第1599話「消えたトヨタマ」
『はー、平和じゃのう』
〈エウルブギュギュアの献花台〉付近に置かれた作戦本部にて。T-1は稲荷寿司を摘みながら穏やかな声を漏らした。ぴぴぴ、と三角形の狐耳を揺らし、尻尾まで力を抜いて垂らしている。
「いや、さっきウェイドさんがスクランブル発進してましたよね」
情報の解析業務を行なっていた調査開拓員の一人が、思わずといった様子で突っ込む。〈黄濁の溟海〉ではホロウフィッシュの群れが出現したり、それを倒すためにレッジが種瓶を投げ込んだりと、てんやわんやの様相であると、後方にも伝わっている。さらにはレッジの所業を鎮静化するため、ウェイドが雄叫びを上げながら極超音速飛行機をぶっ飛ばして前線に飛んでいったところである。
『推定。ウェイドが対応しているということは、こちらがするべきことはありません』
『管理者レベルで収まってるってことは、平和なんですよ♡』
呆れる調査開拓員に向けて、指揮官連中は口を揃えて言い放つ。稲荷寿司を食べて落ち着いているT-1に限らず、T-2はPDBに転がっていたキャッシュデータを掻き集めて過剰摂取で至っているし、T-3は後方の工場から次々と届くSHIRATAMAに愛を授けている。
一言で言ってしまえば、指揮官3人はあまり仕事をしていなかった。
とはいえこれも彼女たちを責めるべきことではない。そもそも、指揮官という役職は調査開拓団全体に及ぶような大局的な方針を定めるために存在するのであって、現場レベルの意思決定は基本的に管理者に委ねられている。今回は大規模開拓司令ということで、一応監督ということで来ているが、やることはないのである。
「そんなこと言ってると、またおっさんがなんかやらかしますよ」
『現場にウェイドがおるんじゃから、あやつに任せればいいではないか』
『レッジさん担当ですからねー♡』
『賛成』
「本人が聞いたら殴りかかってきそうなことを……」
鬼の居ぬ間になんとやら。パクパクと調子よく稲荷寿司を摘みながら嘯くT-1を、調査開拓員たちが呆れ顔で見下ろしていた。
これで実際のところ、うまく現場は回っているのだから不思議なものだ。絶えず緊急連絡が発せられていた前線の方も落ち着き、作戦本部への支援申請も来なくなった。SHIRATAMAの追加供給も完了し、これからしばらくは余裕もあるはずだ。
現に平和な状況がある以上、調査開拓員たちも指揮官をどうこうするわけにはいかない。しかたなく、自分たちは自分たちのことをしよう、と機材に向かったその時だった。
「あー! T-1さん、また稲荷寿司持ってってましたね!」
『ぬわぁっ!? なんじゃ、これは妾のお稲荷さんじゃぞ!?』
突如、テントに白い割烹着を着込んだ一団が雪崩れ込んでくる。眉を吊り上げて睨みつける鬼の気迫に、T-1は転がるようにして立ち上がって悲鳴をあげる。大きな寿司桶に山盛りになった稲荷寿司を背中に守りながら対峙するが、形勢は圧倒的だ。
『反乱か? 反乱じゃな!? わ、妾は指揮官じゃぞ!』
「いくら指揮官といっても、やっていいことと悪いことがありますよ。勝手に稲荷寿司を持っていくなんて!」
『ち、違うと言っとろうが! これは妾のお稲荷さんじゃ!』
現れたのは後方支援部に所属する調理部隊の一団だ。戦場でも温かい食事を提供することを使命としており、専用の移動炊事車などを携えて駆けつけている。彼女たちは非戦闘職とは思えないほどの威圧感で、T-1は尻尾を抱えて震えていた。
稲荷寿司を返せ、いやこれは妾のじゃ、と話は平行線を辿る。見かねた情報解析班の調査開拓員たちが両者の仲裁に入った。
「まあまあ、おばちゃんも落ち着いて」
「おばちゃん?」
「お姉さん」
一瞬殺気が向けられ、震え上がりながらもなんとか正解を選ぶ。タイプ-ゴーレムの恰幅のいい料理人は、腕を組んでふんと鼻を鳴らした。
「話を聞いてるぶんには、T-1さんが食糧を勝手に盗んだって感じっぽいけど?」
『そ、そんなことはしておらんぞ! このお稲荷さんは妾のじゃ!』
