第1612話「夕陽の中」
〈黄濁の溟海〉の裏世界は常夜だが、表世界は通常の自然法則に従い、昼と夜が交互にやってくる。現実時間ではそろそろ深夜に差し掛かろうかという頃合いだが、惑星イザナミは灼熱の太陽が水平線に手を伸ばし、鮮やかなオレンジ色が茫洋とした水面に細かな銀のガラス片を振り撒いている。
俺とラクトを乗せた小型のボートは、絶景の海の上を滑るように走っていた。
「うーん、どこを撮ってもいい画になるな」
「写真ならクチナシの甲板でも撮れたでしょ」
船の操舵は母艦であるクチナシとのデータリンクによって半自動だ。俺がカメラを構えてシャッターを切っていると、ラクトがいくらか落胆したような様子で声をかけてきた。
とにかく〈黄濁の溟海〉は何もない。ニルマたちが見つけた遠洋と呼ばれる海域に入らないことには、生命の痕跡すら見つからない平坦な海原だ。それでも面白いことにファインダーを覗き込めば様々な表情を見せてくれる。時間帯や角度、方角、カメラの設定によっても味わいが変わるのだから面白い。
「まあそう言わずに。しばらくは移動だからな」
「ちょっ、な、何撮ろうとしてるの!」
カメラのレンズをラクトに向けると、彼女は慌てて顔を背ける。しかし狭い船上ではいかに小柄な彼女といってもカメラの画角から外れることは難しい。戯れにシャッターを切ってみると、陽光を浴びて頬をオレンジ色に染めたラクトのかわいらしく慌てた表情が記録された。
「ちょっとー!」
「はっはっは」
はやく削除しろ、とポカポカ殴ってくるラクト。レティじゃないんだから、殴られても痛くも痒くもない。
そういえばポートレートはあまり撮ったことがない。人工物フェチのカミルほど被写体に固執しているわけではないが、そもそもFPOで〈撮影〉スキルを伸ばそうと思ったきっかけが『この世界を見てまわりたい』という願望だったこともあり、ほとんどが風景写真だった。
「……たまには撮ってみてもいいかもしれないなぁ」
「な、何をしみじみ言ってるの」
ポートレートというのも奥の深い写真ジャンルの一つだろう。撮れたばかりのラクトの写真を見ながら思わずしみじみと呟くと、本人が焦った様子で覗き込んできた。俺がカメラの画面を切り替えると、彼女はむっと頬を膨らせる。
「そ、そんなにわたしの写真が撮りたいなら、そう言ってくれれば……。こっちだっていろいろ準備とか……」
「やっぱりラクトの髪色は海背景だと輪郭がボヤけるか? いや、コントラストを調整すれば……。レティの方が映えるのかも……」
「最低!」
「おぐべっ!? なぜっ!?」
撮影時の設定について反省していたのに、なぜかラクトの鉄拳を受ける。今度のはちょっと効いた。
やっぱり女の子の気持ちというのはよく分からんな。
プリプリと怒って船縁に身を預けるラクトの背中を窺っていると、自動操舵中だった船の制御盤から電子音が響く。
「お、そろそろみたいだな」
撮影タイムも一旦切り上げ、マップを確認する。俺たちが裏世界に行ったり、ニルマたちが遠洋に挑んだりしている間に、測量専門バンドや専門職の個人などが、この広い海のマップを作ってくれていた。といっても、基本的には青一色だ。水平方向だけでなく、垂直方向でも海底すら捉えられないほど深く、目標となるような岩や島も存在しない。それでも星やツクヨミから座標を得つつ、しっかりと調査を行ってくれていたのだ。
そんな先人たちの偉業に感謝しつつ、やってきたのは何もない海のど真ん中。母艦であるクチナシたちの停泊地点からも、20kmくらい離れた場所だ。
いよいよ太陽も水平線に迫り、斜陽の日差しもキツくなってくるが、ここならよほどのことをしなければ周囲に被害も出ないだろう。というわけで……。
「じゃあラクト先生、手筈通り頼みます」
「もー。わたしのこと便利な道具みたいに」
まだちょっと怒っているが、ラクトがアーツで氷を作ってくれる。ただの氷ではない。俺が用意した極細のフレームに沿って、精巧な構造を形作ってくれる。さすがは希代の天才といった所業で、滑らかな詠唱だ。
そうして出来上がったのは、二本ずつの手足とアーモンドを縦にしたような頭を持つ、身長160センチほどの人型の氷像だった。
「これ、
ラクトの言葉どおり、このフレームは植物を纏わせることを前提としたものだ。遠隔操作可能な植物機獣“緑の人々”を構成するパーツのひとつだ。最近はめっきり出番が減っていたものの、いつか使うかもしれないと思ってクチナシの船倉に突っ込んでいた。それを引っ張り出してきて、植物の代わりにラクトに氷を纏わせてもらったわけである。
ラクトも仕事は受けたものの、これが何に使われるのかは知らない。怪訝な顔、というか警戒するような顔でこちらを窺ってくる。
「ほら、蒼氷船が弱体化しちゃっただろ。でも、あのアイディア自体はまだ使えるんじゃないかと思ってな」
先日の定期アップデートにより、蒼氷船のコストが跳ね上がり、相対的に実用性が下がってしまった。運営としてはクチナシのような実物船艦の利用を促進したいという狙いもあったのだろうし、そもそも裏技的なテクニックでもあったため、それ自体に異論はない。
ないのだが、このまますっぱり忘れるというのももったいないよな、という話だ。
「まさか、この氷の人々で組体操して船を……」
「流石に厳しいだろ。俺とラクト二人で動きを合わせる必要もあるし、手間とコストがかかりすぎる」
「むぅ。わ、わたしたちなら一心同体、とか……」
「うん?」
「なんでもない!」
緑の人々をうまく群体として動かせていたのは、俺が全て一元管理していたからだ。ラクトの氷を纏うやり方では、流石にそれほどの統率を取るのは難しい。そもそも一体作って維持するだけでも、ラクトにはそれなりの負担を強いるのだから。
「それじゃあ結局、何をどうするの?」
今のところは氷像に鉄芯が入っているだけの“氷の人”(仮称)を見やり、ラクトは首を傾げる。植物を纏わなければ動くこともできないし、俺たち二人で維持するならコストもかかる。一見すれば、利用価値などない。
どう説明しようか、というか今の段階だとどこまで言うべきか。
いろいろと悩みつつ、ラクトの手を取る。彼女は慌てていたが、急に神妙な表情で落ち着く。そこに、諸々を要約しつつ答えを返す。
「ラクト、俺と二人で新しい人類を作ろう」
「は、はえあっ!?」
返ってきたのは、シフォンのような悲鳴だった。
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Tips
◇柔軟鋼材骨格支柱
人型植物機獣“緑の人”を構築する主要パーツのひとつ。人体骨格をベースとした極細の金属製支柱で、植物を支える骨となるほか、使用者からの通信を受けるアンテナとしての役割も持つ。耐久性は皆無に等しいが、シンプルな見た目とは裏腹に精密加工技術がふんだんに使われている。
“一応男性骨格ベースよ”――調査開拓員ネヴァ
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