第1610話「急襲する海虫」

 這々の体ながらもしっかりと情報を持ち帰って来てくれたフィーネとニルマを慰労しつつ、早速今後の行動について検討が行われた。ちょうどよくT-1とウェイドもいたので、クチナシの甲板で臨時の作戦本部が開かれる。T-2とT-3は遠隔での参加だが、表世界は通信状態も良好なので問題はない。


『グソクムシっていうのは何? おいしいの?』

「たまに食べたって話は聞くが、甲殻類っぽいしカニみたいな味なんじゃないか?」


 一応トヨタマも参加しているが、彼女のもっぱらの興味は食べられるか否か、美味いかどうかという点に集約されている。件のグソクムシ(仮)が実際にはどのような原生生物かも分かっていないが、まあ食べられないこともないだろう。

 未知なる味を想像してワクワクと心躍らせるトヨタマをよそにして、T-1が腕を組んで唸る。ついさっき白龍の葬送を決めたばかりだというのに、対応するべき案件が増えて困っているのだろう。


『とりあえず、新たに現れた原生生物に対応するべきでしょう。それに、遠洋の怨嗟が濃いという話も興味深いです。こちらをどうにかしなければ、落ち着いて弔うこともできないのでは』


 迷うT-1に指針を示したのはウェイドだった。俺もそれに賛同して頷く。

 呪いが強い地点というものは引っかかる。そもそも、裏世界の存在からして呪術などとの関連が指摘されている。もう少し現実的な話をするならば、シナリオAIの想定としては近海で死ぬことで裏世界の存在を示唆し、遠洋に赴いてからいよいよ裏世界に挑む、という建て付けなのではないだろうか。


「俺もウェイドの意見に賛成します。グソクムシの発生経緯も気になりますからね」


 さらにアストラが意見を発し、大勢が決まる。フィーネたちの話では、グソクムシは海中から突然現れたという。これまで生命の痕跡さえ見つからなかった〈黄濁の溟海〉ではイレギュラーな現象だ。

 とりあえず、グソクムシがただの原生生物であると思うのは楽観的だろう。


「グソクムシについての情報は?」

「申し訳ないけど、あんまり録れてないわ」


 グソクムシについて判明しているのは、その姿形と、大量に出現するという事実だけ。航行記録の録画映像に捉えられたものだけが全てだ。あまりにも襲撃の圧力が凄まじく、騎士団精鋭ですら撤退を余儀なくされたというのだから恐ろしい。

 フィーネは用意されたスクリーンに、決死の思いで記録した映像を映し出す。

 穏やかな海を見渡すカメラが、突如揺れる。カメラ外で騎士団員の焦燥した声。


『おい! なんか出てきたぞ!』

『フィーネさん! こっち! 三番艦が襲われてる!』

『全員戦闘準備! 三番艦から情報は?』

『混乱してるみたいですけど、ダンゴムシがどうとか!』


 先に襲われたのは、500メートルほど離れて先行していたニルマ艦だったらしい。周囲に警戒用のクラゲ型機獣を展開していたにも拘わらず、彼らは不意を突かれた。石灰色のグソクムシがワラワラと船側を駆け上り、次々と甲板へ雪崩れ込んでいくのが望遠の荒い画質で記録されている。


『どうしてあそこまで接近されてんのよ。高速艇出して援護に回りなさい!』


 フィーネは驚きつつも的確に指示を出す。アストラの指揮が目立つ騎士団だが、幹部である銀翼の団もそれぞれに大規模な部隊を抱える指揮官なのだということを改めて思い知る。

 小型の高速艇が次々と投下され、飛沫を上げながら援護に向かった。しかしその矢先、カメラの背後からも悲鳴が上がる。


『ぎゃーーーっ!? 隊長、こっちにもダンゴムシ――いや、グソクムシが!?』

『はぁ!? 哨戒は何してるのよ!』

『すみません、こんなの気配すら、うわああっ!?』


 三番艦が襲われ、周囲を警戒していたはずの五番艦も、殺到するグソクムシに気が付かなかった。これも特筆すべきところだろうと思っていると、アストラやレティもメモしているようだった。


『SCSコアの防衛が第一! 情報収集はしなくていいからぶっ飛ばしなさい!』


 自身も巨大なグソクムシを殴り飛ばしながらフィーネが叫ぶ。彼女が率いる部隊は切り込み担当として知られる強襲部隊だ。乱戦にも比較的慣れており、すぐに統率を取り戻す。

 しかし、手練れの戦士たちであってもグソクムシには手間取っていた。


『クソッ! 数が多すぎる!』

『盾の隊列を乱すな!』

『無茶言うな、こいつら仲間を踏み台にして、ぐわあああああっ!?』


 大盾を構えたタンクたちがバリケードを築こうにも、次々と海から現れるグソクムシは仲間を踏みつけて越えてくる。突起のない滑らかで垂直の壁である船の装甲を登るだけあり、細かく蠢く無数の脚は先端が鋭く尖り、盾も容易に貫いた。


