第1690話「味方と敵」

 霊山大社の最奥で待ち構えていたのは、巨大なトンボだった。カチカチと顎を鳴らし、ぎょろりと複眼が俺たちを見下ろしている。二対の半透明の翅は萎れ、とてもこの巨体を支えて翔べるようには思えない。

 その身に纏う空気から、彼が相当の老体であることは直感的に分かった。


「レゥコ=リノガードか」

『如何にも。如何にも』


 緩慢な動きで頭を揺らす霊山大社の守護者は、深く根を伸ばした大樹のような胸の奥に響く声をしていた。


『七つの守護者より、許状を得た者よ。金剛、御影、翠玉の、守護者を倒した者よ。――我に、何を求める?』


 細かく呼吸を挟みながら、緩慢な声で問いかけられる。

 俺たちがここへやってきたのは、レゥコが封印杭で眠りにつき、チィロックが海で待ち構えている間に何があったのかを知るためだ。〈ホウライ〉から投げ落とされるはずだった生命の種が、なぜ落とされなかったのかを知るためだ。

 襖のそばでリノガードがぱたぱたと羽ばたいている。シフォンは落ち着きをなくして尻尾を揺らしている。


「……そうだな」


 俺の足元に白月がいた。彼は水晶の枝角を立てて、まっすぐにリノガードを見つめていた。

 彼の頭を掻くように撫でながら、口を開く。


「ホウライの敵は誰で、俺たちはどうすればいい?」


 端的に言えば、聞きたいことはこの二点だ。

 ここで何があったのか。これから何をしなければならないのか。指標を定める必要がある。

 リノガードは一度、頷くように頭を揺らす。思案しているのか、返答はなかなか帰ってこない。


『なかなか、難しい』


 彼は唸るような声で言った。


『敵とは、なんだろうか。利害の不一致であるか、嫌悪する、ものであるか』

「哲学的な話か?」

『いいや、いいや。ひとつ、我とお主は、敵じゃろうか』


 禅問答のような話が始まった。

 敵かどうか。イルフレッツを盗み見る。彼に攻撃すれば、傷をつけることができる。調査開拓団規則による同士討ち防止の範疇に入っていないという意味であれば、彼は敵であると認められるだろう。一方で会話は成立し、協力的な関係を築くこともできる。今も俺は安心して彼に背中を向けている。お互いに霊山大社へ向かいたいという目的が一致していたからだ。

 では目の前に坐すレゥコ=リノガードはどうか。今の所、彼から攻撃してくる様子はないが、おそらく俺から戦いに切り込むことは可能だろう。守護者を倒してきたように、彼と刃を交えることはできるはずだ。


『味方とは、なんだ。我々は、味方になれるのか』

「友好を結ぶことはできるんじゃないか?」

『それは、未来永劫不変の締結なのか。それを、保証する者はいるのか』

「俺たちは調査開拓団の一員だ。その紐帯は崩すことはできないだろう」

『黒神獣もまた、かつての味方ではなかったか』


 リノガードの複眼が、白月を見た。

 敵か味方か。その判別は難しい。たとえばコボルドやグレムリンたちとの邂逅は戦闘で始まった。だが、今では互いに友誼を結び、良好な関係を築いているといっていいだろう。リノガードの言葉通り、黒神獣もまた汚染術式に侵されているだけで元々は第零期先行調査開拓団の一員だった。そして、チィロックがそうであったように、一度敵対しても戻ることはある。


『味方とは、敵がいなければ、成立しないものではないか。味方同士の理想郷は、幻想の霞に過ぎないのではないか』


 リノガードの言葉には、妙な実感がこもっていた。

 俺の脳裏にいくつかの記憶が想起される。

 元々、この〈ホウライ〉が浮かぶ〈黄濁の冥海〉はどのようにしてできたのか。ポセイドン率いる〈青き水を抱く者〉とレゥコ率いる第三の文明勢力の衝突の果てに生まれたのではなかったか。

 この〈ホウライ〉に点在する遺跡は、なぜ遺跡と成り果てたのか。エルフたちが住まい、理想の楽園となっていたのではないか。


「……内戦でも、あったのか」


 レゥコという管理者が術式的隔離封印杭として汚染術式を封じた。これ自体は必要に駆られてのことだったのだろう。しかし、それによって第三文明は統括管理者を失った。

 レゥコ自身はそれでもつつがなく自分の部下たちが働き続けると考えていたようだが、そうではなかった。


『レゥコ氏族――〈黄なる園の守人〉は、この〈ホウライ〉が最後の所領であった。千年にわたる繁栄を、我ら守護者に託された。だが、我らだけでは、叶わぬ夢だ。エルフの巫女が、招かれた』


