第1636話「進退両難」

『まさかこんなところでお稲荷さん食べ放題が楽しめるとはのう。合法的に堂々といくらでも食べられるとは!』

『砂糖の禁輸で一時はどうなることかと思いましたが、ここで思う存分食い溜めできるというものですよ!』


 左団扇とはまさにこのこと。管理者と指揮官は次々と届く稲荷寿司と菓子類を食べつつ至福の表情で頬を押さえていた。彼女たちの本体である中枢演算装置の計算能力を考えれば、“氷の人”を100体程度動かすのもどうと言うことはない。そんな簡単な仕事をこなすだけで好きなものを好きなだけ食べられるのだから素晴らしかった。

 ずっとこのままでもいいかも、などと急進派のT-1らしくもない事も脳裏に過ぎるほどである。ウェイドは自分の都市の砂糖禁輸措置が続行していることも考えて、できるだけ今を楽しもうと躍起になっていた。


『ほれほれ、お稲荷さんが足りないのじゃ。次はシンプルなお稲荷さんが食べたいのう』

『甘ければなんでもいいですよ。私はT-1と違ってわがままじゃないので!』

『なんじゃとう?』

『この程度でイライラするなんて、糖分が足りてないんじゃないですか?』

『ふん。しかたない、お稲荷さんを食べて落ち着くのじゃ』


 他の管理者たちが聞けば呆れて白目を剥きそうな、いっさい中身のない会話をしながら、二人はパクパクと食べ続ける。そのペースは当初からまったく衰えていない。

 実際のところ、二人も満腹感というものはほとんどなかった。ミカゲたち呪術師による『呪爆』が氷の人に発動した時に生命エネルギーが消費されることは事実であり、使役者である二人の満腹感を減少させているのだ。


『グソクムシはこのままずっと出てきてもいいくらいですね』

『全くなのじゃ!』


 指揮官とも管理者とも思えないようなことをのたまう二人。そこへ突然、ドアを蹴破るようにしてレティが飛び込んできた。


「ままま、まずいですよ!」

『なんじゃ突然!?』

『こっちは美味しいですが?』

「何を寝ぼけたこと言ってるんですか。頭まで糖分たっぷりになっちゃって! そうじゃなくて、肉の種子が飛んできます!」


 バケツプリン・ア・ラ・モードを抱えて首を傾げるウェイドを一蹴し、レティが青ざめた顔のまま言い放つ。しかし、依然として二人はパクパクと口を止めず、理解もしていないようだった。


『なんじゃ。そちらはお主らに任せる手筈じゃろう』

『私たちはグソクムシの相手に忙しいですからね。うまうま』

「あーもう、一回オーバーホールした方がいいんじゃないですか!? 報告書、あげましたよね!?」

『報告書ぉ?』


 そういえば、とT-1はお揚げに染みた出汁でテカテカと光る指先で周囲を弄る。散乱した寿司桶の下に、グシャグシャになった紙の報告書が窮屈そうに挟まっていた。

 記憶を掘り返してみると、少し前に騎士団の何某かがこれを持って来たような気がする。しかし、直後のやってきた稲荷寿司を出迎えることに意識を割かれ、一瞬で記憶の片隅に追いやられてしまっていた。


『こういうのはデータで送って欲しいんじゃがのう。えっと、何々……?』

『グソクムシと肉の種子がぶつかると、予期せぬことが起こる? 砂糖が増えるんですか?』

「本当に二人とも上級NPCですか!?』


 頭の上にクエスチョンマークを浮かべる二人を、レティは信じられないような顔で見る。このすっとぼけた二人が調査開拓員を率いる権限を持っていることが、今はとても信じられない。

 それでもレティは、二人に説明しなければならなかった。


「グソクムシは生命エネルギーを求めて現れてるんです。それはお二人もわかってるでしょう。そして、肉の種子は生命エネルギーの塊です。今までは両者が交互にやって来ていましたが、次の肉の種子は高い確率で、グソクムシの出現と重なってしまうんです!」


 そうなると、どうなるのか。明確な答えはまだ分からない。しかし、実際に分かってしまうことは、避けなければならないだろう。〈大鷲の騎士団〉の解析班や参謀部も交えた検証会議の結果、レティたちはそう結論づけた。

 そしてついに、観測班が上空からこちらへ落ちてくる肉の種子の一段を感知したのだ。それが海面まで落ちてくるまでおよそ15分。今、甲板は慌ただしく迎撃の準備が進められている。


「二人はこの船室から出ないように。カミルやクチナシも他の船室に避難してもらっています。私たちだけで迎撃をしますが、撃ち漏らした場合にどうなるかは分かりません」

『ぬぅ……。その場合、お稲荷さんはどうなるのじゃ?』

『そうですよ。お菓子がないと私たち戦えません』


 レティのこめかみがピクリと痙攣する。一瞬、ハンマーを握る手に力がこもるが、目の前の二人を叩いたところでダメージは入らない。


「今、調理班の皆さんが全力で作ってくれてます。それを届けた後にはしばらく供給は途絶えるかもしれませんが、なんとか食い繋いでください」


 二人がここでようやく衝撃を受けたような顔をする。しかし、迎撃体勢に入った甲板では調理班もキッチンを広げることができない。こればかりは仕方のないことだ。ウェイドたちには耐えてもらうほかない。


『そ、そんな……』

『我々に飢えて死ねと!?』

「二人ともそんな柔な機体じゃないでしょう!」


 愕然とするウェイドたち。T-1の手から稲荷寿司がぽろりと落ちる。


「レティ、来たよ! もう見えてる!」

「くっ。――じゃあよろしくお願いしますよ。大事に食べてくださいね!」


 船室の外からラクトの切羽詰まった声がする。レティはハンマーを握り込み、狼狽える管理者と指揮官を後に残して甲板へ向かった。


「ラクト!」

「あれだよ。すごい数だ」


 甲板ではラクトが上空を指さしている。その方向へ目を向ければ、双眼鏡など使わずとも黒い粒が無数に空に広がっているのが見えた。レティはその数の多さに思わず生唾を飲み込む。

 これまでの襲撃の比ではない。千は優に超えているのではないか。そう思うほどに、黒粒が青空を汚している。

 海面では依然としてグソクムシの大群が船を登ろうと足をかけ、爆殺されている。泡立つ海にあとどれほどのグソクムシが潜んでいるのかも分からない。


「防御体勢を密に! 絶対に海面に落とすなよ!」

「レッジさんがいてくれれば、もっとやる気も出たんですが……」


 騎士団の重装盾兵たちが大盾を上空に向けて構え、防御機術師たちが目一杯にバリアを構築する。それでもなお、足りないだろう。

 金髪の青年が口元に爽やかな笑みを湛えて歩み出る。その手には聖剣が。その肩には白い鷹が。

 彼は上を見据えて剣の柄に手をかける。


「まあ、やろうか」


 たんっ、と軽やかな跳躍。白い光が彼を包み、白鷹が翼を広げる。開戦の火蓋が切られた。


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Tips

◇どすこいプリン・ア・ラ・モード〈横綱〉

 ちゃんこ専門店〈ファイト横綱〉の名物スイーツ。50リットルサイズの巨大バケツプリンを大皿に据え、ホイップクリームや季節のフルーツ、チョコレートソースなどで飾りつけた至極の一品。

 一皿で標準的なタイプ-ヒューマノイドの一日に必要なカロリーの50倍を賄える。

 これまで数多のフードファイターが挑戦し、無数の屍を晒してきた圧倒的な強敵。

 初心者は〈十両〉から挑戦することが推奨される。


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