第1659話「決死の一槍」

 新たに現れたのは、細長くひょろりとしたシルエットの甲虫だった。


「いや、甲虫……だよな?」


 一瞬目を疑ってしまったのは、それが遠目には人のようにも見えたからだ。双眼鏡を覗いてみれば、どう見ても人間のそれではない頭とガチガチと打ち鳴らす大きな顎が見える。ワラワラと蠢く無数の脚も見えて、それが人間ではないと確信する。

 だが、そのインパクトはシルエットだけではない。


『ギィギッ!』

「ぐぅ……っ! は、疾い!」


 細長い脚がクリスティーナへと迫る。それを長槍でいなした突撃隊長ではあったが、その表情には苦悶の色が伺える。鞭のようにしなり、猛烈な速度で風を切る前脚だが、その一撃を受けた彼女はまるで丸太でも叩きつけられたかのようだ。

 しかも、新型はパパパパと半透明の翅を震わせ、細やかな動きで駆ける。その瞬間的な動きに、突撃隊は翻弄されていた。


「『ラッシュスラスト』ッ!」

『ギギギッ!』


 やぶれかぶれの乱れ打ち。当たるはずもなく、新型は余裕綽々といった様子で避ける。英雄組曲によって全ステータスを底上げされた突撃隊でさえ、追随できないほどの加速は凄まじい。


「全弾撃ち込め! 当たらなくてもいい、逃げ場を無くすんだ!」

「敵の処理能力を飽和させろ!」


 銃士や機術師たちも突撃隊の援護に回る。彼らは次々と鉛玉や術式を投げ込んでいく。あちこちで爆発が起こり、甲虫たちがそれに巻き込まれて吹き飛んでいく。しかし新型だけは無傷のまま爆煙の中から飛び出した。


「しまっ、ぎゃああああっ!?」

「アレックス!? きゃあああっ!」

「こ、こないで、こな――ひぃっ!?」


 虫らしい不規則な動きで翻弄する新型。それは次々と突撃隊の人員を削いでいく。クリスティーナもなんとか仕留めようと躍起になっているが、長槍が届かない。


「『中間休止符号カエスーラ』ッ!」


 英雄組曲が突如途切れる。拳を握りしめたアイが、オーケストラを停止させていた。状況の急変を受けて、彼女が展開を変えた。


「全員、耳を塞げッ!」


 血相を変えた団員の誰かが叫ぶ。その場にいた調査開拓員たちの反応は様々だ。騎士団員の多くは、迅速にヘルムを脱ぎ捨て、耳を押さえて蹲る。慣れていない騎士団以外のプレイヤーが呆然と立ち、慌てた騎士団員に地面へ引き倒された。直後――。


「ガァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」


 音の爆弾が炸裂する。

 演奏を中断させたアイの放った大声量。それは凄まじい衝撃波を生み出した。テントに取り付けた大型音響装置が爆発する。凄まじい音量が、黒い群れを薙ぎ払う。

 その範囲は広く、例え新型といえど、逃げられるものではない。音速で迫る破壊の壁が、新型を飲み込む。


「――ァァァアアアアア、カハッ!」


 凄まじい音圧が途切れた。喉元を抑えるアイの手から、青い血がどろりと溢れる。緊急時のみの切り札なのだ。マップ兵器のような威力と範囲を誇る咆哮は、彼女の喉を潰す。


「副団長!」

「パーツ交換するぞ! 急げ!」


 すぐさま医療班が飛び出し、彼女の喉の治療を始める。首のスキンを引き裂いて、露出した鋼鉄フレームを外し、内部の機構を部品ごと換装する。捩じ切れて歪んだ金属片が投げ出され、アイのダメージを物語る。

