第1615話「不在連絡の伝令」

 ラクトとの“氷の人”開発は、明け方まで続いた。やり始めてみるとこれがなかなか楽しくて、ついつい時間を忘れて熱中してしまったのだ。結局ラクトが眠気に耐えきれず、というかラクトの装着している VRヘッドセットが彼女を体調不良と判断して強制ログアウトさせてしまったことでお開きとなった。

 流石にアストラたちも後日に向けてログアウトしてしまっていたようで、フレンドリストもほとんどがログアウト状態を示すグレーで羅列されている。カミルと一緒に農場に戻って植物の世話をしてもいいのだが――と思っていると外部からコールが飛んできた。

 リアルから呼び出しがあるというのは珍しい。何か緊急事態でも起きたのかと思いながら、俺も久々にログアウトすることにした。


━━━━━


「ふわああ……。よし、今日も頑張っていきますよ!」


 大きな欠伸と共にレティがログインすると、そこは〈黄濁の溟海〉だ。果てしない海に浮かぶクチナシ級十七番艦の甲板である。前回がフィールド上でのログアウトだったこともあり、完全起動には多少の時間がかかる。それを待つ間にフレンドリストから仲間のログイン状況を調べていたレティは、おやと首を傾げる。


「レッジさんがまだログインしてませんね。珍しいこともあるようです」


 レッジの名前がグレーアウトしている。重要人物としてフレンドリストの最上部にピン留めしているその名前は、基本的にレティがログインしている時には常に白く活性化している。だからこそ、その違和感が鮮烈だった。


「こんにちは、レティさん!」

「こんにちは。Lettyはログイン時間がよく重なりますね」


 レティに朗らかな声で挨拶したのは、ほぼ同時にログインしてきたLettyだ。二人が隣り合うとまるで双子のようだが、ログイン時間も比較的似通っていた。流石にこれは意図しているわけではない、と本人は主張しているが。


「うへひひっ。私とレティさんの運命力、故ですね!」

「そうですねぇ」


 早速通常通りのLettyを、レティも軽く受け流す。この程度のジャブは気にならなくなって来たのは、彼女にとって良いことなのか、一考の余地はあるだろう。

 レティが己のフレンドリストをLettyに見せ、レッジがまだログインしていないことを伝えると、Lettyも少し驚いたように目を見開く。


「じゃ、じゃあ今日はレティさんと二人きりって……コト!?」

「どうでしょうね? あ、シフォンがログインして来ましたよ」

「チッ」


 舌打ちに迎えられて現れたのはシフォンである。リアルでは高校生活を送っている彼女だが、基本的に帰宅部なので、夕方頃には惑星イザナミにやって来る。


「シフォン、レッジさんがまだログインしてないんですが、何か知りませんか?」

「はえ?」


 出鼻からそんな問いを投げられたシフォンは、白い狐耳を揺らして首を傾げる。レッジとシフォンが叔父と姪の関係にあることは、〈白鹿庵〉では周知の事実であるし、他のプレイヤーたち――特にアストラやアイといった仲の良い友人たちも薄々察している。クチナシの甲板で堂々と尋ねても困らない程度には、他の調査開拓員たちも承知の上であった。

 しかし、血縁者であるシフォンであっても、レッジのリアルの近況には詳しくない。その理由については、〈白鹿庵〉以外にはほとんど完全に伏せられている。


「おじちゃんの話はお母さんも特にしてなかったと思うけど……」


 特に心当たりはないとシフォン。


「そういえば、夜中に急用ができたとか言って出かけてたかな。わたしは寝てたから、朝に書き置きを見ただけなんだけど」


 ちょうどその時、ラクトがログインしてきた。


「こんにちはー。って、もう結構揃ってるね」

「あっ、ラクトじゃないですか。昨日はレッジさんと最後まで居ましたよね」

「うぇええっ!? な、なななん、そ、それがどどっどうかした!?」


 何気なくレティが話しかけた途端、ラクトは見るからに取り乱す。その反応こそが、レティたちの注意を引きつける。


「ラクト? 昨日、レッジさんと何かありました?」

「べ、別にぃ? な、なんもないけど」

「その関西弁は余裕がない時の匂いがしますねぇ」

「そ、そんなことないわ!!!」


 あほらし! とラクトがクルリとレティに背中を向ける。


「おや、ラクト。レッジさんがどうかしたんですか?」

「げっ、トーカ!」


 そこに現れたのはトーカとミカゲの二人。帰宅後、日課の鍛錬をこなしてログインしてきた二人は、事情を知らぬまま不穏な気配だけを機敏に感じ取って、ほぼ無意識のうちにラクトの前に立ちはだかっていた。


「な、なんでもないよ。別に」

「何か隠してる感じがしますが?」

「なんでレティもトーカも変なところで勘が鋭いの!?」


 野生の勘と天性のセンス。それらを前にしてラクトのポーカーフェイスは何の役にも立たない。思わず叫ぶラクトの言葉が決定だとなり、レティたちは包囲網をジリジリと狭めていく。

 何があったのか吐け、という無言の圧力に、ラクトは奥歯を噛み締めながら脱出の隙を窺う。しかし、兎と鬼に小さな少女が敵うはずもなく――。


「おっと、何やら取り込み中でしたか」


 観念しかけたその矢先、レティたちに新たな声がかけられる。

 聞き馴染みのない声にレティが思わずウサ耳を揺らしながら振り返る。


「うわっ!? な、なんですか!?」


 そして驚愕の声を上げたのも無理からぬことだろう。そこに立っていた――より正確には虚空から現れていたのは、白い仮面をつけたスーツ姿の女性だった。長い黒髪を軽やかに揺らし、すたりと猫のような滑らかさで甲板に降り立つ。その頭上には赤い三角形が表示されていた。

 赤GM。プレイヤーの悪質な行動に対処するための強力な権限を備えた特別な存在は、身に覚えがなくとも肝が冷える。ほぼ無意識のうちに鯉口を切るトーカを、ミカゲが慌てて羽交締めにして抑えていた。

 突如として現れたGM、イチジクは騒然とする周囲を手で制し、一言。


「ご安心を。通報をうけたわけでもなければ、処罰するために来たわけでもありません」

「そ、それじゃあなぜ赤GMさんがここに?」


 疑念を表情に浮かべるレティ。その背後で、ラクトがそっと逃げようとして――


「どこへ行こうとしているんですか、ラクト」

「ひぃん!」


 トーカによって首ねっこを掴まれる。

 イチジクはその様子を一瞥しつつ、来訪の要件を伝える。


「今回はGMとしてではなく、ただの伝令として来ました。お騒がせして申し訳ありませんが、私は一般アカウントを持っていないため、このような形に。――レッジについてなのですが、彼は今日一日程度はログインできないかと思われます」

「えっ!? は、え? な、なんで貴方が――」

「では、用件は伝えましたので」


 困惑するレティたちを前にしながら、イチジクはそれ以上語ることなく消えてしまう。

 残されたのは呆然とする〈白鹿庵〉の面々と、奇妙な出来事に偶然居合わせた数人の調査開拓員たち。


「え、は……。はいいいっ!?」


 レティの声が、広い海に響き渡った。


━━━━━

Tips

◇安全なログアウト

 調査開拓員各位には非戦闘区域での安全なログアウトを推奨します。フィールドなどの危険が予測される戦闘区域でのログアウトや、不安定な強制ログアウトが行われた場合、次回ログイン時に30秒から1分程度の機体再起動時間が発生します。その間は無防備となるので、気を付けてください。


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