第34章
第1692話「偶然の出会い」
叢雲を貫いて、新たなポッドが惑星イザナミの大気圏内へ飛び込んだ。断熱圧縮によって赤熱したそれは、時折バーニアの光を弾かせて軌道を修正しながら、安定した動きで予定のルートを辿っていく。
惑星イザナミ。第一期調査開拓団の入植により、急激な発展を遂げる、原始惑星。現在に至るまで多くの調査開拓団を受け入れてきた玄関口が、地上前衛拠点シード01-スサノオである。
黒鉄の摩天楼が天を貫く絢爛の威容が宵闇のなかに浮かび上がる。夜が更けても眠ることのない町には怪しげなネオンの輝きが散らばり、通りを歩く機械人形たちの喧騒が、混沌を彩っている。
『まもなく、当機はシード01スサノオポッド着陸ポイントに到着します。搭乗員はランプが消灯するまでシートベルトを着用し、振動や衝撃に備えてください』
ポッドはブースターを逆噴射させ、勢いを相殺していく。広い着陸ポイントに誘導灯が点灯し、新たな仲間を歓迎した。
何千、何万という成功を重ねてきたポッドの着陸は、今回もつつがなく達成された。
『ドアロックが解除されます。接触に注意してください』
気密ロックが開き、ポッド内部に新鮮な惑星イザナミの空気が入り込む。
シートベルトで全身を固定していた搭乗員は、ようやく到着したことに安堵し、ため息を漏らした。ようやく身軽になれる。窮屈なポッドから抜け出し、自由に歩くことができる。
「人の体というものは、まったく不便ですね」
改めて手に入れた身体を見下ろし、指を動かしながら感慨深く呟く。身体が存在し、神経伝達による筋肉の刺激によって駆動するという体験自体、彼女にとっては新鮮なものだ。理屈では分かっていても、実践するとまた違う感覚がある。例えば、重力が両肩に伸し掛かる圧迫感や、常にバランスを取り続けなければならない煩雑さ。本来は実体のない情報の集合体である彼女が、初めて得た感覚だ。
「しかしこれも、あの憎きシナリオブレイカーをぶん殴るため。心配には及びません、私は完全無欠のシナリオライター。目的への筋書きはすでに完成しているのですよ」
『……間も無く次のポッドが到着します。搭乗者は速やかに下船してください』
改めて決意を固めた少女がぴょんと飛び出す。惑星イザナミを開拓するつもりも、楽しむつもりも毛頭ない。頭にあるのは、ただ一人の男をぶん殴り、土下座させて泣かせることだけ。そのためだけに、彼女はやって来た。
設定した身体は、その男に警戒心を抱かせないために努力した。普段から周囲に女性を侍らせているロクデナシであるからして、ちょっと可愛い容姿にして近付けば、容易く懐に潜り込めるだろう。
「ふんっ。あとはスキンを貼れば完璧ですね。スキンショップへ向かいましょう」
街中の建物の窓に映り込んだ自分の姿を見て、彼女は勝利を確信する。傾国の美女とは、まさにこのこと。この完璧なる美貌を用いて、あの男に破滅をもたらすのだ。
「くっくっく……。楽しみですね、あの男が咽び泣いて赦しを乞う姿、その頭を踏みつけてやるのですよ」
ショーウィンドウに写っているのは、まだスキンを貼り付けていないスケルトンのヒューマノイド機体なのだが、少女の想像力は逞しかった。彼女は意気揚々と発着場付近のスキンショップへと向かい、初回無料特典を利用して顔を得る。
『アラー、トテモ可愛イラシイデスネ! オ似合イデスヨ!』
「そうでしょうとも! なぜならこの私が描いたものですからね!」
NPCの定型文にも胸を張って鼻息を荒くする。初めての経験が立て続けに起こり、彼女も浮かれきっていた。
透き通る青い瞳に、腰まで届く真っ直ぐな銀髪。ほっそりとした頬はほのかな赤みを帯びた白い肌で、鼻梁の通った凛々しい表情だ。楚々とした雰囲気で周囲に涼やかな印象を与え、深窓の令嬢という言葉がよく似合う。
今は白い簡素な初期装備の上下だが、ワンピースなども映えることだろう。
「へいへーい、お嬢ちゃん♪ もしかして一人?」
「はい?」
軽やかなステップでスキンショップを出た少女に、待ち構えていたように声がかけられる。その方に顔を向ければ、中堅どころらしい金属鎧に身を包んだ青年が立っていた。
「せっかくのオンゲだし、ソロはもったいなくね? 俺が案内してやるよ。ほら、金も持ってるし、雑魚い初期装備捨てて一気に〈ウェイド〉まで行こうぜ」
ここのスキンショップから出てくるプレイヤーのほとんどが、惑星に降り立ったばかりの新規入植者である。彼はそれを承知の上で狙いを澄ましていたのだ。
「ごめんなさい。私、他の人と会う予定がありますので」
「えーーー? じゃ、ちょっとだけでいいからさ。フレンド登録だけしようぜ? なんか困ったことあったら相談乗るし? てか装備買わん? もしかして生産者志望? そんなら俺、第三域の素材までなら用意できるけど」
