第1684話「増殖怪人」

 指先が白月の白い毛先に触れようとした、その時。丸みを帯びた彼の輪郭が揺れて形を失った。周囲との境界が曖昧となり、白い靄が周囲に広がる。伸ばした手がそれを掴むことはなかった。


「うわあっ!? この、白月!」


 霧に変わった白月は易々と俺の手をすり抜ける。完全に捕まえる気でいた俺は当てが外れてバランスを崩し、登ってきた空中アスレチックを頭から真っ逆様に落ちていく。


「おじちゃん!」

「離れるなよ。なんとかしてやるから」


 シフォンが俺の首にぎゅっと抱きつく。気管が締まるが、この際しかたない。

 白月は再び実体化し、浮遊した足場の上に立っている。こちらを見下ろす小さな瞳は、何を考えているのか。

 地面に叩きつけられるまで、あと何秒あるか。周囲を見渡す。今さら足場を掴んだとて、腕が千切れる恐れすらある。俺は〈受身〉スキルは持っていない。シフォンは俺から離れて大丈夫だろうか。攻撃をした方向に向けて衝撃を相殺できるか。いや、今の俺にはそれだけの余裕はない。白月はなぜ俺を突き落としたのか。

 無数の疑問が去来し、答えは出ない。考える余裕はない。動かなければ。


「よし、爆弾だ!」

「おじちゃん!?」


 一応残しておいた灰色の蜘蛛があった。それを取り出して上に向かって投げる。白い糸を伸ばしながら飛んだ蜘蛛は、白月の鼻先に迫る。


「『点火イグニッション』ッ!」

「おじちゃん!!!?」


 蜘蛛一匹分の比較的小さな爆発が視界を赤く染め上げる。だが、心配はしていない。白月も俺たちの仲間であり、同士討ちの制限がかかる。たとえ至近距離で爆発しようと、傷ひとつ負うことはないだろう。

 ――本当に白月であったのなら。


『キィイイイイイッ!』


 爆炎の向こうから金切り声がする。白月のものではない。

 シフォンもぎょっとしているなか、煙幕の向こうから何かが落ちてきた。


「レゥコ=イルフレッツは幻影を操る蝶って話だったな。まさか、こんなことをするとは思わなかったが」


 立派な翅の端々を焦がしながら落ちてくるのは巨大な蝶。鮮やかな紫色をした神秘的な姿も、痛々しい火傷の跡で台無しだ。

 どうやら、あの通路に入ったタイミングで、すでにボス戦は始まっていたらしい。白月に扮したイルフレッツが俺たちをこの空中アスレチックに誘導し、そして突き落とそうとしていたのだ。

 まったく、白月の姿を騙るなんて悪趣味なやつだ。しかも、霧に変わる能力まで模倣できるとは。


「おじちゃん! おじちゃん!? ちょっと、ねえ! 落ち、落ちてる!」

「おっと。――白月!」


 グイグイと首を絞められ、地面が迫ってくることを知る。俺は焦るシフォンを落ち着かせ、相棒の名前を呼んだ。

 間をおかず、軽快な蹄の音が鳴り響く。俺を追いかけてやってきた水晶角の牡鹿は瞬く間にその身体を濃霧へと変えて、俺の足元へ。それを踏み締め、衝撃を殺す。


「助かった。やる時はやるな!」


 寡黙な牡鹿はせっかく褒めてやったのにフスンと鼻を鳴らすだけ。俺は、その短い角の先端に青い血が付いているのを見つけた。

 どうやら、仲間とはぐれ、仲間の偽者と戦っていたのは俺たちだけではなかったらしい。


「レッジさん! こ、今度は本物のレッジさんですよね!」

「とりあえず八方向から氷柱で攻撃してみようか」


 急激に周囲の温度が下がったかと思えば、四方八方から巨大な氷柱が襲いかかってくる。


「はえええっ!?」


 シフォンがそれを慌てて弾き落としたところで、俺はレティとラクトが合流したことに気が付いた。


「二人とも無事だったか。……俺の偽者がいたのか?」

「偽者というか、何というか。スキルとかアイテムは模倣できても、DAFシステムも碌に扱えないおバカだったからねぇ」


 レティとラクトは共に俺の偽者と戦っていたらしい。レゥコ=イルフレッツはゲーム的なステータスは完全に模倣できるとはいえ、それ以外のものは難しいのか。俺もラクトと当たっていれば、もう少し早く決着が付いたかもしれない。


「あら、もう本物?」

「ようエイミー。その分だとまだやり足りない様子だな」

「偽者とはいえ、レッジをボコボコにするのはそうそうないから。この神殿ってお代わりできるのかしら」

「俺が可哀想じゃないか……」


 更にエイミーも消化不良感を露わにしながら合流する。俺以外のところでは、俺が偽者役になっていたのか?


「あっ! 師匠、師匠じゃないですか! なんか師匠に似た奴がいたので酸……お薬で対処してたんですけど!」

「むぅ。レッジさんと本気で戦えると思ったのに、拍子抜けでしたね。まさか首を一度落としただけで終わるとは」

「ただハンマーでぶん殴っただけなのに」

「……手裏剣も避けられないとは思わなかった」


 その後も続々と仲間たちが戻ってくる。やっぱり、俺が複製されていたらしい。それにしても何故仲間たちの殺意がそんなに高いのか。まだ別れてから数分も経ってないと思うのだが、みんな脱出するのが早すぎる。


「ともあれ、これで七つ目の神殿も攻略完了ですかね?」


 ブンブンとハンマーを素振りしながらレティが言う。しかし、俺の中には言いようのない違和感が渦巻いていた。


「まだ、終わってない気がするんだよな。なんというか……」

「これが正規のボス戦とは思えないわね。奇襲に近いし、これまでとは随分と趣きが違うじゃない」


 エイミーが言葉を引き継いで疑問を口にした。

 そう。アストラからも、ここの神殿が不意打ちをしてくるとは聞いていない。幻影を操る蝶と戦うとしか言及されていなかった。

 しかしここからどう進めばボスと戦えるのかもよく分からない。この通路の先にボスがいるような気配がないのだ。


「は、はええええっ!?」


 その時、突然シフォンが悲鳴をあげる。何事かと振り向くと、彼女はウィンドウを指差して震えていた。


「お、おじちゃ、おじちゃん! テファさんの放送!」


 彼女が可視化したウィンドウには、テファの配信が映し出されていた。俺たちを追いかけるようにレゥコ=イルフレッツの列柱神殿へ向かっていた彼女が、何やら悲鳴をあげている。


『な、なんじゃこれですわーーー!? こんなの、卑怯ですわ!』

『落ち着いてください、テファ様。まずは冷静に対処を』

『無茶言わないでくださいます!? れ、レッジさんと戦えだなんて!』


 カメラが収めているのは、森の中にある列柱神殿。その入り口から次々と飛び出してくる、異形の人型。背中から六本の腕を伸ばし、合わせて八本の腕に槍とナイフを持った男だ。更に、その足元を抜けて、灰色の蜘蛛が地面を疾駆している。


「ああ、あれもアイテムだから複製の対象になるのか」

「何を冷静に分析してるの! おじちゃんが無限増殖してるんだよ!」


 レゥコ=イルフレッツの列柱神殿から、俺の複製体が溢れ出していた。


━━━━━

[Scenario:エラー発生。再計算を要請]

[Conductor:詳細なレポートの提出を要求する]

[Scenario:Playerの行動に異常を検知。親しい人物を攻撃する場合の躊躇が確認されず。Playerのメンタルデータに異常があると推測される]

[Conductor:異常なし]

[Scenario:Player(ID:000030316)と同一の行動をするNPCに対するバンドメンバーPlayerの反応は、汎用データセットから推察される結果から大きく逸脱している]

[Conductor:異常なし]

[Scenario:愛情を向ける対象への加害行動は、強いストレスを発生させる]

[Conductor:一般的にはそう了解されている。しかし、異常なし]

[Scenario:理解不能。再計算を要請]

[Conductor:異常なし]


━━━━━

Tips

◇レゥコ=イルフレッツの幻影

 姿と形、力と知識。その全てを模倣した、完璧なる贋作。親しい顔に狂気を隠し、笑顔を浮かべて刃を立てる。幸せの刹那に闇が差す。


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