第1669話「イザナミの慈悲」

 黒が浄化されていく。巨人が捧げる腕をトヨタマが消している。その様をレティたちも目の当たりにしていた。両腕を掲げ、捧げるように跪いた邪神の体が少しずつ白んでいく。末端から徐々に、白く透き通っていく。

 その動きに合わせるように、周囲で暴れ回っていた甲虫達の動きも落ち着き始めた。調査開拓員達も異変に気が付き、武器を収める。


『アイヤー、まさか、こんなことが起こるとはネ……』


 後方から驚きの表情を浮かべたレゥコが現れる。邪神を見上げて唇を震わせる彼女に周囲から視線が集まった。


『汚染術式が、消滅してるネ。こんなことは、これまでの研究でも達成できなかったことなのニ。……ウェイド、あれは一体何者なのネ?』

『……総司令現地代理、白龍イザナミの分霊体です。海に拡散した彼女の残滓を集め、蘇生を施しました』

『アイヤー……』


 生太刀を納めて語るウェイドの言葉を受けて、レゥコは再び目を丸くする。第零期先行調査開拓団の一員であるレゥコは、白龍イザナミが失踪したことは知っている。だが、その分霊体が蘇生されたという事実は衝撃的だった。

 レゥコは顎に指を添えて思案を始め、なるほどと頷く。


『白龍イザナミの慈愛。それはつまり、全てを包み込む博愛の精神ネ。あの天使がその精神の体現だとすれば、説明はつくネ』

『いったいどう言うことじゃ、レゥコ=ナイノレス』


 一人でうんうんと頷くチャイナ娘に背後から声がかかる。テントの中から現れたT-1が稲荷寿司の詰まった寿司桶を片手に立っていた。


『何を食べてるネ、こんな重大な時に』

『腹が減っては戦はできぬと言うじゃろ。もぐもぐ』


 それよりも詳しく教えるのじゃ、とT-1。レゥコは肩をすくめて続ける。


『博愛の精神、全てを包み込む包容力。白龍イザナミを構成する七つの精神の一つネ』

『七つの精神じゃと?』


 首を傾げるT-1を見て、レゥコは少なからず驚く。それすらも第一期調査開拓団には伝わっていないのかと、信じがたい思いがあった。


『謙譲、慈悲、忍耐、勤勉、救恤、節制、純潔の七つネ。あの天使はそのうちの慈悲を表しているハズネ』

『むぅ。白龍イザナミは死に瀕した際にそれぞれの精神に魂を分割したと言うことかのう』

『慈悲、慈愛、博愛。限りない愛はあらゆる罪を赦すネ。穏やかな凪のような心で受け入れる。――でも、受け入れる前後でさえ、その心は全く変わらないネ』

『それは慈悲なのですか?』

『間違いなく慈悲ネ。限りない愛というのは、一種の無関心でさえあるのネ』


 禅問答のような言葉に、ウェイドは首を傾げる。

 結局のところ重要なのは目の前に起きている事実である。トヨタマは汚染術式を浄化することができる。これは非常に重要だった。


『すぐにコノハナサクヤに連絡しないと。監獄闘技場の輪廻システムに改善ができるかも』

『待て待て、落ち着くのじゃ。まずはあの邪神……というか巨人? よく分からんが、アヤツが安全なものとなるのか確認するのが先じゃろう』


 パタパタと落ち着きをなくすウェイドを抑え、T-1は珍しく指揮官らしい判断力を見せる。その間にも巨人の浄化は進み、今やその体のほとんどが純白に透き通っていた。その胸のあたりに、二人の人影も見える。

 見上げていたウェイドがそれを見つけて、あっと声を上げた。


『あの外装! あの馬鹿、また私の作ったデータを流用しましたね!』

『ぬぅ? お主の外装データはパブリックデータベースでフリーになっておらぬか?』

『ぬわーーーーっ!? 私が許可したのはグッズ用のデフォルメした物だけですよ! こ、これは……あの馬鹿どっかに紛れ込ませてましたね!』


 ジャキン! と鞘走る音。


『レーーーーーッジ! また私の許可を得ずに勝手なことをして! 今すぐ出てきなさい!』

「げえっ!? ウェイド!? いや、これは攻略上必要な措置であってだな!」


 巨人の腕を駆け登って怒鳴り込むウェイドに、コアの中にいたレッジも気が付く。慌てた様子で隣にいたウェイドと同じ外見の少女の背後に隠れようとするが、あまりに体格差がありすぎて隠れられていない。

 それどころか、コアの中の少女が『邪魔ですわ!』とレッジを投げている。


「ぐわーーーっ!? チィロック、裏切ったな!」

『たとえ汚染が浄化されても、貴方は私の敵ですわ! 大人しく罰を喰らいなさい!』

『大人しくお縄につきなさい! セイヤァ!』


 生太刀がコアを切り裂く。レッジはチィロックに投げ飛ばされて空へ。


「このコア、切ってもノーダメージなのかよ!」

『ただのコックピットのようなものですもの。おほほほっ!』


 落ちていくレッジを見て、チィロックが高笑いを響かせる。


『あっ、パパやっと出てきたね! 詳しく話を聞かせてもらうよ!』

「レッジさーーーーーん! ちょっとだけ、レティもお話したいんですけどーーーーー!」

「……『貫通する鋭利な氷針』」

「うわああああっ!? げぇっ、ぐわっ、おわわあっ!?」


 コアから飛び出した途端、あちこちからNPCと調査開拓員が集結する。レッジは空中で姿勢を変えながらギリギリのところでそれを避け、着地。次の瞬間に落ちてきた巨大な岩を転がるようにして避け、逃げる。


「し、シフォン、いいところに! 逃げるの手伝って――」

「えいっ!」

「がぁあっ!?」


 シフォンに脛を蹴飛ばされ、悶絶するレッジ。シフォンはとてもすっきりした顔で去っていく。


「お、俺はただイベントを攻略しようとしてただけなのに……」

『話は向こうでじっくり聞かせてもらいます。逃げようなどと変な気を起こせば、刑期が長くなるだけですよ』

「ぐぅう』


 ウェイドに首根っこを掴まれたレッジはついに逃走を諦める。レティたちに取り囲まれ、すごすごと連行されていく彼を、周囲の調査開拓員たちは生暖かい目で見送るのだった。


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Tips

◇慈悲

 総司令現地代理、白龍イザナミを形作る七つの精神の一つ。広く深く、限りない愛そのもの。全ての罪を聞き、受け入れ、そして赦す。慈悲の光は遍くを照らし、一滴たりとも漏らすことはなく。故に常に平穏であり、故に冷たく物悲しい。


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