第1645話「虎の尾を踏んで」

 考察系トップバンド〈イザナミ考古学会〉会長の言葉に、テーブルを囲む面々は十人十色の反応を示す。予想通りとばかりに平然としている者もいれば、まさかと目を見開いている者もいる。


「シフォン、このケーキ取っても美味しいですよ」

「はえー、ほんとだ。優しい甘さでイチゴの味が際立つね」

『すみません、練乳をかけたいんですが』


 一部の者はすでに理解を放棄して、会議のお供にと調理班が用意したケーキをつついていたが。


「第三勢力ねぇ。今のところ、証拠はないんだよね?」

「うむ。ただの推測、いや憶測に過ぎん」


 真面目に話を聞いていたラクトの指摘に、ヨシキリは素直に頷く。白の文明、青の文明に続く第三の文明が存在するという説は、現在の諸々を見渡したヨシキリの、ただの一学説にすぎない。


「しかし、考えてみる価値はあると思うのじゃが、どうだろうか」

「そうだねぇ」


 ラクトは腕を組み、思案する。

 第三の勢力が存在するというならば、そしてヨシキリが言うように〈黄濁の溟海〉がその第三勢力と青の文明が衝突した舞台であるというのであれば……。


「まあ、結局やることは変わらないよね」

「そうですね。俺たちは探索を続けて、出てくるものが敵なら倒すだけですから」


 結局、ラクトは至極シンプルな結論を下し、アストラもそれに賛同する。考察組とは違い、攻略組はストーリーを深く吟味し、侃侃諤諤の議論を繰り交わすこともない。敵が出てきたら切る、ただそれだけである。


「ただ、そうだね。――そっちの方が、おもしろい」


 仮に第三勢力がいるならば、きっとそれは楽しいだろう。ラクトは確信に満ちた表情ではっきりと断言する。だって、あの人ならきっと笑いながらそう言うだろうから。


「よし、やる気が湧いてきたね。とりあえず私たちも探索には参加するけど、まだしばらくは暇かな?」

「そうじゃな。幸か不幸か、亀の甲羅では戦いもないようじゃしのう」


 戦闘制限区域に設定される亀の甲羅では、ラクトたち戦闘職の出番はない。考察組は寝る間も惜しむ忙殺ぶりだが、彼女たちは呑気にショートケーキを頬張る余裕すらあった。


「そういえば、もう一つ話さなければならない事がありましたね」


 議論が落ち着いた頃合いを見て、アイが口を開く。彼女がもたらしたのは、亀の甲羅上で見つかった別の異変についての話題だった。


「亀の甲羅の頂上ですか」

「ええ。中央へ近づけば近づくほど、傾斜が急になり登攀が困難になるようです。〈登攀〉スキルレベル90のクライマーも、専用装備を用意した上で挑戦したようですが、頂上への到達は叶っていないようですね」


 亀の甲羅は中央に向かって盛り上がっている。その様子は、レティたちも十分に知るところである。そして、高くなった地形を見れば登りたくなる人種という者は一定数存在する。登山者とも言われるような一部のプレイヤーは、〈オノコロ高地〉の雪山をはじめとした峻険な地形に魅了され、その頂点に立つことを競っていた。そんな彼らが、亀の甲羅の頂点にも至りたいと考えるのはむしろ必定と言えた。

 しかし、いざ取り掛かろうと動き出した彼らは、途端に困難に直面した。中央へ向かえば向かうほど、斜面が急に傾き、立つこともできなくなるのだ。


「画像解析の結果でも、異変は確認されました。海上から観察した写真、このキャンプ地からの写真、そしてここから2kmほど進んだ地点からの写真です」


 アイが表示した写真は、どれも亀の甲羅の中央部分を睨んでいる。しかし、その印象はどれもバラバラだ。


「確かに、明らかに険しくなってるね」


 ラクトも悩むそぶりなく認めるほどに、その勾配が傾いているのだ。遠目にはなだらかな丘程度に見えた斜面が、近づくと絶壁のように聳えている。明確な異変であった。


「なるほど、確かに絶壁になってますね」

「すごい絶壁だよ!」

「蝿も止まれないんじゃないかな?」

「かなり絶壁ですね」


 他の面々も写真で明示されれば、即座に理解する。


「レティさん?」

「なんですか、Letty。早くケーキのおかわりを持って来てください」


 Lettyがぴょんぴょんと跳ねながらケーキを取りに行くのを横目に、アイは話を進める。


「これも何らかの空間的な異常と考えていいでしょう。T-1さん、またオトヒメさんに相談したいんですが……」

『うむ? ああ、たしかに、あやつなら適任じゃろうな』


 古代エルフ語の解読でも助けになったオトヒメは、第零期先行調査開拓団の時空間構造部門と呼ばれる部署に所属していた。こと空間に関連することであれば、彼女ほどの有識者はいない。

 ショートケーキ稲荷を摘んでいたT-1も二つ返事で了承し、再び〈エウルブギュギュアの献花台〉との通信が行われた。


『やっほー♪ また連絡してくれるなんてウレシーじゃん』


 再びビデオ通話が始まり、オトヒメがにこやかな顔で現れる。


「オトヒメさん。まずはこの写真を見て欲しいんですが……」


 早速アイが写真をもとに状況を説明し、疑問を提示する。そんな彼女の話を聞いているうちに、オトヒメの表情が真剣な研究者のそれに変わっていく。


「――というわけなんですが、何か情報は得られないかと思いまして」

『なるほどね。大体分かった』


 雰囲気が変わったオトヒメに、周囲がざわつく。そんな中で彼女は口を開いた。


『これは空間の屈折現象を利用した初期の情報圧縮技術が使われていると考えられるね。かなり古い時期に流行したものだけど、骨子はその後も連綿と受け継がれてきたもので、いわゆる枯れた技術と言われることもあるくらい、信頼性の高いものよ。利点としてはその安定性にあって、一定のエネルギーが供給できていればほとんどメンテナンスフリーで長期間維持できるの。理論構造自体が単純というのもあるけれど、回帰性特性を有しているから自己保存の原則が適用されて、内部安全性が高い確率で保証されているというのが大きいわね。代わりに外部からの隠蔽工作というものが構造的に難しいという欠点もあって、この写真比較による露呈なんかもその顕著な例といって差し支えないでしょう。空間屈折は一定距離まで近づくと次第に効果が漸減するようになっているからね。本来の地形としては間近で見ている急峻な斜面が正しいけど、よく見ると斜面はただ圧縮されているだけじゃなくて、情報的な分割と局所的削除も行われているのが分かるでしょう。これがこの技術を用いた空間固定現象の特徴でもあって、面白いのはこの削除された空間に二次的複製空間を生成すると理論上の無限回帰構造のフラクタル的力学フィールドの再生性が連続的かつ恒常的に発生するの。その詳細はレゥコ=ナイノレスの論文集第2991巻に収録されてる『空間屈折の情報的削除における無限の恒常性とその論理的保証式に関する理論の検証』が最もうまく説明しているのだけど、そもそもの初期構想理論時代の統一予想第99法則はこれをより抽象的な形ながら的確に表現しているという説もあって――』


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Tips

◇オトヒメによる時空間構造学初級講義

 〈エウルブギュギュアの献花台〉第五階層、地上街の中央制御塔では毎日、管理者オトヒメによる時空間構造学初級講義が開講されています。参加は予約制で先着9000名まで。参加費は無料です。一コマ二時間の八限制で、時空間構造学における初歩的な用語と理論の理解を目指します。

 事前の学習として、参加申し込みの時に配布される教科書の1巻から75巻までを一通り目を通しておくだけでも、理解度がかなり高まることでしょう。102巻まで通読し、206巻の補足を確認しておけば、より深く理解することができます。

 調査開拓員各位の積極的な参加を楽しみにしています。


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