第1693話「私の倒したい敵」

 地上前衛拠点シード01-スサノオの地下には、都市整備用のトンネル網が構築されている。巨大都市の舞台裏として昼夜を問わずメンテナンス用の作業NPCが行き来する複雑怪奇な迷宮で、一般的に調査開拓員の立ち入りは想定されていない。

 ネヴァが自身のメイドロイドと、初心者プレイヤーを引き連れて逃げ込んだのは、そんなトンネル網の片隅にあるセーフハウスだった。

 幾度となく増改築が繰り返され、区画整理のたびに削られながらも僅かに残った空白は、警備NPCたちの猛追から逃れる絶好の隠れ家である。


「ごめんね、ちょっと狭くて」


 太いパイプが左右に走り、空間を圧迫している。パイプの中を流れる液体の低い音が響き、赤い非常灯だけが薄く光を放っている。

 都市の管理者からも忘れられた狭間に、慣れた様子で飛び込んだネヴァは、ランタンを取り出して灯りを点けつつ少女の方へ振り向いた。


「しばらく潜伏してれば警戒も解けると思うから。それまではゆっくりしてって頂戴」

「はぁ……。なんだか、手慣れていますね」

「あはは。まあ、たまにあることだから」


 パイプに腰掛ける少女は、急展開に理解が追いついていない。まだイザナミに降り立って30分も経っていない間の出来事である。そもそも、治安維持を目的とする警備NPCに追い立てられることがたまにあるという暮らしが理解し難い。

 やはり彼女も、あの男と交友を持っているだけのことはある。少女は密かに警戒心を高めた。


『はわぁ……。も、申し訳ありませんでした、ご主人様』


 その隣では、意気消沈した様子の小柄なメイドロイドがいる。淡いブルーグレイのショートボブで、丸顔の可愛いタイプ-フェアリー機体の少女だ。クラシカルなロングスカートのメイド服に身を包み、どんよりとした空気で背中を丸めている。

 少女たちがこのセーフハウスに駆け込むことになったのは、このメイドロイドが路傍の石に躓き、抱えていた籠から種の瓶詰めをばら撒いたことが原因だ。


「いいのよ。そんなに高価なものでもなかったし」


 メイドロイドを慰めるネヴァ。少女の視線に気付き、彼女は思い出したように口を開いた。


「自己紹介、してなかったわね。知ってるみたいだけど、私はネヴァ。しがない鍛治師よ」


 最近は機械いじりもしてるけど、とはにかむネヴァ。彼女をしがない鍛治師と称する調査開拓員など皆無であることを指摘するものは居なかった。


「こっちはユア。私のメイドロイドよ」

『ゆ、ユアと申しますっ! この度はご迷惑をおかけしました』


 主人に促されて立ち上がったメイドロイドの少女も、ぺこりとお辞儀をする。少女も誘われるように立ち上がり、会釈を返す。


「私はシ――」


 口が滑りそうになり、慌てて噤む。事前に設定した名前を思い出し、そちらを口にする。


「私はペンライトと申します」

「ペンライト。……ペンちゃんでいい?」

「……お好きにどうぞ」


 事前に数千の候補を出し、その中から選びに選んだ名前だ。

 作家を象徴するような道具と、数百万のユーザーの行き先を照らす光を含意し、さらに書く者としての意味も載せた、完全無欠の名前である。いきなり省略されたことに若干の戸惑いを覚えつつも、ペンは頷いた。

 その時、ガシャガシャと騒がしい足音が近づいてきた。


「……!」


 ネヴァがランタンの光を決して真剣な表情になり、ユアは涙目で彼女の足にしがみつく。ペンも、多脚機特有の荒々しい音にそっと息をひそめる。

 足音は次第に大きくなり、パイプを隔てて間近にまで迫る。三人は身を寄せ合い、気配を隠す。闇の中に周囲を探る赤い光が飛び回る。


『ひぅ……』


 ユアが震えて、小さな声を漏らす。

 一瞬緊張が走った。


「……」


 息の詰まるような時間。一瞬にも、数時間にも思える緊迫。

 やがて、警備NPCたちは大きな足音で去っていく。その音が完全に聞こえなくなってから、ネヴァが大きく息を吐き出した。


「はぁ。今回はちょっとしつこいわね」

『ご、ごめんなさいぃぃ』

「ユアは悪くないわよ。でも、今のうちに工房に戻った方がいいかもしれないわね」


 涙目のユアを慰めつつ、ネヴァが立ち上がる。こんな時のために地下トンネルから直接拠点に戻れる手筈も整えているのだ、と自慢げに胸を張っていた。成り行きでペンもその逃避行に続くこととなった。


