかっ開いてるのが分かった』『神はそこにおわした』などと、なかなか好評だった。
俺も試しに数本買ってみたのだが、舌の痺れるような味が少し合わず、話題も兼ねて一本をネヴァに渡していたのだ。
「なんだ、気に入ってくれたのか?」
渡した時の第一印象はあまり良くなかった気がするのだが、飲んでみたら美味しかったというオチだろうか。とも思ったのだが、どうやらそう言うわけではないらしい。
『今日FPOを始めたばかりの子と出会って、なりゆきで渡したのよ。その子が気に入ったみたいで、あれがないともうダメなんですって』
「そうか……。とはいえ、エレクトリックファイア味はもう売ってないぞ」
『残念ね。うーん、どうしようか』
万人受けはせずとも、一部の人には深くぶっ刺さるということだろう。
ネヴァが初心者とそこまで仲良くなるというのも、またまた珍しい話ではあるが。
「ゲキレツ自体は〈スサノオ〉の自販機でも売ってると思うけどな。レッドパッションとか、ブルーエキサイティングとか」
『それは何味なのよ、いったい』
「識者によるとレッドパッションとブルーエキサイティングとしか言えない味らしいが、俺が飲んだ時はリンゴとブドウだった」
『面倒くさいわね、エナドリ界隈』
呆れた様子の声に、俺も苦笑する。そういうのがいいんだよ、そういうのが。
「しかし、ネヴァがそんな初心者に世話を焼くなんてな」
『色々迷惑かけちゃったし、それに私の直感が面白そうって囁いてるのよ』
「ネヴァの直感ねぇ」
まあ、俺もFPOを始めた当初に彼女と出会って、それ以来の付き合いではあるが。彼女の直感は割と当たることも多い。それが善かれ悪しかれ。
『そのうち、レッジにも名前が届くかもしれないわよ』
「そこまで有望なら、楽しみにしてるよ」
『はわーーーっ!?』
ネヴァの後ろの方で、可愛い悲鳴と可愛くない皿の割れる音がする。
『あらら……。大丈夫だから、ユア、触らなくていいから』
「じゃ、俺はこの辺で。種瓶はまた送ったら連絡する」
『ありがとね。それじゃ』
皿を片付けに向かうネヴァとの通話を切り、少し冷めてしまったコーヒーを飲む。
今こうしている間にも新たな入植者がやってきていると思うと、なかなか楽しくなってきた。
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