第1648話「山頂にて」

「なるほどなるほど。そりゃ大変だったな」

『ヤー』

「まあでも、君が頑張ってくれてたおかげで、海上の方は随分平和だったみたいだぞ」

『アイヤー……』

「そう落ち込むなよ。自分の役目を果たしてただけなんだからな」


 バチバチと薪が爆ぜる。ここは雲海が果てしなく広がる山頂だ。猫の額ほどの小さな土地にテントを立てて、椅子に腰を下ろして耳を傾ける。羊毛織のカーディガンを羽織った少女は、温めたウーロン茶で喉を潤した。

 海底を泳いでいたはずが、気が付けばよく分からない山の頂上だ。海底で出会った、こちらを拒絶する謎めいた龍の頭に話しかけて、なんやかんやでここまでやって来た。そこまでの道のりを説明するのは、少々難しい。


「とりあえず、何か食べるか。何千年も飲まず食わずだったんだろう」

『ありがとネ。レッジ、やさしくて好きヨ』


 偶然持ち込んでいた、“氷の人”に使おうとしていた柔軟鋼材骨格支柱を用いて、彼女自身の技術を用いることで、彼女は受肉した。その際の外形は俺の中のイメージを流用したと言い、管理者たちと似た顔立ちになっている。赤みを帯びたショートカットに、桃色のニションを二つ付けて、装いは詰襟のワンピース。金糸で縁取られ、赤地に東洋的な龍の図柄が刺繍されている。スリットの入ったスカートからは、白い足が少しだけ見えている。

 いわゆる中華風のドレス、チャイナ服と言うような服装だ。


「術式的隔離封印杭、その第三位。レゥコ=ナイノレスねぇ」


 大海原の真ん中、光も届かない底の底。そこで一人孤独に立ち尽くし、全てを退けようとしていた龍がいた。いや、龍の力を抑えきれず、自分自身に漏出させながらも封じ続けようとしている管理者だ。

 黒龍イザナギから発生した汚染術式が拡大するのを抑えるため、ブラックダークをはじめとする第零期先行調査開拓団の管理者たちがその身を犠牲にした。ブラックダークだけでなく、クナド、ポセイドン、そして目の前に座る少女。

 白き光を放つ者、コシュア族。青き水を抱く者、エウルブ族。これらに連なる第三の種族を導いていた、第三領界の統括管理者だ。


「勝手にここまで連れて来ちゃったんだが、よかったのか?」

無問題モーマンタイネ。ワタシの本体、まだ海底にあるヨ。ここにいるノ、ちょっとだけ分離した一部ネ』


 海底で『カエレ……カエレ……』と呟いていたのは、内側から漏出する汚染術式に侵されたレゥコの本体、術式的隔離封印杭そのものだ。俺はそこで彼女を説得し、思念術式の一部分を分離した。

 分離したものを柔軟鋼材骨格支柱に取り付け、受肉させたところで、ギリギリの均衡を保っていたLPが底を突きかけた。そこでレゥコが助けてくれたのだ。


「可動式霊山聖域〈ホウライ〉。ここからじゃ下の様子は見えないが」

『今は格納空間から出て、海の上に浮かんでるヨ。レッジの仲間も、見つけてる頃合いヨ』


 白玉を頬張りつつレゥコが言う。生命すら存在しない無の海で千年を過ごしていた彼女は、いわゆる飢餓状態にあった。それは汚染術式の拡大を抑えるための措置ではあったが、彼女自身にも凄まじい苦しみを与える。

 千年ぶりの食事は、俺が持参した白玉だった。

 白玉の高密度エネルギーを得たレゥコは、格納空間と呼ばれる別次元に退避させていた〈ホウライ〉を呼び出し、俺をその山頂へ案内してくれた。驚くべきことに、彼女はこれまで調査開拓団も使用できなかった空間跳躍――いわゆるワープや瞬間移動と呼ばれるような技術を扱えるようなのだ。

 そこでテントを張り、焚き火を起こし、俺はレゥコから色々な話を聞いた。その全てを理解できたとは言い難いが、ある程度のことは把握したつもりだ。


「封印杭の設置場所選定がまずかったんだな。ある程度、地脈のエネルギー供給を受けられないと、汚染術式を抑制し続けられない。古戦場だった〈黄濁の溟海〉は環境破壊兵器の影響で死の海になったわけだが、それだと杭が維持できない、と」

『アイヤー。ワタシの設計だと設置後百年で新しい生態系ができてるはずだったネ。なぜか生命が生まれてなくて、予定が狂っちゃっテルヨ』


 レゥコの想定では、〈黄濁の溟海〉も他の海と同様に豊かな土地となっているはずだった。それがなぜか、理由は不明だが死の海のまま現代まで続いてしまった。おかげで彼女は飢えに苦しみ、力が落ちたことで汚染術式の漏出を許してしまった。

 俺たちが出会った白龍イザナミもまた、汚染術式の影響らしい。


『事前に種は蒔いてるはずなんだケドネ。いったいどうしちゃったのカ』

「種?」

『定期的に蒔いて、生命循環を促すようにしてるのヨ。〈ホウライ〉と一緒に、格納空間に置いといたノ』


 種。種ねぇ……。

 不思議そうに首を傾げるレゥコを見て、俺は疑問を感じずにはいられなかった。


「しかしレゥコ。本当によかったのか?」

『なにカ?』

「本来ならホウライの玉枝とやらがないと思念術式の分離はできなかったんだろ。俺はもう強引にやっちまったわけだが」

『アー、無問題ヨ。レッジのくれた骨でも受肉できたからネ』


 たぶんだが、レゥコと出会うためには色々と回り道をしなくてはならなかったのだろう。その上で“ホウライの玉枝”というキーアイテムを手に入れてから海底に潜り、封印杭の前に立たなければならなかったところを、俺はそのへんをすっ飛ばして来てしまった。というか、来れてしまった。

 まあ、メタ的なことを言えば、シナリオAIとしてもこのへんは想定の範囲内なのだろう。さすがは巨大データセンターの計算リソースの数%を使うだけのことはある。臨機応変に物語を展開するその手腕には、舌を巻くしかない。


「じゃあ大丈夫かぁ」

『平気ネ! レッジ、烏龍茶のお代わり頂戴ヨ!』


 元気そうにコップを掲げるレゥコを見ていれば、難しいことを考えるのも面倒になる。俺は焚き火にかけていたヤカンを手に取り、コップに烏龍茶を注ぐのだった。


━━━━━

Tips

◇ホウライの玉枝

 可動式霊山聖域〈ホウライ〉の深層神殿に封印されている、有機外装の主要部品。術式感応性能が非常に高く、さまざまな術式体の中核となり得る。それ故に厳重な管理を必要とし、手に入れるためには七つの列柱神殿を参拝し、そこの守護者の許可証を手に入れ、霊山大社の聖祠の正式な参拝許可を得なければならない。

 待ち受ける七体の列柱神殿守護者にその勇気を示さねば、その先にある扉を開くことはできない。


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