「ごめんなさいね、助けたつもりが巻き込んじゃって」

「いえ。こういった体験もおもしろいので、問題ありません」


 申し訳なさそうにするネヴァに、ペンは本心から答える。普段は自分でトラブルを生み出し、それをプレイヤーがどう乗り越えるのか考えるのが、彼女の仕事であった。予測不可能な状況に身を置くことそのものが、新鮮な体験である。

 入り組んだトンネル網を、ネヴァは地図を片手に進んでいく。知り合いにこういったトンネルに詳しい者がいるのだ、と自慢げだった。

 やがて、彼女はトンネルの一角に巧妙に隠された扉を見つけて開く。梯子を登って蓋を開ければ、大型の鍛治設備が整った立派な工房に出た。


「ようこそ、我がネヴァ工房へ」

「お邪魔します」


 ここがあらゆるトラブルの元凶の生誕地である。感慨深く周囲を眺めるペンの視線を僅かに誤解したネヴァは、得意げに腕を広げた。


「ここなら例えミサイルを叩き込まれてもへっちゃらよ。安心して頂戴」

「何を想定しているのですか」

「ふふふ」


 茶目っ気のある笑顔が、逆に不穏だった。


『ご主人様、ペンさん、コーヒーを用意しましょうか』

「申し訳ありませんが、コーヒーは嫌いです。お構いなく」

『はわぁ……』


 張り切ってメイドロイドの仕事をこなそうとするユアが出鼻をくじかれ撃沈する。ペンはネヴァに案内され、工房の二階にある応接室へと通された。


「ほとぼりが冷めるまではここでゆっくりしていって。なんなら、お詫びに何か作ってあげようか?」

「いえ、そこまでお世話になるわけにはいきません」


 ネヴァ謹製の武具は、一線で活躍するトッププレイヤーが喉から手が出るほど渇望する逸品だ。しかし、ペンはそれを丁重に断る。


「そもそも私はまだ駆け出しの身。ネヴァさんの武器や防具は、身の丈に合いません」

「無欲ねぇ。……それならフレンド登録だけしとく? こうして出会ったのも、何かの縁でしょ」

「それくらいであれば」


 ネヴァとフレンド登録をすることも、通常は叶わない。しかし他ならぬネヴァ本人がペンのことを気に入っていた。それに、FPOを始めて早々にナンパに遭うという災難に、若干の憐憫も混ざっていた。もしペンがこの先なにか困ることがあれば、力になりたいと。


「そういえば、ペンちゃんは戦闘職志望?」


 まだあらゆる選択肢が彼女の前に用意されている。剣や槍を携えてフィールドへ出てもいいし、アイテムの生産に技巧を凝らしてもいい。警備NPCからの逃避行でも冷静を保っていたペンを思い出し、ネヴァは戦闘職が適しているのではと予想した。


「どちらとも。……私はある敵をぶっ倒して土下座させて泣かせたいだけなので」

「か、変わった目標ね……」


 初めて聞く進路希望に、ネヴァも苦笑を隠せない。ペンの言う“ある敵”については、尋ねることもできなかった。とはいえ、ぶっ倒したいということは、やはり戦闘職志望で良いのではないか。


「ペンちゃんが今後何をするのかは自由だけど、もし戦いに出るならいつでも相談してちょうだいね。初心者クラスの武器防具も、素材とお金持ってきてくれたら作ってあげるから」

「ありがとうございます」


 この少女はどこか面白い。そんな予感が、ネヴァにはあった。彼女がFPOを始めた当初、その時に出会った男女の二人にも抱いた直感のようなものだ。


『あ、あのぉ、冷蔵庫にエナジードリンクはありましたけど……』

「…………いただきます」


 おずおずと銀のトレイにエナドリの缶を載せてユアがやって来る。それを断ることはできず、ペンはストリートペイントのような奇抜なデザインのエナジードリンクを受け取るのだった。


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