第1639話「彼の影を感じて」
アストラは何を聞いても「すごいすごい!」と言うばかり。壊れたラジオか九官鳥かオウムのような様に、アイもついに追及を諦めた。とにかく海上に出てみなければ事態の全容は掴めないと悟り、彼女は全船に浮上の指示を出す。
「この亀、安全なものなんでしょうか」
「とりあえず攻撃してくる気配はないけど」
頭上に浮かび日光を遮る巨大な影を見上げて、レティたちも不安そうにしている。しかし、亀が水の深いところまで追ってこないことを知ると少しだけ警戒を解いていた。それでも大きさだけは凄まじい。縦横ともに数キロメートルという単位の巨大さで、明らかにこれまで出会った原生生物の中では最大規模である。当然、その下から海面に浮上するにも時間がかかる。
「そもそも空から落ちてくるなんて。〈黄濁の溟海〉の空ってどうなってるの?」
「それが分かれば苦労しないのよね。肉の種子が落ちてくる理由だって分からないんだし」
むむむ、と頭を悩ませるラクト。エイミーはもはや考えるのも無駄であると言いたげであった。
「そろそろ上がれそうだよ!」
船首にしがみついていたシフォンが声をあげる。クチナシが制御する装甲巡洋艦が、ゆっくりと浮上を始め、甲板にも光が届き始めた。
巨大な亀のヒレを掠めるようにして、彼女たちは飛沫をあげて海上へと飛び出す。勢いよく少し空中へ飛び出すほどの勢いで、再び青空の下へと戻った。
「うひゃあ、当然ですけど、甲羅も大きいですね!」
「山みたいというか、ほとんど山じゃん!」
腹を見上げるような形でしか見えなかった亀を横から見る。甲羅は高く隆起し、ゴツゴツと巌のようだ。年月を感じさせる苔のようなものが表面に張り付き、あまつさえ森のように植物が茂っているところさえあった。
サイズからしても、ほとんど島となんら変わらない。都市ひとつを胃の腑に飲み込んでいる呑鯨竜を、さらにそのまま上に載せられるようなサイズ感だ。
「あっ! いた!」
双眼鏡を覗いていたアイが大きな声をあげる。彼女の指差す先――亀の甲羅の縁にあたる断崖絶壁にアストラが立っていた。金髪と爽やかな笑顔が、遠く離れていてもよく目立つ。一時は消息も不安視された彼は、どうやら五体満足でピンピンしているようだった。
アイはその姿に胸を撫で下ろしつつも、心配させるなと拳で訴える。だがあまりにも距離が離れているせいか、そのメッセージがうまく伝わっているかどうかは悩ましいところだった。
「ねえ、レティ。あの亀……あちこちに建物みたいなの建ってない?」
「ええっ? ――本当ですね。廃墟みたいなものが見えます」
ラクトの硬い声にレティも応じる。
森が茂っているだけかと思われた亀の甲羅には、その緑に埋もれるようにして明らかな人工物が点在していた。どれも風化しており、管理下から離れて久しいことは明白だが、そもそも廃墟があること自体が驚きである。
エルフの都市に続く古代都市の遺構に、解析班や考察班から悲鳴のような歓声があがる。今すぐにも上陸(?)しようという声が、次々と突き上がる。
「とりあえず、アストラさんのところへ向かいましょう。どうやって助かったのかも聞きたいですし」
レティの提案は全面的に受け入れられ、船は一転、亀の方へと近づいていく。甲羅の縁で手を振るアストラの元へと向かい、次々とロープや梯子がかけられた。
「アストラさん、ご無事なようでなにより」
「すごいなぁ。本当に!」
「アストラさん……?」
無事に保護されたアストラは、満面の笑みを浮かべて称賛の言葉を繰り返す。様子がおかしい彼に、レティたちは顔を見合わせる。
「色々聞きたいこともあるんですけど、とりあえずどうやって助かったんですか?」
彼は空中で肉の種子を掃討しており、亀を避けることはできなかったはずだ。しかし、押し潰されることはなく、こうして無傷で亀の甲羅の上に立っていた。レティがその理由を尋ねると、アストラはようやく少し落ち着きを取り戻して考え込む。
「そうですね……。俺も原理は分かってないんですが、どうやらレッジさんが助けてくれたみたいです」
「は?」
青い瞳は澄んでいた。
彼の言葉を聞いたアイは、一気に冷めていく。何言ってんだこいつと言わんばかりに、アストラを見上げている。そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、アストラは疑いのない顔で語る。
「俺も流石に死んだかと思ったんですけどね、何故か気が付いた時には亀の甲羅の上に立っていました。最初は何かしらの攻撃という可能性もよぎりましたが、どうやら違ったようで」
「だからと言ってなんでレッジさんが出てくるの。あの人、今は深海にいるって説が有力なんだけど」
アストラは、爽やかな笑みを浮かべて答える。
「だって、この亀の甲羅の上――ここ全部テントの範囲内なんだ」
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Tips
◇双眼鏡
なんの変哲もない双眼鏡。シンプルゆえにスキルを要求せず、誰でも使用できる。遠くのものを見るのに便利だが、視野が狭くなる。
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