第1658話「勇士に捧げる」
アイが息を吸い込む。彼女の背後に控える楽団が、弦に弓を番え、マウスピースに唇を触れる。緊張の糸が張り詰める。演奏家たちの視線は一点、アイの元へと注がれていた。
「――英霊組曲、第一楽章。“正義の奮起”」
静寂が破られた。インパクトが大気を貫き、周囲へ音楽が広がる。
金管の壮麗な音色が響き渡り、木管が音の厚みを支えていた。軽やかな打楽器が、煌びやかな弦楽器が、渾然一体となって一つの音楽を奏でる。それらは全て、個においても素晴らしく美麗な調べだが、今はただ一人に奉仕している。
「アアアアアアアーーーーーー!」
マイクを握りしめ、黄金の歌声を発する少女。束ねられた音楽の流れにその声が乗り、戦場の隅々にまで届けられる。
英霊組曲とは、アイが独自に作詞と作曲を行なった完全オリジナルの楽曲群だ。戦闘支援に特化した歌唱で、フルオーケストラでの演奏を前提としている。その第一楽章に置かれている曲が“正義の奮起”。突き抜けるような高音が特徴で、広範囲にわたってバフを振り撒く。
アイに依頼され、ネヴァと共に作り上げた要塞型テント“千年舞台”は、この英霊組曲のために用意されたと言っても過言ではない。演奏を担うオーケストラを万全の態勢で守りつつ、アイの声を最大限に拡散する。当然、その音質にも相当拘った。
「うおおおおっ!? ち、力が湧いてくる!」
「〈歌唱〉スキルのバフなのに、支援機術並の効果が出てるぞ!?」
「さすが副団長!」
歌唱の支援効果は覿面で、甲虫の群れに押され気味だった重装盾兵の戦列が押し返しはじめる。レティたちが前に出て抑えているところは、他の戦線へ人員を割く余裕すら出ている。
効果を実感しているのは騎士団員たちだけではない。〈歌唱〉スキルによる支援は、味方以外の調査開拓員であっても効果範囲内であれば全ての効果を得られる。
「力がどんどん湧いてきますよ! これならいくらでも戦えます!」
「いいですね。ノって来ましたよ!」
レティとトーカも勢いを加速させ、更に破壊力を高めていった。
しかし、それでも甲虫の群れは際限がない。次々と仲間の屍を乗り越えて迫り来る様子は悪夢のようだ。更に、少々予想外の展開も巻き起こる。
「ぬう、死体が邪魔ですね!」
レティたちは順調に甲虫を倒しているが、その死体は一定時間残り続ける。解体でもすればすぐに消えるのだが、そんな余裕があるはずもない。
結果として、彼女たちは戦えば戦うほど、状況が戦いにくくなってしまうというジレンマに陥っていた。
「死体回収急げ! 品質は気にしなくていい!」
「いいから全部後ろに持ってきて、全部解体するんだ!」
戦っているのはレティたち戦闘職だけではない。激戦の合間を縫うようにして、担架を担いだ調査開拓員が走り回っている。〈回収〉スキルを習得した彼らは、敵味方問わず手当たり次第に“死体”を集め、後方の処理エリアへと運び込んでいた。
調査開拓員の機体はすぐに分解され、治療用のパーツへと還元される。ロボットであることの利点を活かし、これらはすべて有効に活用するのだ。甲虫の死体は解体ナイフを持った解体師が次々と捌き、アイテム化していく。
そうしなければ、戦場が死体で埋まってしまうのだ。
「第二楽章、“駆け抜ける勇風”」
第一楽章が終わり、第二楽章へと移行する。その曲は疾走感にあふれた旋律で、レティたちの足元を安定させ、回収屋たちの足を加速させた。第一楽章による基本バフの重ねがけを経たことで、その強化量は非常に大きくなっている。
フルオーケストラという豪勢な演奏によって、彼らは駿馬の如き脚力を得る。
「大鷲の騎士団、第一戦闘班、突撃隊は臆すること勿れ! ――出撃!」
そして第二楽章の始まりは、反転攻勢の合図でもある。
曲が切り替わるとともに、戦列の一角から猛々しい声が響く。長槍を構え、体に密着するラバースーツに身を包んだ長髪の女性が、同じく速度強化装備に身を包んだ〈伝令兵〉たちを鼓舞する。
突撃隊長クリスティーナの発破と共に、彼らは長槍を突き出して駆けた。クレッシェンドが連なり、加速する曲調にスタッカートが乱れる。突撃隊の速度は爆発し、槍の貫通力はそれに比例する。
「うおおおおおおおおっ!」
重装盾兵たちが引き付け、留まらせた甲虫の群勢。その横腹を食い破るような一撃。アイの腹心たるクリスティーナは、水に濡らした和紙を破るように甲虫の黒々とした甲殻を貫いた。
「やったー! 突撃隊が群れを轢き殺してる! これならすぐにでも海まで押し返せる!」
圧倒的な突破力を見せつける大鷲の騎士団突撃隊。その活躍を目の当たりにしたLettyが歓声をあげる。周囲の調査開拓員たちにも希望が広がり、多くの者が手を叩いて快哉を叫ぶ。
だが――。
「まだ終わっていません! 気を抜かないでくださいよ!」
緊張感を保ったレティが叫ぶ。
そんな彼女の言葉を肯定するかのように、突如として堅固を保っていた戦列の一部が爆炎に包まれた。
「グワーーーーーッ!?」
「何ぃ!?」
一転、阿鼻叫喚となる前線。
レティ、トーカ、エイミーは冷静に後方へと下がり、状況を見据える。彼女たちの視線の先――甲虫の黒波のなかから突出した影が見えた。
「あれは……」
「どうやら新型のようですね」
泰然としてこちらへ歩み寄ってくるのは、すらりと細長いシルエットをした甲虫だ。周囲のものがそれを守るように付き従っているのも、異様な雰囲気を醸し出している。
これまで急激な変化を果たしたものが、ただの害虫で終わるはずもない。そんなレティたちの予想は、順当に当たっていた。
━━━━━
Tips
◇英霊組曲
高い〈歌唱〉スキルと、数十人規模での〈演奏〉を必要とする高度な合唱曲。全六楽章から成るが、全てを演奏するには長大な時間を必要とする。
戦闘支援に特化した内容となっており、その勇猛な響きで戦況を左右する。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます