第1641話「穴に落ちて」
甲羅は分厚く濃緑の苔が覆い、それは踏めば染み出すほどに濡れている。光を受けてテカテカと輝くそれは、油断すれば容易に滑った。
『ぬわーーーーっ!』
「ちょっ、ウェイドさん!? だからあれほど気を付けてときゃああっ!?」
つるりと転んだウェイドが上から降ってきて、レティがそれに巻き込まれる。コロコロとおむすびよろしく坂を転がり落ちた二人は、逞しく根を張る巨木にぶつかってようやく止まった。すぐに随行する支援機術師が駆けつけて、二人に怪我がないことを確かめる。
管理者機体のウェイドは傷ひとつなく目を回している程度だが、レティは腕のスキンが少し破れていた。修復パッチを当てる応急処置を受けながら、レティは恨めしそうにウェイドを見る。
「レッジさんを見つけたくて気が急ぐのは分かりますけど、もう少し落ち着いてくださいよ」
『なっ、私は冷静沈着ですが!』
ムキになって言い張るウェイドだが、周囲の誰もそれに賛同しない。そもそも、前衛であるレティより先を歩いている時点で、彼女の焦りは火を見るより明らかなものだ。
各地に遺跡の残る、巨大な亀の背に上陸したレティたち一行。レッジの捜索隊として踏み入った彼女たちだが、現状は目立った成果もあがっていない。上陸地点が悪かったのか、遺跡にもまだ辿り着けていないのだ。
鬱蒼と苔と木々が繁茂する景色は、まるで人里離れた原始の山のようだ。幽玄たる森の中へ迷い込んだような神秘的な気配さえ感じられる。それでいて、異様なほどに生気が感じられない。
「なんだか、この植物も作り物っぽく見えるんだよね」
ラクトが近くに垂れ下がった枝の葉っぱを掴んで眺める。常緑樹のそれのようにツルツルとした張りのある表面は、どこか現実味がない。まるでプラスチック製の造花のような質感だ。
しかしながら、鑑定士が植物を調べてみると、“ホウライの緑樹”という名前が現れる。詳細は定かではないが、一応、植物であることに間違いはない。
この植物そのものの質感も手伝い、山を俯瞰すると異様な空気が醸し出されるのだ。わざとらしいほどの緑色は、まるで原色の絵の具を撒いたかのようで、雄大な自然を前にした時の感動のようなものがほとんどなかった。
周囲から鳥の囀りや虫の音のひとつも聞こえず、ただ海の波打つ音だけが遠くに響いている。深い谷の奥に迷い込んだような不安が、捜索隊の胸によぎる。
『上からは何か見えるかの?』
T-1が観測班の一人に尋ねる。機獣使いである彼は、空にジェラルミンホークを飛ばし、その視界を共有して周辺一帯を俯瞰していた。
空高くで翼を広げて旋回している鷹が、甲高い声を発する。
「目立つものは、何も。でも、もうすぐで地上からも一つ目の遺跡が見えると思います」
さしあたり、捜索隊は近くの遺跡を目指して亀の甲羅を登っていた。鬱蒼と緑の繁る森の中では前方さえ見通しが立たないが、鳥の視点では目的地がしっかりと近付いていることが分かる。
彼の言葉に勇気づけられ、一行は再び登り始める。
「ふぅ、ふぅ。あっ、見えましたよ!」
先頭を歩いていたレティが前方を遮る枝葉を掻き分け、ついに明るい声をあげた。眼前に、緑に埋もれるようにして僅かに灰色の石が覗いている。風雨に晒され朽ちてはいるが、明らかに形を整えられた四角い石だ。
レティが目指していた遺跡を見つけた途端、彼女の脇をすり抜けるようにしてウェイドが飛び出す。
『うおおおおっ! そこにいるんですね、レッジ!』
「ちょっ、ウェイドさん!?」
不用意な行動は避けて、とレティが止める間もなく、ウェイドは遺跡を呑み込む茂みへと飛び込む。ガサゴソと密集した濃緑色の葉が揺れた、直後。
『ぎゃーーーーーーっ!?』
ウェイドの悲鳴が突き上がる。
レティたちは血相を変え、それぞれの得物を手にしようとして、阻まれる。ここは“ホウライの加護”の影響範囲内。非戦闘区域に設定され、武器を手に取ることができない。しかたなくレティたちは徒手空拳のまま、ウェイドを追いかけて茂みへと飛び込む。
「ウェイドさん!」
兎にも角にも管理者の保護が優先である。悲鳴のした方へと茂みを掻き分けて進むレティは、前に意識を傾けすぎた。見通しの悪い茂みということも災いし、彼女は足元にぽっかりと空いた穴に気が付かなかった。
「ぬわーーーーーっ!?」
「レティまで!?」
ウェイドを追いかけて悲鳴を上げるレティに、ラクトたちはいよいよ警戒を強める。何があってもいいようにしながら、武器を取り出せないことに歯噛みする。誰が二人を追いかけるべきかと互いに視線を交わした直後のことだった。
「レティは無事です! ウェイドさんも、その、一応……?」
地面の方から、レティの声がする。なぜか疑問符のついた言葉を訝りつつも、ラクトたちはひとまず安堵する。落ち着いて、状況を尋ねる。
「安全な状況ならいいんだけど、大丈夫?」
「なんとか。何か明かりが欲しいです」」
すぐに茂みの中を慎重に進み、ぽっかりと空いた穴を見つけた捜索隊の一人が懐中電灯を投げ込む。穴はさほど深いわけではないようだった。レティがライトを拾いあげると、穴の淵に集まったラクトたちも内部の様子が見えた。
亀の甲羅が一部欠けたのか、簡単な窪みのようになっている。多少は奥に広がっているようだが、抜け出そうと思えばすぐに抜け出せるだろう。
『ぐ、ぐぬぅぅ』
「うわぁ……」
ただし、底は長年にわたって雨風に曝されたのか、ヘドロのようなものが堆積している。真っ先に落ちたウェイドは、不幸にも頭から突っ込んだのか、ボコボコと泡立つ汚泥から足二本だけを天に突き出していた。
レティは不意の落下とはいえ、流石の運動神経を発揮して、壁に手をついて滑るようにして軟着地を果たしたのだろう。泥に足をつけることもなく、困った顔でウェイドの足を見つめている。
「ロープか何かありますか? とりあえず引き上げないと――」
上に向かってそう言いかけたレティは、懐中電灯を周囲に巡らせてふと気付く。穴の壁面が不自然に滑らかだった。
「これはいったい……。何か文字が書かれているような……」
「文字? 何か見えるの? スクショ撮って送ってくれない?」
「はい!」
レティが素早くスクリーンショットを撮影し、穴の上にいるラクトへと送る。それを確認したラクトは、はっと目を剥いた。
「これ……古代エルフ語だよ!」
レティにとっては見慣れない図形の羅列。しかし、ラクトにとってはレッジと共に解読した古代の言語である。塔の中で使われていたはずの古代エルフ語が、なぜここに。そんな疑問も抱きつつ、ラクトは早速解読を始めようとする。
その時だった。
『ま、まずは私を、引き上げてくれませんか……!』
泥の中から、ウェイドの悲痛な声がした。
━━━━━
Tips
◇古代エルフ語
かつてエルフ族によって使用されていた言語およびその文字。三種類の基本図形と、その発展形によって表され、発音は比較的容易。調査開拓団の共通語との一致点も見られるものの、直訳すると非常に難解な表現となるため、読解には特別な知識が必要となる。
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