 過去を思い返す複眼には、何が映っているのだろうか。

 〈ホウライ〉は巨大な亀の背にあるとはいえ、島と見るなら程々で、国と見るならあまりに小さい。平和と安寧の理想郷として築かれた国は、異なる出自を持つ者たちが揃う密室でもあった。


『我らは、守護者。護る者。では、庇護すべき者たちが互いに争うならば、我らは何を守り、何を攻めるべきか』


 列柱神殿に贋造とはいえエルフの戦士たちがいたことは、両者が友好的な関係にあったことを示す。だが、現実として、今ここにエルフはいない。守護者以外の虫たちも見られない。

 守護者たちは何を護るべきか、分からなくなったのだろう。彼らが生命の種を投げたチィロックも、元々は彼らの同胞だ。


『どちらにも付けぬ傍観者は、どれほど力を持とうとも仲裁者にはなれぬ。百の眼があろうとも、公平を分つことは難しい』


 リノガードは、何もできなかった。仲間たちが争い合うのを見ていることしかできなかった。

 諦観すら滲ませる守護者は、その翅が萎れていくようだった。


「――これは第一期調査開拓団の管理者の話なんだが」


 理論的に話を組み立て、彼を説得するような話術はない。だから俺は身近な例を取ってみた。


「そいつは調査開拓団規則があっても、部下を斬り殺そうとしてくるんだ。どう思う?」

『……愚かな者であるな』

「だよなぁ。俺――じゃなくて、部下はただ領域拡張プロトコルを進めるために努力してるんだが、それが気に食わないらしい」


 管理者は原則的に戦闘行為はできない。同士討ちなどもってのほか。

 にも拘らず、何度命の危機を覚えたか。なんか、〈クシナダ〉が導入されてからパワーアップしているし。


「しかも部下は、その管理者の好物をたくさん献上してる。実績もある。それなのに、何故か敵視されてる」

『なんという、不適者か』

「だよなぁ。――でも、そいつがいると、何故か仕事は捗るんだよ」


 憤懣やる方ないといった様子のリノガードが、きょとんとしたのが分かった。

 管理者と部下は、少なくとも管理者側は部下のことを恨んでいるようだが、それでも良好な関係であると部下は断言できる。


「まあ、なんだ。たまには恨まれるのも承知でケツを叩くのも、親の仕事なんじゃないか?」

『親……』


 守護者と民がどのような関係性なのかは分からないが、兄弟、親子、師弟のようなものから援用できるだろう。彼らは少々、臆病すぎた。優し過ぎたとも言える。


『全くですよ。手間のかかる子供は折檻しても致し方ありませんね?』

「そうそう。……うん?」


 いい感じの空気になりかけた矢先、背後から聞いた覚えのある声がする。少し遅れて気がついて、ひやりと背中が冷える。


「うおわあああっ!?」

『ちぃっ! 大人しく折檻を受けなさい!』

「な、なんでウェイドがここに!?」


 咄嗟に飛び退いた直後、俺がいた場所が生太刀によって切り刻まれる。霊山大社の最奥までやってきたウェイドは、全くもって容赦のない連撃を繰り出してきた。


「レッジさーーん! 置いてかないでくださいよ!」


 ウェイドを追いかけて、レティたちまでやって来る。俺の偽物を殲滅し終わって、霊山大社まで登ってきたのか。


『逃げるなレッジ! 裁きを受けなさい!』

「同士討ちは御法度だろ!」


 ぶんぶんと生太刀を振り回すウェイドから逃げ回る。

 そんななか、レティたちの一団の奥からチャイナ服姿の管理者が現れた。


『アイヤー。迷惑かけたみたいネ。お久しぶりヨ、リノガード、イルフレッツ』


 復活を遂げた統括管理者は、留守を任せていた部下たちに、少し気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。


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Tips

◇傍観の百眼

 千里を見通す無数の眼。霊山の社より、亀甲の一隅までもをあまねく晴らす。全てを見とめ、見届け、見通すために。


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