第1611話「潮は引きて」

 臨時の作戦会議――という名の情報共有が行われたのち、一旦は各自持ち帰って検討という流れとなり解散する。リアルタイムの方も夜遅くとなり、ボチボチログアウトし始めるプレイヤーも増えてきたため、〈黄濁の溟海〉遠洋への進行は後日に持ち越されることとなった。


「ふわぁ、それじゃ、わたしは落ちるね」

「ああ。ゆっくり休むんだぞ」

「おじちゃんもあんまり夜更かししちゃダメだよ」


 〈白鹿庵〉からも、シフォンをはじめ若者組がログアウトする。普通に明日も平日で、学生は寝なければならない。


「うぅぅ、レティはまだいけ――」


 渋っていたレティも、睡魔に負けたのか動かなくなり、しばらくして自動ログアウトとなる。ヘッドセットを着けたまま寝落ちしたらしい。レティが落ちればここにいる理由がないとばかりにLettyも消える。トーカとミカゲもカエデに急かされるようにして落ちてしまった。


「では、私もこのあたりで」


 レティの後を追いかけて、当然アンも落ちる。

 ちなみにエイミーは少し前に「もう寝る時間だから」と早々に落ちている。彼女はFPOプレイヤーには珍しく、ログイン時間とログアウト時間がきっちり決まっているタイプだった。


「ふふ、随分減っちゃったね」

「そうだな。って、ラクトはいいのか?」


 なんとなくログアウトする流れというものができてしまったこともあり、甲板の人数は半分以下に減ってしまった。なぜか嬉しそうに笑みを浮かべるラクトだが、彼女も普通に明日は仕事があるのではないのか。

 そう尋ねると、彼女はふふんと得意げに鼻を鳴らして胸を反らせた。


「ウチは裁量労働制だからね。やることできてれば夜更かしして寝坊しても怒られないの」

「なるほどなぁ。俺は俺で、今も寝てるようなもんだし」


 医療用の高深度完全没入型VRシェルを使っていることもあり、肉体的な疲労というものはほとんどない。むしろ、ログイン状態を維持している方が、なぜか花山や桑名たちからの受けもいい。


「いいよねぇ、レッジは。ずっとFPOができるなんて」

「はっはっは」


 実際、FPOができないとなると窮屈な地下で寝てるだけだからな。このゲームには精神的にもかなり助けられている。


「ところで、アストラたちは学生だったよね? いい子はもう寝る時間だよ」


 ぐるり、とラクトが首を回す。その先にさも当然といった顔で座っているのは、アストラとアイの兄妹だ。二人のリアルを詳しく知っているわけではないが、学生であることはなんとなく知っている。

 けれどアストラは、ラクトのそんな言葉にも変わらぬ爽やかな表情で、


「俺は気軽な大学生ですからね。むしろ徹夜前提のつもりでしたから」

「イベントに備えて寝溜めしてきてるので、問題ないです」


 至極当然といった調子で語る。アイもそれに同調し、そういえば二人ともトッププレイヤーの頂点に並び立つような存在で、つまりは熱心な、いわゆる廃プレイヤーであったなぁと思い出す。


「ぐ、ぐぬぐ……」


 ケロリとするアストラたちに、なぜかラクトは拳を握りしめて震えている。何か、二人がいるとまずいことでもあるのだろうか。


「師匠〜、頼まれてた薬剤ですけど……」

「そういえばヨモギもなんでまだ起きてるの!」

「うわぁっ!? なに、突然!」


 向こうで作業をしていたヨモギがやって来ると、ラクトは彼女にも素早く反応する。ずびし、と人差し指を突きつけられると流石のヨモギも驚いたようで、フサフサの尻尾を持ち上げた。

 そういえばヨモギもログイン時間不規則組だ。俺のフォロワーをしているのは面映いような気持ちだが、流石に医療施設レベルのVRシェルを導入しているわけではないだろう。


「良い子は寝る時間だよ。とっとと落ちれば?」

「乱暴だなぁ。別にヨモギは夜更かししても大丈夫なんですけど」

「学生じゃないの? 社会人なら尚更だと思うけど?」

「いや、学生じゃないけど、社会人でもないというか。あ、いや、公務員? かもしれないけど」


 珍しく歯切れの悪くなるヨモギ。彼女はあまりリアルのことを話さないが、根掘り葉掘り聞き出すのもマナー違反だろう。むむむ、と唸っているラクトをやんわりと抑えつつ、俺はヨモギが持ってきたフラスコの中に注目した。

