第1617話「フラグ建築」
レッジが不在でもイベントは進行する。レティの号令を受けて、クチナシ級十七番艦はゆっくりと動き始めた。茫洋たる〈黄濁の溟海〉、指針を西に取り、ひたすらに直進である。後ろには〈大鷲の騎士団〉の船隊も連なり、三角形の陣形を取って錚々たる威容を呈していた。
「もぐもぐ。とはいえ、基本的には平和なもんですね」
飢餓対策の白玉を頬張り、レティは少し落ち着きを取り戻す。意気揚々と号令をかけたはいいものの、このフィールドは普通にしているぶんには原生生物も湧いてこない静かな海だ。最低限の監視はしているが、まだ遠洋と呼ばれる〈塩蜥蜴の干潟〉から500km地点にも辿り着いていないため、ほとんど心配もしていない。
出鼻を挫かれた、と言うほどではないものの、少し勇足を気恥ずかしくなる。
「お嬢様、日差しも強いですし、船内に入られては?」
船首に立って前方を見つめるレティに促したのは、少し遅れてログインしてきたアンであった。彼女も釣りに興じることはなく、むしろ側仕えとしての立場でレティに声をかけていた。
遮るものが何もない海上は、意外なほど日差しが鋭い。さらに海面から反射する陽光も浴びるため、ただ日傘をさせば防げるというものでもないのが厄介だった。調査開拓用機械人形のスキンがその程度の紫外線で劣化するわけではないものの、煩わしいことに違いはない。
「いえ、もう少しここにいますよ。別に辛いわけでもないですから」
「そうですか……」
しかしレティはアンの申し出を断り船首に残る。涼しい船内で待っていても構わないことは分かっているものの、レッジがいない状況で引きこもるというのも不安だった。何より――
「レティさん、海が広くて綺麗ですね♡ ま、レティさんにはかないませんけど。 私、レティさんと二人きりでクルージングしたかったんです。できれば今度はもうちょっと小さい船で――」
レティのすぐ隣にピッタリとくっつき、間断なく捲し立てるLetty。広々とした甲板上でもこの暑苦しさだ。船内に入ればどれほどか、考えるだけでも疲れてきた。
そのうえ、船室にあまり立ち寄りたくない理由がもう一つあった。
「うわああ!? ヨモギ、ちょっとストップ! 紅蓮香が大量に溶けてる!!」
「はえ……?」
船内には大型の生産設備が備えられ、そこでヨモギが調剤をしている。しているのだが、そのパフォーマンスが著しく落ちていた。今も稀少な紅蓮香(末端価格50k/g)がドバドバと鍋に流し込まれ、ラクトが悲鳴を上げる声がしていた。
ヨモギもレッジと遊ぶつもりでログインしてきた矢先に彼の不在を知り、それ以降ずっと心ここに在らずといった様子なのだった。
「やっぱりなんというか、皆さん力が入ってない感じがしますね」
「そうですか? 私はバリバリ元気ですよ!」
Lettyのことはさらりと受け流しつつ、レティは周囲を見渡す。
甲板では〈白鹿庵〉の面々がそれぞれに好きなことをしているが、誰も彼もが少しだけ集中しきれていないような気がした。ヨモギは先ほどから立て続けに生産を失敗させているし、ラクトもその爆発に巻き込まれている。トーカは胡座を組んで瞑想しているように見えて、船の横揺れに耐えられていないし、ミカゲは古文書を読む手が止まっている。
『やっぱりクチナシ級四番艦は特殊な装備が多くてかっこいいわね。最大収容人数170名の大病室は流石だけど、まさか幹部専用の高等病室まで見られるなんて……。くふふっ』
唯一平常運転を続けているのは、先ほどからさまざまな艦に渡り歩いて写真を撮りまくっているカミルくらいなものである。
「本当にこの調子で大丈夫でしょうか」
若干の不安が、レティの胸を苛む。仲間たちもいざという時はしっかりと動けるだろうと信じているものの、今の様子を見ているだけではわずかな曇りが拭い取れない。
憂う表情のレティに気が付いたLettyは、ニコニコと笑って彼女の肩を叩く。
「大丈夫ですよ、レティさん! そもそも〈黄濁の溟海〉は遠洋にさえ入らなければ平和そのものなんですから。今はみんなリラックスしてても何も問題は――」
Lettyが言い終わらないうちに、二人は薄い影に入る。不思議なことだ。何もない、何もいない海で日差しを遮るものはない。影のなかに入ることなどあり得ないはずだ。
「……え?」
それなのに、レティとLettyが、トーカたちが、クチナシが巨大な影に包まれる。
「うわあああああああっ!? な、な、なにあれーーーーっ!?」
Lettyが真上を見て悲鳴を上げる。
「危ない、Letty!」
レティがはっとして彼女の腕を掴み、後方へと投げる。直後、巨大な質量の塊がクチナシ級十七番艦の船首に直撃した。
「レティさーーーん!?」
甲板に投げ転がされたLettyが血相を変えて叫ぶ。彼女を庇ったレティが、頭上から落ちてきた巨大な何かに潰された。すかさず緊急の警報が鳴り響き、T-1とウェイドは船内へと避難する。周囲の僚船がにわかに騒がしくなり、戦闘準備が進む。
Lettyは膝から崩れ落ち、呆然とそれを見つめていた。
「そ、そんな……」
崩れた船首。落ちて来たのは、ドクドクと脈打つ血管が這う、巨大な肉の塊のようだった。それが一体なんなのかは分からない。禍々しく、生々しく、近寄りがたい。だがそれ以上に、突如降ってきたそれによってレティが――。
「ひいいっ!? あ、熱っ!? なんですかこれ! あ、Letty下がってください! クチナシは船を止めて、周囲の警戒を!」
「れ、レティさん!?」
圧壊したかと思われたレティの焦燥した声。涙すら浮かべていたLettyは、呆然として耳を揺らす。幽霊を見るかのような目を向けるLettyの前に現れたのは、無傷でハンマーを握りしめるレティの姿だった。
「れ、レティさん、生きて……」
「あの程度避けられないでどうしますか! それより、はやく戦闘準備ですよ!」
さらりと言い切り、レティはハンマーを肉塊に向ける。その頃には、トーカとラクトも駆けつけていた。
Lettyはじんわりと目頭が熱くなるのを感じながら、頷き、ハンマーを握りしめた。
「そ、そうですよね。それでこそレティさんです。こんな得体の知らないキモい肉に負けるはずがないですよね。――へへっ、レティさんを倒したいなら、もっとパワーアップしてくるんですね!」
まるで自分が勝ったかのように威勢よく肉塊に叫ぶLetty。
その声に呼応したのか、脈動が加速し、肉塊が姿を変えた。
『ご、オォオオオオ……!』
「ひぎゃーーーっ!?」
お望みとあらば、とパワーアップを始める肉塊に、Lettyが再び悲鳴をあげた。
━━━━━
Tips
◇『瞑想』
〈機術技能〉スキルレベル10のテクニック。“八尺瓊勾玉”のLP生産能力を一時的に増大させる。頭部演算装置の領域を勾玉へと集中させるため、動くことができなくなる。
“深く集中すれば、力の回復も早くなるんだよぉ……ぐぅ……”――静謐の機術師レム
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