『さ、三番艦から撤退要請! 自艦半壊、撤退せよとのこと!』

『……もやい準備! 情報はあっちの方が持ってるんだから、死ぬ気で引き摺るわよ!』


 撤退要請。つまり、自分に構わず逃げろという指示だ。騎士団の指揮系統として、番号の若い方が上位の指揮権を持っているらしいから、ニルマの指示にフィーネは従わなければならないはず。しかし、フィーネはそれを無視して三番艦に綱を届けた。

 すでに水平を失い、側面の大穴から海水を飲み込みながら傾く三番艦を、五番艦が強引に牽引する。その間にもグソクムシは絶え間なく船へ登り、調査開拓員を襲っていた。グソクムシの数も数だけに、船は軋み悲鳴を上げる。それをフィーネは次々と殴り飛ばしていた。


『やあフィーネ、なかなか愉快な事になってるじゃぁないか』

『うるさい! あんたは船内に引っ込んでなさいって!』

『はーはっはっはーーーっ!』


 悲鳴の上がる乱戦に、突然似つかわしくない声がする。ちらりと映像を見ているフィーネの顔を覗くと、こちらも呆れたような顔をしていた。

 グラグラと揺れるカメラの端にちらりと映った、クチナシ級五番艦のSCS。他に倣い通称を“王子”と呼ばれる少女は、この緊急事態にもかかわらず飄々とした笑みさえ浮かべていた。そのせいで半ギレのフィーネに投げ飛ばされるようにして船室に叩き込まれていたが。


「そういえば、“王子”は無事なのか?」

「いっぺん殴った方がいいかもしれないわよ」


 一応尋ねると、無事に彼女は帰ってきているらしい。フィーネも冷たいことを言っているが、SCSは換えが効かないだけあって、最優先で保護していたはずだ。

 王子が軽やかな笑声と共に船室に消えていった直後、カメラマンの慌てた声と共に画面が揺れる。そして、耳を貫くような衝撃音と共に画面は暗くなった。


「ここでカメラがぶっ壊れて映像は終わりよ。一応、解析もしてるけど、名前すら分かるかどうか……」


 映像鑑定は存在するが、最前線の高ランクエネミーともなれば、それなりに精細なものが必要となる。解析班は今頃頭を抱えていることだろう。現時点で名前すらわからないともなると、かなりの高ランクであることは間違いない。


「むふぅ。これは戦い甲斐がありそうですね」

「これは、どのあたりが首になるんでしょうか。……むしろ、全て首ということですか?」


 会議に紛れ込んでいたウチの戦闘担当二人はやる気十分と言った様子だが、アストラやアイは真剣な表情だ。

 船に侵入されるまで存在すら検知できないというのは、思ったより厄介だろう。それに、それなりに大きなクチナシ級だったから持ち堪えられたが、小舟なら一瞬で沈められる。強さもさることながら、その数そのものが厄介な存在だった。


「ブイ型のセンサーとかをばら撒いても、検知は難しいかな?」


 隣にちょこんと座っていたラクトが首を傾げる。


「僕のクラゲたちが気付かなかったあたり、それも厳しいんじゃないかな」


 答えたのは、たった今治療を終え、ミイラのような姿で戻ってきたニルマだった。まだ完全に癒えていないのか、彼は呻きながら椅子に腰を下ろす。


「僕らも気を抜いてたわけじゃないのに、警戒網を突破されたんだ。本職の索敵がいてもかなり厳しいよ」

「となると、侵入を前提として作戦を立てた方がいいな」


 アストラは早速対応策を考え始めている。すでに作戦立案担当の参謀部も動き出していることだろう。


「うー、こんなゴチャゴチャと虫が上がってくるなんて、わたしはお留守番してたいな……」


 そんなことを言うのは、口をへの字に曲げたシフォンだ。たしかに四方八方から大ぶりな虫が這い上がってくるのは、精神的にもかなりのプレッシャーになりそうだ。実際、騎士団の女性陣も悲鳴をあげていた。


「レティは虫とか平気なのか?」

「リアルサイズの小さいのならともかく、ここまで大きいと現実味がなさすぎて、むしろ当たり判定が大きくていいな、と思うくらいですね」


 気になって尋ねるも、レティはけろりとした顔だ。幽霊嫌いの理由もそうだが、彼女は相手を当たり判定準拠で考えている節がある。


「しかし、虫かぁ」


 顎に指を添えて考え込む。

 次々と雪崩れ込んでくるグソクムシは厄介だが、うまく倒す方法はありそうだ。


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Tips

◇ 三式索敵硝子殻機械式海月

 海中、海上に適したクラゲ型の機獣。機動力は乏しいが、多数の高性能センサを搭載し、広範囲にわたって周囲の状況を把握することが可能。船に追従させることで、高精度の索敵が行える。

 戦闘能力や耐久性は皆無と言ってよい。


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