 ヨモギには艦内にある防爆仕様の調剤室でとある薬を作ってもらっていた。グソクムシの話を聞いた後、試作的に用意できないかと打診したものだ。それからさほど時間も経っていないのに持ってきてくれたあたり、彼女も優秀な調剤師である。


「それで、ヨモギさんは何を作ってくれたの」


 妙にむっすりとしたラクト。しかし、ヨモギはよくぞ聞いてくれたとフラスコを掲げる。中にはドロリとした液体があり、光の加減で灰色と緑色のグラデーションでほのかに光っていた。

 見るからに食用には適さないものだが、そもそもこれは服用するものではない。


「グソクムシ用の毒だよ。向こうから来てくれるなら、これを食べさせて一網打尽にするのがいいっていう話でね」


 より正確に言えば、この毒はその試作品だ。できればこれをだんご状に加工したりして、より食べやすくしたい。要はホウ酸団子のようなものを作ればいいのではないか、という発想だ。


「なるほど、これなら迎撃がより効率的になりますね」


 話を聞いていたアイが光明を見たと表情を和らげる。しかし、隣のアストラはまだ懐疑的な様子だ。


「問題は、グソクムシがこれを食べるかどうかですね。毒であることが察知されれば意味がありませんし、そもそも食生が分かっていないことには……」

「何事も実験だよ、アストラ君」


 名探偵じみたことを言いつつ、実際のところは情報がなさすぎるのだ。試す手札が多いに越したことはない。実際、ヨモギに頼んだ毒液以外にも、いくつかのプランを考えている。


「アイの音波攻撃なんかも有効そうな気がするんだが、どうなんだろうな」

「うーん。衝撃波という意味では一定の効果はあるかもしれませんが……。仮にあの虫に聴覚が備わっていないか、鋭敏でない場合には、有効とは言えない可能性もありますね」


 声で周囲を薙ぎ払うことでお馴染みのアイだが、それも万物に通用するわけではないようだ。音波攻撃は衝撃よりもむしろ、聴覚の麻痺による混乱を誘発させる目的の方が大きいのだとか。


「やっぱりここは叢樹の種を投げ込んだ方が手っ取り早いんじゃ……」

『何を馬鹿なことをモグモグ言ってるんモグか。ごくん』

「うわ、ウェイドじゃないか」


 冗談半分で言っていると、背後から冷たい声が返ってくる。振り返ると、大量のカップケーキを抱えたウェイドがモゴモゴとハムスターのように頬を膨らませながらこちらを見上げていた。

 どうやらスイーツバイキングの残り物を全て回収してきたらしい。都市への砂糖輸入制限が決まったからといって、どれだけ食い溜めするつもりなのか。


「グソクムシがウェイドの味覚だったら、砂糖を塗すだけでいくらでも釣れそうなんだけどなぁ」

『私のことモグ、馬鹿にしてます? モグモグ』

「とりあえず食べるか喋るかどっちかにしなさい」


 まったく、管理者のマナーが悪いとはどういうことだ。指揮官からも言ってやれ、とT-1を探すと、彼女は彼女でビュッフェの残り物を稲荷寿司にしてもらって食べていた。部下が部下なら上司も上司である。


「うー、夜遅くまで残ればレッジと二人になれるかと思ったのに……。予定が……」

「ラクト? 何か予定があるならログアウトしてもいいんだぞ?」


 ブツブツと独り言を呟いているのが聞こえて肩越しに声を掛けると、ラクトは青髪をふわりと浮かせて振り返った。


「べ、別に予定があるわけじゃないよ!」

「そうか……。じゃあ、ちょっと出かけるか」

「ええっ!? で、でもどうせ、ヨモギとかアイとかと一緒にってオチじゃ」

「小船で出るつもりだからなぁ。アイたちは作戦の検討で忙しいだろうし、ヨモギも毒液の濃縮を進めてもらいたいし、俺と二人になるが……」


 大丈夫か? と尋ねる前に、ラクトが瞬間移動か縮地でも使ったかのように一瞬で近寄ってきた。


「行こう! 今すぐ!」

「お、おう……」


 予想以上の反応に気圧されながら、俺も頷く。


『大人しく帰ってきなさいよー』


 全くもって興味なさげなカミルに見送られながら、俺はラクトと共にクチナシ備え付けの小船に乗って海面へと降りて行った。


━━━━━

Tips

◇小型遊撃艇ホオズキ

 クチナシ級をはじめ、大型船艦に搭載可能な小型艇。機動力が高く、BBバッテリー駆動方式を採用しているため、母艦からのエネルギー供給も受けられる。SCSは搭載されていないが、母艦とのデータリンクシステムが採用されており、航行支援を受けることができる。


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