第1638話「落ちてくる亀」

 Lettyが船室へ向かおうとした矢先、観測班から悲鳴のような声が上がる。上空を翔ぶアストラも何かに気が付いたようで、次々と肉の種子を踏みつけて高度を維持しながら更に上を見据えていた。


「なっ……!? あれはいったい――」


 双眼鏡を覗いていたレティが耳を垂直にする。白く霞む薄雲の向こうから、黒い何かが落ちてくる。それは明らかに肉の種子よりも遥かに大きい。


「攻撃の手を止めるな! 肉の種子は全て退けるんだ!」


 慄然としかけた甲板に檄が飛ぶ。正体不明の存在に目を奪われている余裕はなかった。アストラがどうしても撃ち漏らしてしまうわずかな肉の種子を、銃士たちが確実に仕留めなければならない。我に返った調査開拓員たちが引き金をひき、銃声があちこちで上がる。肉の種子が弾け飛んでいく。

 だがそれ以上に、上空から迫る巨大な影に意識を向けざるを得ない。


「これは……なんて大きな……」


 落ちてくる速度は、肉の種子を上回る。加速しながら、下へ進んでいるようだ。次々と肉の種子が押し潰されて爆ぜる。その様子をアストラも静観しているようだった。いや、容易に近づけば自分も同様の結末を迎えると察しているのだろう。

 それは――。


「なんて大きな、亀なんですか!」


 空を覆い尽くすほど巨大な、亀であった。


「総員退避! 下にいたら押し潰されますよ!」


 アイが叫び、クチナシ各船が一斉に動き出す。リアクターエンジンを最大出力で動かし、非常用電源もフル活用して。プロペラの推進力だけでは足りず、ジェットブースターも併用する。


「逃げろおおおお!」

「亀がデカすぎる! 逃げきれない!」


 見上げれば、巨大な亀の裏側。それは確かに落ちてきているが、あまりにも大きすぎるが故に距離感が喪失する。どれだけ距離を稼いでも、亀の下から出ることができない。

 肉の種子はブチブチと潰され、海虫のグソクムシたちも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。それが彼らにとっての天敵であることは明白だった。


「しかたありません。――各船、潜水装備を展開!」


 アストラは依然として上空にいる。彼に代わり総指揮を執るアイが決断を下した。

 水平方向に動いても、亀の下から脱することはできない。それならば、より下方へ逃げる。


「クチナシ、聞いてましたか?」

『いえっさー』


 十七番艦もアイの指示に従い、船倉に備えていた装備を取り出す。クレーンアームによって甲板下の格納庫より運び出された装備を展開しながら、各部に設置されたエネルギーフィールド展開装置を点火する。


『斥力フィールド展開。機関部止水完了。装甲拡張完了。メインバラストタンク、サブバラストタンクAからD、注水開始。アンカー射出。――クチナシ十七番艦、急速潜航』

「うわあああああっ!?」


 ジャリリリリリッ!


 船側から碇が解き放たれ、船は海水を飲み込みながら浮力を手放していく。無茶を承知の急激な動きに、甲板が前後左右に大きく揺れる。レティたちは急いで手近なものにしがみつき、振り落とされないようにしながら船が沈むのに備える。


『排水機能問題なし。このまま水深50メートルを目指すよ』

「100メートルまで潜ってください! どうせ下に海底はありません!」


 アイが潜航水深を修正する。周囲の船も次々と潜水装備を展開し、勢いよく海面下へと潜っていく。

 クチナシ級と呼ばれる船舶は、高い拡張性が特色のシリーズである。宇宙空間にさえ耐えるほどの装甲を増設することもでき、あらゆる環境に耐えられる。当然、海中はその範疇に含まれていた。

 ブルーブラストの燐光を尾のように伸ばしながら、船首を斜め下方に向けて水深を稼いでいく船団は、甲板に大きな泡のように空気を背負っている。〈ビキニアーマー愛好会〉によって開発された斥力フィールド技術を用いたものであり、レティたちも潜水艦に搭乗しながら呼吸の問題を無視できる。


「亀が着水します!」


 調査開拓員の声。その直後、レティたちの頭上で凄まじい衝撃が貫いた。


『オオオオオオオオオオ――』


 重く低く響く声を発しながら、巨大な亀が海に足をつけたのだ。当然、そこで止まるはずもなく、ずぶりと沈みはじめる。しかしながら、その速度は空気中での落下よりはかなり遅い。〈黄濁の溟海〉の莫大な水が、強力な緩衝材として働いていた。

 だが、見上げるレティたちは安堵よりも衝撃を大きくする。


「に、肉の種子とグソクムシが!」


 亀という天井が落ちてきたことにより、肉の種子とグソクムシが接触してしまった。レティたちが危惧していたことが現実の光景となる。それは、彼女たちの予想を超えていた。


『ギィイヤアアアアアアッ!』

『グルァアアアアアッ!』


 両者は亀の腹に押し潰されながらもお互いを喰らい始めていた。肉の種子がグソクムシに根を伸ばそうとすると同時に、グソクムシは肉の種子に貪りつく。お互いにお互いを傷付け、取り込もうとしている。

 そして、肉の種子を喰ったグソクムシは急激に体を変化させ、肉の種子もまたグソクムシに根を張った瞬間に枝のように首を伸ばし始める。

 亀の腹の下、荒れ狂う水中で、巨大で急激な変化が起ころうとしていた。


「いったい、何が……」

「とにかく近づくのは危険でしょう。あの亀の正体も気になりますが、もっと深度を稼がないと!」


 呆然とするレティ。アイは各船のSCSにより深く潜るよう指示を出す。


「そういえば、アストラは?」


 ぐんぐんと深海へ進むクチナシの甲板で、ラクトがはっとする。アストラは上空で亀を迎えていた。クチナシの全力でも逃げきれなかったほどだ。彼一人では、たとえステータスを極限まで引き上げていたとしても。


「まだ、死んではいないみたいです」


 心配するラクトに、アイがステータスを確認しながら伝える。とはいえ、そもそも彼が死ぬとは毛頭思っていないようではあったが。


「じゃあ一体、どこに……?」


 頭上には亀の腹。その直下で、肉の種子とグソクムシが骨肉の争いを繰り広げながら、互いに成長を始めている。嫌な予感が、調査開拓員たちの脳裏によぎった。

 これからどう行動するべきかとレティも判断しかねている。

 そんな時、アイの元へとTELが飛んできた。


『アイ、すごいぞ! これはすごい!』

「兄貴!? 何やってるの? というか、どこに――」


 その声は、明らかに興奮しているアストラのものだった。


━━━━━

Tips

◇潜水装備

 調査開拓用装甲巡洋艦クチナシ級のために開発された専用アタッチメント。展開することによって潜水航行が可能となる。


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