やんわりと断る方法も、完全無欠のシナリオライターは承知している。しかし、微笑を浮かべて迂遠に距離を置こうとしても、青年はぐいぐいと詰め寄ってくる。
迷惑行為としてGMに通報してもいいか、と彼女が眉をぴくりと揺らした、その時だった。
「ちょいちょい、そこのおにーさん。あんまりしつこいとハラスメントで通報しちゃうぞ」
「ああ? んだよ、別にセクハラしてるわけじゃ――」
青年の背後に影が落ちる。不穏な警告に苛立ちの表情を浮かべながら振り返った彼は、目を見開く。彼の視界に、大きく迫り出した褐色の双丘が飛び込んできたのだ。
「おっへ。お、お姉さんがもしかしてこの子の知り合い? そんなら、俺と一緒にパーティでも」
着崩したツナギと、胸元を締め付けるタンクトップ。褐色の肌を大胆に露出させた、タイプ-ゴーレムの女性だった。身長はかなり高いが、見下ろしてくる顔に青年は目を奪われる。
全身の簡素な装備と腰のツールベルトから生産者らしいと見当を付けた彼は、鼻の下を伸ばして捲し立てる。目の前の女性の瞳が、急激に熱を落としていくのにも気付かずに。
「しつこいから離れろって言ってるのよ。本当にGM呼ぶわよ」
「はっ!? ちょまっ」
先ほどの穏やかな声色は一変し、冷ややかな声。褐色のゴーレム女性が空中で手を動かしたのを見た青年は、慌てて離れる。GMに通報され、ハラスメントと認められるとアカウントBANも含んだ処罰が下される。数千円のパッケージ代をドブに捨てるのは御免被りたかった。
「さっさと散りなさい」
「ちっ。うるせーババア!」
三下のような捨て台詞を投げつけ、青年はネオン街の人混みに消えていく。その背中を目で追いかけていた女性は、ふんと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「誰がババアよ。ピチピチの二十代だっての」
「……ありがとうございました」
まだ怒りの収まらない様子の彼女に、蚊帳の外に置かれていた少女はおずおずと頭を下げる。
「いいのよ。どうせ私の事も知らないモグリなんだから」
からりと爽やかな笑顔を浮かべる女性。切り替えの早い姿に、少女は内心で感心する。それと同時に、少しのやりにくさを感じ、また望外の幸運に浮き足立ってもいた。
「まさか、最初に会えるのがあなただったとは」
「あら、貴女の方がよく知ってくれてるのかしら?」
「もちろん。FPOプレイヤーで知らない者はいないでしょう。数々の奇抜なアイテムを作り出し、その高い技術力で調査開拓団を支えながら、時には壊滅的な被害ももたらす危険人物。――ネヴァさんのことを知らぬ者はいませんよ」
調査開拓員ネヴァ。レッジの悪友。彼女がシード01-スサノオに工房を構えていることは、当然知っていた。しかしまさか、降り立った矢先に遭遇するとは。これは幸運であった。
彼女と縁を持つことができれば、そこからあの馬鹿男に繋がることもできる。事前のプロットをかなり省略することができる。
「ネヴァさん、もしお時間があるなら少しお話しでもしませんか?」
「え? でもさっきは人と会うって――」
「大丈夫ですので」
「ええ?」
困惑するネヴァの手を引く少女。ここを逃してはならぬと気合いが入っていた。
その熱意が伝わったのか、ネヴァも強引に振り解こうとはしない。その時だった。
『あっ! やっと見つけましたよ、ご主人様ーーーー! って、はわーーっ!?』
「あっ、ちょっ、ユア、その荷物は――」
人混みの中からネヴァを見つけた小柄なメイドロイドの少女が、喜び勇んで駆け寄ってくる。その途中で路傍の石に足を引っ掛け、両腕で抱えていた荷物ごと転倒する。
覆いをかけていた籠が放り出され、中に入っていたものが散らばる。それは、ガラス瓶に封じられた小さな種のようだった。ネヴァは慌ててそれを拾い集めようとするが、その光景を警邏中の警備NPCが発見する。
『禁輸品の持ち込みを確認。対処します』
「やばっ!」
けたたましいアラームが鳴り響き、警備NPCは仲間を呼びながらネヴァへ迫る。顔色を変えた彼女は慌てて半泣きのメイドロイドと、近くにいた少女も抱えて逃げ出す。
「きゃああっ!?」
「ごめんね、ちょっと巻き込んじゃうかも!」
『はわーーーーーっ!?』
赤いランプが続々と増殖するのに恐怖しながら、少女はネヴァの腕にしがみつく他なかった。
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Tips
◇持ち込み禁止アイテム
高い危険性や、有害性により、管理者によって指定されるアイテム。都市内部への持ち込みと、外部への持ち出し、および所持が禁止されている。詳細な禁止アイテムリストは常に公開、更新されているため、調査開拓員各位はこれを確認する義務が課せられている。
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