第1629話「形代の人形」

 ウェイドたちによって解き放たれた“氷の人々”は隊列と陣形を整えて海へ広がっていく。氷でできた体は水中で形を変え、ぴったりと揃えられた足が人魚の尾鰭となった。柔軟に形状が変化するのは、氷で作られた体の利点であった。

 周囲の水を力強く蹴って、人魚となった“氷の人々”が展開する。その様子は明滅するマーカーとして、クチナシ甲板に設置された巨大ディスプレイの地図上にも記される。


「150体と聞くとかなり多いですけど、海に散開させるとかなり物足りなく感じますね」


 海図上で赤く光る点の群れを眺めて、レティが率直な言葉を述べる。探知範囲のギリギリまで離れた150体の人魚たちも実際にはかなりの広範囲に及んでいるのだが、あまりにも〈黄濁の溟海〉が広すぎた。


「そのあたりは“氷の人”の増産か、探査海域を変えることで対応するしかないでしょ」


 ラクトはそう答えながらちらりとウェイドたちを見る。“氷の乙女たちアイスメイデンズ”と“氷のおいなりさんズ”を操作している二人はそちらに深く集中している。彼女たちが“氷の人”の操作に慣れてくれれば、今後の効率も上がるはずだ。

 とにかく150体が円の範囲内で等間隔に配置され、前段階は完了した。そこから氷の人形は再び形を変え、今度は膝を抱えて背中を丸めた姿勢で球体となる。


「潜航姿勢。さ、どんどんいこうか」


 水圧に耐えつつ沈んでいくための体勢だ。通常ならば水に浮くはずの氷の機体だが、氷を圧縮して密度を高くすることで浮力を手放した。

 氷塊となった人魚たちが沈んでいく。同時に彼女らが5秒間隔で放つスキャンウェーブの観測結果が、ウェイドとT-1を通して解析班にも送られる。とはいえ、変わるのは水深と水圧、あとは光量くらいなもので、他のデータは微動だにしないのだが。

 流石に10メートルや20メートル程度の浅瀬にいるとはラクトたちも考えていない。そんな場所を泳いでいるのなら、すでに漁協連の大型網で捕獲されていることだろう。


「目指すは深海だね。“氷の人”の活動テストもしてないぶっつけ本番だけど……」

「今のところ骨格にダメージはないようです。順調ですね」


 ラクトもレッジと共に作り上げた“氷の人”には強い信頼を委ねている。とはいえ、実践に投入するのは今回が初めてで、にもかかわらず150体もの大群を投入することには不安を抱く。初動では特筆すべきトラブルは発生していないということに、ひとまず胸を撫でおろすも、油断はできなかった。


「このまま、何事もなく進めばいいんだけど……」


 レティの隣に立ったLettyが、心配そうな顔でそう呟く。

 背中を丸めた人魚たちが、ゆっくりと沈んでいく。その時。


「そろそろ飢餓の時間でーす。白玉を用意して備えてくださーい!」


 甲板にアナウンスがかかる。タイムキーパーをしていた調査開拓員のひとりが声を張り上げていた。もうそんな時間かとそれを聞いた調査開拓員たちが白玉を取り出す。レティやラクトもそれに続き、来る飢餓感に備える。


『ラクト、私もお腹が空くのでショートケーキを……』

『妾もおいなりさんが欲しいのじゃが……』

「二人も白玉は持ってるでしょ」

『ぬぅ……』


 一縷の望みをかけた二人が雨の日に捨てられた子猫のような目を向けるも、ラクトはすげなく一蹴。意気消沈した二人は仕方なさそうに白玉を手に取った。

 数分後、甲板上の彼女たちに凄まじい空腹感が襲いかかる。足元から崩れ落ちそうなほどの虚脱に耐えながら、甘すぎる白玉を錠剤のように飲み込む。すぐに症状は緩和され、調査開拓員たちは今回の飢餓の波も乗り越えた。


『うむぅ? なんじゃ、今回は随分軽いのう』

『というより、ほとんどお腹も減らなかったような』


 ラクトたちが白玉を食べているのを見ながら、T-1とウェイドが怪訝な顔をする。二人は自身の下腹部のあたりに手を当てて、不思議そうに首を捻った。


「もしかして、飢餓が薄かった?」


 目敏く気付いたラクトの指摘。二人は揃って頷く。

 ラクトはにやりと口角を上げ、予測の一つが実証されたことを喜んだ。ディスプレイに表示された“氷の人々”のエネルギー残量が、わずかに減っている。


「やっぱり、“氷の人”は使役者の飢餓感を肩代わりできるみたいだね。二人とも、これまでの飢餓感の1/76しか感じてないんじゃないかな」

『そこまで定量的な測定はできぬが、近いような実感はあるのう』

『いったい何をやったんです?』


 機獣使いがペットを出していたとしても、使役者の飢餓感が軽減されるという事実はない。この不可解な現象に説明がつけられず、ウェイドが眉を寄せた。


「重要なのは人型であるってことだよ。認識と言い換えてもいいかもね」


 この世界においては案外、認識というものが強く影響してくる。そのことを、レッジは何度も確かめてきた。トーカが首を切る時しかり、竜殺しの技を放つ時しかり。ラクトもまた、その効力が使用者の認識によって左右されることをまざまざと見せつけられてきた。

 “氷の人”の肝要なことは、人型であるということ。人である――より正確に言うならば、使役者と相似した形をしているということにより、使役者に降りかかる災を受け流す器となる。


「こっちも効力が確認できた」


 ミカゲがやってくる。彼の手には、黒く変色しボロボロと崩れていく人型の紙片――形代がある。

 災いを受け持つという意味では、彼が実証した紙人形の方が古典的だ。飢餓感を受け止めきれず自壊してしまうあたり、“氷の人”よりも少し脆いところはあるようだ。もちろん、コストの面では圧倒的な優位があるが。


「変わらず白玉を食べないと飢餓を乗り越えられないとはいえ、その負担を軽減できるのは素晴らしいんじゃない?」

『そうじゃな。これは功績として数えてもよいじゃろ』


 得意げなラクトにT-1も素直に頷く。白玉を食べなければ飢餓の悪影響を免れないものの、飢餓感そのものを軽減できるのは非常に有用だ。ミカゲの実験もあり、すでに呪具職人の方がにわかに忙しくなっているはずだった。


「ところでウェイド、“氷の人”のエネルギー減少量をプロットできない?」

「あ、こっちでやってみます」


 すかさず解析班の一人がキーボードを叩き、データを加工する。それを三次元的な空間座標にプロットしていくことで、広域に配置された“氷の人”の差異が可視化される。


「これは……」

「飢餓の量に傾斜がついてるねぇ」


 そこに映し出されたのは、微妙ながらも不自然なほどの傾きのついた数値の並びだった。


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Tips

◇形代

 人型を模った特殊な紙。呪いの媒体や受け皿など、さまざまな用途に使われる。これを飛ばして攻撃するのは難しい。


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