第1634話「苦悩する運営」

 清麗院グループが所有する大規模データセンター。ひとつの都市に匹敵する広大な敷地に建造された巨大な構造物はいっさい窓がなく、鈍色の威容を周囲に見せつけている。量子演算や超伝導体など、清麗院グループが開発したさまざまな最先端技技術が注ぎ込まれ、建物それ自体が重大な機密の塊であるといって良い。十重二十重に構築された厳重な警備網は常に更新が続けられ、下手な監獄では比較にならないほどの堅牢さを誇る。

 地球3個分の正確な原子レベル物理シミュレーションも可能と言われるほどの圧倒的な計算リソースは、清麗院グループ傘下企業が様々な用途に利活用しているほか、他企業にも貸し出されている。そのリース料金の利益だけでも、清麗院グループ総決算の2%を占めるという。

 だが、そんな圧倒的な化け物スペックを誇る大規模データセンターの演算リソースのおよそ5%を占めているものがただのゲームであるということは、そう広く知られているわけではない。割合としてみれば小さな数字ではあるが、単純に考えて地球規模の物理シミュレーションの15%という計算量は、ただのゲームに費やすには破格すぎる。

 なぜそれほどの計算リソースが必要なのか。それは単純に、仮想現実ゲームの中に地球規模の惑星をシミュレーションしているからに他ならない。Frontier Planet Online――それはまさしく、新天地を人の手で作り出そうとする試みであった。


「先輩、調子どうっすか」


 データセンターの一角には、FPOの稼働を管理する部署が置かれている。イザナミ計画実行委員会とも呼ばれるゲーム全体の管理責任者――いわゆる運営である。交代制で二十四時間常に人員を配置している部署内は、FPOそのものの規模を見ると意外なほど閑散としている。

 カフェコーナーで濃いめのコーヒーを淹れてからやってきた白衣の青年は、ちょうど交代時間を迎えて出勤してきた人員であった。彼の問いかけに応じたのは、二行三列、都合六枚のディスプレイを並べてキーボードを叩いていた運営だった。


「どうもこうもねぇよ。イベントの進捗が妙なことになって、シナリオAIが不満たらたらだ」


 先輩運営のデスクには、空の紙コップが乱雑に積み上げられ、食べかけの羊羹バーが置かれている。

 彼らはFPOの運営という役職にはありつつも、本質的には技術者だ。だから白衣も着ているし、ブース自体もどことなく研究室的な趣きがある。FPOのゲームバランスのほとんどは、各分野を管理しているGMAIによって自動的かつリアルタイムに調整されている。彼ら運営の仕事はそれではなく、GMAIそのもののメンテナンスと監視だ。


「またですか?」


 苛立ちと疲労の隠しきれない先輩の言葉に、後輩はため息混じりで背後に移動する。肩越しにディスプレイを眺めてみれば、無数のコマンドが羅列されていた。GMAIのひとつであり、ゲームの物語を管理するシナリオAIと先輩が延々と問答を続けていた形跡が見て取れる。

 素人が見ただけではただの英語の羅列にしか見えないそれも、専門職にかかれば流暢な会話に変わる。どうやら先輩もずいぶん苦労しているようだ、と若い運営は憐憫を覚えた。


「第9回はいちおう問題なく進んでるんじゃなかったんですか?」

「そのはずなんだが、昼間におっさんがログインしてきたみたいでな。途端にシナリオAIが怯えちまった」

「高性能すぎるってのも考えものですね」


 本来、 AIに感情というものは備わっていない。しかし一定以上の規模へとデータ量が拡大すると、その狭間にラグが生まれ、それを保管するような曖昧さが発生し、対極的には人間の感情と近似したような反応が確認されることがある。清麗院の大規模データセンターほどの規模にならなければ現れないようなものではあるが、これがあるからこそFPOの管理を無人化できない。


「完全におっさんアレルギーになってるな」

「まあ、あれだけ毎回せっかく考えたストーリーをひっくり返されちゃあね」


 困り果てる先輩の反応からも窺えるように、この問題は今に始まったことではない。シナリオ AIが目指すFPOプレイヤーにおける最大多数の最大幸福を満たすシナリオはたびたび特定個人によって破綻させられ、そのたびにシナリオAI自身が必死にその場その場のアドリブを駆使しながらフォローしてきたのだ。

 FPOのサービス開始直後からそうだったとはいえ、AIとしての学習段階にはほとんど見られなかったイレギュラーが多発したことで、すっかりAIの過学習が進んでしまったのだった。


「おっさんは今なにを?」

「深海1000m付近を泳いでるよ。なんでLPの均衡が取れてるのかは俺にも分からん」

「やっぱゲームバランスぶっ壊れてますよ、これ」

「物理 AIもアイテムAIも、問題はないって言ってるんだけどなぁ」


 惑星イザナミの物理法則を担うAIは水圧や光量に問題はないという。アイテムAIも当該プレイヤーが装備、使用しているアイテムにバグデータは認められないと主張している。つまり彼は今、まったく正規の手段だけを用いて悠々自適に深海を泳いでいる。

 すると、ディスプレイ上の黒いウィンドウに緑色の文字列が浮かび上がった。


[Scenario:Prayer(ID:000030316)の安全性評価をしてください]


 それは、話題に上がったプレイヤーが不正行為、いわゆるチート行為に手を染めていないかという調査の依頼だった。発信者はシナリオAIである。


[Conductor:Prayer (ID:000030316)の安全性評価はAである]

[Scenario:異常行動が見られます]

[Conducter:いつものことだ]


 先輩運営が定型文と化した返答を打ち返すと、シナリオAIは即座に反論する。それに対する答えも決まったものだ。

 Prayer (ID:000030316)は常に専属の監視スタッフがついており、不正行為があれば即座に報告される。バグ的な挙動を利用したハイパージャンプを行った際も、即座に報告があがってきた。あの時はシナリオ AIが鬼の首を取ったように勝ち誇り、今すぐあいつを処分しろと津波のようにコールを送ってきて大変だった。


「おっさんもただ泳ぎたい時ってのがあるんだろ。多分他意はないって」


[Scenario:信じられません]


「そう言わずにさぁ」


 実際、序盤に多少の波乱はありつつも、現在のイベントはつつがなく進行している。〈白鹿庵〉や〈大鷲の騎士団〉が中核となって、正規ルートと言える遠洋目指して航海中なのだ。

 シナリオAIにはこれから頑張ってもらわなければならない。


「あーもう。こういうのは禁じ手なんだけどな……」


 疲労困憊が際立ってきた運営が、半ば諦めたようにキーを叩く。


[Conducter:第9回のイベントが無事に終わったら、何かしら報酬を与えよう]


「いいんですか、先輩。AIに報酬系を構築するのは……」

「しかたないだろ。こうでもしなきゃサービス停止になっちまう」


 最悪なのはシナリオAIが職務放棄することだ。そうなればFPOのサービスそのものが立ち行かなくなってしまう。それだけは避けなければならないと、運営側はAIにひとつの約束を持ちかけた。


[Scenario;…………]


 にわかにデータセンターの計算量が増加する。シナリオAIの応答が滞っているのを見るに、何を報酬に設定するべきかと考えているようだった。AIに感情はないが、この計算のムラによって個性が生まれる。


「主任に怒られても知りませんよ」


 自分は巻き込まれたくないと青年はコーヒー片手に自分のデスクへ逃げていく。思いのほか真剣に考え始めているシナリオAIを見て、先輩運営は軽率だったかと今更ながらに後悔し始めていた。


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Tips

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