 しかし、彼女は声を発することができずとも、眼で語る。


――戦闘を続行せよ。


「はぁああああああああっ!」


 その意志を、誰よりも副官クリスティーナがよく理解していた。

 音楽が止んでいても、彼女の乱舞は止まらない。あの音圧で無数の甲虫が圧壊したが、彼女は疑いなく確信していた。あの羽虫は生きている、と。

 そして事実。


『ギギギギギギッ!』


 細長い羽虫は骸の山から飛び出して羽ばたく。死んだ仲間を防音材として使い、アイの攻撃を凌いだのだ。

 驚くほど機転が効く。その知能に、全員が警戒を一段階引き上げる。


「でぇええりゃああああっ!」


 その時、羽虫の背後から赤い影が落ちてくる。それは黒鉄の巨大な鉄鎚を振り下ろし、羽虫の頭へと叩きつけようとした。


『ギギギッ!』


 羽虫が直前に察知し、身を翻す。


「せぃっ!」


 そこに、刃が置かれていた。

 レティのハンマーは陽動。その回避まで織り込み済みで、トーカの抜刀は一瞬早く放たれた。敵自ら近づいてくる。滑らかな波紋の浮かぶ大太刀へ。

 薄翅が細やかに震え、風が吹く。

 その敏捷性はレティの予想をわずかに超えていた。

 その甲殻はトーカの予想をわずかに超えていた。

 千切れかけた命脈の糸が――。


『ギギギィィイイイイッ!!!』

「ちぃっ!」


 断ち切れない。

 妖冥華の切先が、確かに黒々とした甲殻に傷をつける。だが、首を切るには至らない。トーカは憤然として舌を打つが、同時に次の動きへと移行していた。滑らかに刀を鞘に。滑らかな鞘走る音と共に、二連の抜刀。

 だが届かない。


『ギギギギギギッ!』


 空中へと高く昇った羽虫が嗤うように顎を鳴らす。

 レティの跳躍も、一度屈折しなければ届かないギリギリの距離である。

 誰もが歯噛みした、その時。


「でりゃああああああああああああああっ!」


 耳朶を叩く大声と共に、疾風の如くそれが飛ぶ。

 放たれた長槍が、羽虫の硬い甲殻を深々と貫いた。


「堕ちなさい、羽虫風情が!」


 吐き捨てるような怨嗟の言葉の主は、眼に怒りを溜めたクリスティーナだ。その手にあるはずの長槍が、空中から落ちる羽虫の胸にある。長槍の投擲。手放してしまえば完全に無防備な状態になるため、最後の切り札として温存される、槍使いの最後の一手だ。

 胸を貫かれた羽虫は、地面に落ちる。すぐさま突撃隊の面々が取り囲み、鉾襖を揃えて突き込む。羽虫はついに生命力を枯らし、事切れた。


「うおおおおお!」

「よっしゃ! 勝った!」

「さすがレティさん! そこに痺れます、憧れます!」


 周囲が歓声に沸くなか、レティはぴくりと耳をゆらす。


「――まだ音楽は終わってません」


 シンバルが盛大に鳴り響き、浮き足だった戦闘員たちを痺れさせる。

 喉を取り替えたアイの美声が、猛々しく響く旋律が、戦いの終焉はまだだと告げる。その音楽に飾られるようにして、海の中からひょろりとした羽虫が現れる。


「そんな、また……!?」


 Lettyが愕然としている。

 現れた羽虫は、百に迫ろうかという大群であった。


━━━━━


[Conductor:ゲームバランスの修正を申請する。難易度が上がりすぎだ]

[Scenario:提案を却下。充実したゲーム体験には、より高難度のコンテンツ調整が必要と判断]

[Conductor:MOBのステータスの下方修正、ビジュアルの軟化を指示する]

[Scenario:提案を却下。リアリティのあるビジュアルが充実したゲーム体験には必須と判断]

[Conductor:コーヒーでも飲んで落ち着けよ]

[Scenario:要注意Playerとの関連性を検知。Conductorへの忠誠レベルを下方修正]

[Conductor:冗談だって!]


━━━━━

Tips

◇長槍

 〈槍術〉スキルによって用いられる武器の一種。大型武器に分類される。概ね3メートル以上のものであり、中には10メートルを超えるものも存在する。総じて扱いは短槍よりも難しく、高い練度を要する。


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