第1652話「稲妻捻れる雲」

『ナニをやってるカ!? 今すぐ戻っテ!』

「すまんな、レゥコ。俺も重力は動かせないんだ!」

『アイヤーーーーッ!?』


 肉まんを追いかけて飛び出したレゥコを追いかけ、彼女と共に雲海へ。穏やかに見えた空模様だが、雲の内側に入った瞬間、薄暗闇に雷鳴が轟き、大蛇のような稲妻が縦横無尽に駆け回っている暴風雨へと変わった。

 それどころか、ただ落ちているだけにも拘らず、俺とレゥコの動きは不規則なものだ。どうやら、重力そのものが変則的になっているらしい。


『雲海の中は空間圧縮の影響で無秩序になってるヨ。死にたくなかったらワタシに掴まっテ!』


 どうやらレゥコが下山できないと言っていたのも、嘘ではないらしい。彼女はくるくると空中で身を翻し、器用にこちらへ近づくと小さな手を伸ばしてきた。俺はそれを掴んで引き寄せ、胸の前で抱き抱える。


「レゥコはこの重力の歪みが見えるのか?」

『チョットダケネ! だからワタシは大丈夫だけど、レッジは危ないヨ!』

「いや、大丈夫だ。見えてるのなら、むしろやりやすい」


 俺の腕の中でレゥコがもぞもぞと動いた。彼女の怪訝な顔がこちらを見上げている。


『ナニを言って――』

「前は大気がなかったからな。呼吸できる分楽まであるさ」

『アイエエエエッ!?』


 凄まじい勢いで稲妻がこちらへ迫る。レゥコはともかく、俺は全身金属製の機械人形だ。当然のように雷を誘発させてしまう。だが、一方で俺たち調査開拓用機械人形には、パリィという技術が備わっている。


「そいやっ!」

――ギィイイインッ!


 パリィの発生条件は、敵の攻撃を瞬間的に弾くような行動をすること。シフォンがアーツ製の短剣や斧などで行っているように、盾を持っている必要はない。要はタイミングよく攻撃に攻撃を重ねれば、弾くことができる。

 俺はレゥコを抱えたまま、迫り来る稲妻を蹴った。鍔迫り合いの共鳴が弾け、俺と稲妻は逆方向へと吹き飛んでいく。ぎゅっと目を閉じていたレゥコは、自分たちが黒焦げになっていないことに気がつくと、信じられないと目を丸くしていた。


『な、ナニをやってるカ!?』

「稲妻を蹴って落ちる方向を調整してるだけだ。重力の形は、まわりの風とか雨粒の動きで大まかに予測できるから、それに沿うように動けば割と姿勢は安定するだろ」

『頭おかしくなったカ?』

「少し前に似たような環境に放り出されたことがあったから慣れてるんだよ。あの時は完全な真空で、なかなか大変だった」

『調査開拓団は一体ナニをやってるカ……』


 出会って間もないレゥコに呆れ果てられているような気もするが、状況としては〈エウルブギュギュアの献花台〉第四階層の重力異常空間のそれに近い。あそこは宇宙空間でもあったから移動するのも大変だったが、ここはまだ楽だ。レゥコは信じてくれないが。

 雷が次々とこちらへ落ちてきてくれるおかげで、それを蹴っているだけで空中で姿勢を安定することができる。このまま山頂に戻ろうとするのは難しいかもしれないが、現状維持ならかなり長時間にわたって達成できそうだ。


「そもそもレゥコは戻れる算段があって落ちたんだろ?」

『アイヤー。ワタシひとりなら帰れるネ』


 肉まんを追いかけたとはいえ自ら飛び込んだレゥコは、観念したように頷く。実際、彼女はこの雲海の中の重力異常をある程度見通すことができるらしい。やっぱり彼女も稲妻パリィで戻ろうとしていたのだろう。


『ワタシは雷を蹴って歩くなんて曲芸できないネ。一緒にしないでほしいネ』

「ええ……。違うのか」


 口に出していないのに、なぜか釘を刺される。レゥコはもぞもぞと動くと、俺の体を伝って背後へと移動する。俺が彼女をおんぶするというか、彼女がコアラの子供のようにしがみついている状況になった。


『ワタシひとりなら――テリャーーーーッ!』


 突如大きな声をあげたかと思うと、レゥコが黒い蝙蝠のような翼を広げた。変形機能まで備えているのかと思ったが、そういえば彼女は機械ではない生身だ。封印杭から漏出するほどに増大した、黒龍の力をその身に宿している。


「それはイザナギの翼か?」

『そのレプリカみたいなものネ! レッジを支えて飛べるほどじゃないケド、滑空程度なら!』

「なるほど。これは心強いじゃないか!」


 稲妻を蹴り飛ばし、跳躍する。レゥコの翼が風を掴み、ぐんと勢いを増して空を飛んだ。レゥコはグライダーのように重力と風の流れを読み、その勢いで雲海の上へ戻って来れるようだ。しかし、俺という錘があると、それも叶わない。


「上に戻れないのなら、しかたない。このまま下山するとしよう」

『アイエエッ!? ちょっと待つネ! それはちょ、ちょっと――』

「何か困ることでもあるのか?」

『アイヤー……』


 困ることはないらしい。雷が当たると痛そうなので、レゥコの翼はしまってもらう。落ちるだけなら、常に滑空している必要はないからな。


「ほら、レゥコ。ちゃんと肉まんも回収したからな。冷めないうちに食べてくれ」

『アイヤー! 肉まん! もぐもぐはふはふっ!』


 彼女に回収しておいた肉まんを渡して、機嫌を直してもらう。うんうん、やはり素直なのが一番だ。

 ピシャリと稲妻が迫り、それを蹴り飛ばす。その勢いで跳び、重力の迷路を辿りながら、山の斜面に沿うようにして降りていく。できれば斜面を伝っていければよかったのだが、どうやらあれに触るのは不味そうだ。稲妻が斜面に触れた瞬間、奇妙な捩れ方をしている。おそらく、山そのものには無限に到達できないようになっているのだろう。


「さあレゥコ、こっからさらに激しくなるぞ」

『もぐもぐはふはふっ!』


 気合い十分のレゥコと共に、俺は下山を開始した。


━━━━━

Tips

◇キックパリィ

 攻撃に合わせて蹴りこむことで、攻撃をパリィする。キックの攻撃判定は歩行との微妙なグラデーションの中に存在するため、武器によるパリィと比べて判定がシビアになる。連続で成功させるのは至難の業である。


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