第1609話「満身創痍の帰還」

 水平線の向こうから二隻の船が現れたのは、宴もたけなわとなり腹の膨れた調査開拓員たちが後片付けを手伝おうとした頃のことだった。西方からやって来た船に一瞬緊張感の高まったものの、すぐにそれも弛緩する。


「おーーいっ!」


 先頭を走る船の船首に、赤髪の少女が立っている。特攻服にサラシといういかにもな荒っぽい装いで、指貫グローブをはめた手をこちらに向かって大きく振り回していた。

 〈大鷲の騎士団〉の幹部連中、通称“銀翼の団”の一員、“崩拳”のフィーネだ。彼女は騎士団の保有するクチナシ級の五番艦を取り仕切り、〈黄濁の溟海〉の新規開拓を進めるべく先へ進んでいたはずだ。五番艦の背後には、同じくクチナシ級で銀翼の大鷲が描かれた戦旗を掲げる船が続く。


「二番艦も無事みたいだな。って、なんか様子がおかしいか?」

「ずいぶん船速が遅いような……。機関部が故障でもしてんのか?」


 望遠鏡などを使って仲間の帰還を見届ける騎士団員たちが不穏な気配に気がつく。フィーネは爽快な笑顔を浮かべているが、よく見てみればその服は裾が破れていたり、スキンも一部剥がれていたりとボロボロだ。


「団長! 二番艦から黒煙が上がってます!」


 様子を見ていた一人が叫ぶ。それにどよめきながら視線が集中し、他の者も船の異常に気が付いた。

 クチナシ級二番艦は、五番艦の陰に隠れてその全容が定かではないものの、見える範囲でも装甲が歪んでいたり、艦橋が傾いていたり、凄まじい衝撃の痕を残している。体勢を水平に保つこともできておらず、更には五番艦に繋がれた曳航綱でなんとか引き摺られている。


「ずいぶんと頑張って来たみたいですね」


 俺の隣にやってきたアストラが、双眼鏡を覗き込む。彼は素早く技師に指示を出し、応急処置に向かわせた。ゆっくりではあるが向こうも着実にこちらへ近づいてきており、刻一刻とその姿は鮮明になる。

 甲板は死屍累々だった。白衣を着た衛生班員が必死に駆け回って、なんとか一命は取り留めているようだが、立っているものは少ない。五番艦に曳航されているように見えた二番艦は、それだけでは足りず、イルカ型の機獣が数匹力を合わせて支えていた。あれはニルマが使役しているものだろう。

 キュイキュイと苦しげな声をあげながら泳ぐイルカたちがはっきりと見える頃には、こちらの甲板も食後の安穏とした雰囲気が吹き飛んでいた。資材が次々と船倉から運び出され、小舟を用いて届けられる。それと入れ替わりに、満身創痍のフィーネとニルマがこちらへ到着した。


「おかえり、二人とも。ずいぶん苦労したみたいだな」


 アストラが出迎えると、二人は乾いた笑みを浮かべる。俺がすかさずテントを建てて椅子を用意すると、倒れ込むようにそこへ腰をおろした。


「はぁ、ほんと貧乏クジ引いたわ。踏んだり蹴ったりの大損失よ」


 ぐったりと椅子に寄りかかり、フィーネが言う。ニルマは機体の損傷が激しく、支援機術の回復だけでは埒が開かないと判断され、あっという間に連れ去られてしまった。残されたフィーネが、団長に報告を行う。


「溟海を奥に進めば進むほど、飢餓の進行は加速していったわ。これは予想通りだったけど、その加速度が思ったよりも大きかった。データはまとめてるから、あとで確認して」

「わかった。でも、腹が減って殴り合ったわけでもないんだろう?」


 皮肉の混ざった言葉に、フィーネは肩を震わせる。


「それなら私はピンピンしてるわよ。――出航から500km地点で、急に環境が変わったわ。詳しい話は呪術師の方から聞いてほしいけど、これまで何もなかったフィールドに、突然濃い“怨嗟”が現れたの」


 一転、真剣な表情に変わり、先遣隊として得た情報を伝えてくる。怨嗟といえば、ミカゲも利用している〈呪術〉スキルのいちパラメータだ。恨みと言い換えてもよいようなものだったと認識している。


「怨嗟……?」


 偶然耳に入ったのか、後ろからミカゲが顔を振り向かせる。ちょうどいい、専門家にも話を聞こうということで引き込む。


「480km地点くらいから、徐々に海水温が下がってきたの。500km地点で、マイナス3℃くらいになったわ」

「氷点下じゃないか」

「でも凍ってなかったわね。海の水ってそういうものなのか、知らないけど」


 とにかく、フィーネとニルマの船は寒冷となった海を注意しながら進んだ。飢餓の進行も早く、常に白玉を片手に、周囲を警戒していたそうだ。

 すると突然、船に同乗していた呪術師が、海を見て叫んだ。


「水の下に何かいる! って。もちろん警戒はしてたんだけど、それらしいものは見つけられてなかったわ。彼の言う場所を複数の手段で調べたけど、反応はなかったの」


 きな臭い話だ。この海はなにかと霊体や呪いといったものと関わりが見られる。それこそ、飢餓も呪いの範疇に入りそうな怪現象だ。


「心霊写真撮影は?」

「もちろんやったけど、収穫なし」


 ミカゲの問いに、フィーネは首を振る。

 〈撮影〉スキルと三術系スキルのいずれかがあれば、いわゆる心霊写真というものが撮影できる。〈霊術〉スキルが高い方がくっきり映るらしいが、〈呪術〉スキルでも姿を捉えるぶんには十分なはずだ。


「調査開拓員、呪術師にしか検知できない霊体がいると?」

「わかんない。そのあとすぐに生きてるエネミーに襲われたし」

「えっ、幽霊だけじゃなかったのか」


てっきりその、不可視の敵に襲われて一方的にやられたのかと思っていた俺は思わず驚きの声を漏らしてしまう。フィーネは「お化けに襲われてボコボコになるはずないでしょ」と若干レティと気が合いそうなことを言う。


「幽霊騒ぎに集中してたせいで他の警戒がちょっと緩んじゃったの。そこに、突然アレが出てきたの」

「アレ?」


 言い淀むフィーネに、俺とアストラとミカゲが揃って首を傾げる。豪放磊落が服を着て歩いているようなフィーネが、珍しく顔色を悪くしている。そんなに恐ろしいものとはいったいなんなのか……。


「……大量の、グソクムシ」


 ぽつりと溢された言葉。俺たちの脳裏には、白っぽいダンゴムシに似た海棲甲殻類の姿が浮かんだ。


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Tips

◇ブルードルフィン-Mk.66

 〈大鷲の騎士団〉ニルマの監修の下で開発された水用機怪獣。高速移動に特化した機動力の高い機獣であり、リンクシステムにより同型機での連携も円滑に行うことができる。高ランクのAIコアを搭載しているため、自律行動も得意である。


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