「じゃあ誰がコンテナからお米と魚をくすねてるのよ」
『知らん知らん! 妾そんなん知らん!』
ギロリと睨みつけられ、T-1は首がちぎれそうな勢いで否定する。権力的には彼女の方が圧倒的に上なのだが、その気配は全く消えていた。T-1は猟銃を突き付けられた小狐のように耳を伏せて、震えながら口を開く。
『こ、このお稲荷さんは妾が個人的に持ち込んだものなのじゃ。あっちに専用のコンテナがあるのじゃ』
「ウワーッ! 機材コンテナに冷蔵コンテナが混ざってると思ったら!」
船や輸送機を用いて、作戦本部には大量の設備や物資が運び込まれている。そのなかにサラリと紛れ込んでいた冷蔵コンテナに、解析班が驚きの声をあげる。ついでに自分たちが使う解析用機材の電源供給源からケーブルが伸び、ちゃっかり冷蔵コンテナにも繋がっていた。
「じゃあ誰が食糧を盗んでるのよ?」
『妾が知るか!』
一方で、調理部隊が管理する食糧コンテナの中身が不審に減っていることも事実であるようだった。特に米と魚が多く消えており、つまり稲荷寿司に加工されたのだろうと彼女たちはあたりを付けた。
『冤罪じゃ! 妾に対する名誉毀損なのじゃ!』
「むしろ日頃の行いじゃないですか?」
『お主はどっちの味方なのじゃ!?』
盾にしていた解析班員からも冷や水を浴びせられ、仰天するT-1。そんな様子をT-2はデータトリップに忙しくて見ていないし、T-3は愛を振り撒くのに忙しくて見ていない。指揮官三体の独立は保たれていた。
「普通に他の調査開拓員が銀蝿してるってわけじゃないんですか?」
「あたしらのコンテナに手を出すような気骨のある連中がいると?」
「うーん……」
調理部隊は後方支援ではあるが、その名前は前線で活躍する戦闘職にも恐怖と共に伝わっている。そもそも限りあるリソースから無駄なく食事を作り、提供することが彼女たちのモットーなのだ。不当に自分だけ多く料理を取るなどした不届者は飯盒炊爨車の煙突に吊られて晒される。
誰だって季節外れの風鈴にはなりたくない。
指揮官ではなく、調査開拓員でもない。ではいったい誰が……。とその場が疑心に包まれたその時だった。
「T-nさん! 大変です!」
『誰でもいいからって任意の数字を入れられるように呼ぶのはやめるのじゃ!』
飛び込んできた調査開拓員にT-1が一喝。もちろんその程度で動じるような者ではない。彼はそれを華麗にスルーしてまくし立てる。
「トヨタマさんが、居なくなりました!」
『何ぃ!?』
投じられた衝撃の発言は、T-2を情報過多の世界から引き戻し、T-3がハート型の手を止めるのに十分だった。T-1が目を丸くして飛び上がり、詳細を求める。
「トヨタマさんはウェイドさんが一緒にいたと思うんですけど、彼女がシューティングスターで飛んでいった直後から姿が見えなくなって」
『げ、現在地は!? 発信機は付いておるはずじゃ!』
トヨタマは機械人形ではないが、重要人物ではあるため、常に居場所が把握できるように発信機の装着が義務付けられている。情報解析班員が急いでその反応を確認すると、作戦本部にいることを示していた。
「この座標には見当たりません。ああっ! 発信機が地面に!」
『ぬわにぃいいいっ!?』
現地を確認した調査開拓員からの報告にT-1が悲鳴をあげる。自分が稲荷寿司を食べている間に、トヨタマが姿を消したのだ。
『コンテナから食糧を盗んだのもトヨタマではないのか!?』
「そういえば、コンテナの側に白い羽が落ちてたわね」
『それが答えじゃろうがーーーーっ!』
なんで妾を疑ったのじゃ、とT-1が絶叫。しかし、事態はそれどころではない。T-1の猛々しい号令によって、作戦本部では消えたトヨタマの捜索が始まった。
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Tips
◇飯盒炊爨車
米を炊くために設計、開発された移動式の窯。直火による釜炊きにこだわり、ドワーフ族の職人によって手作りされた釜は逸品として名高い。三十分で200人分の白米を供給可能。
使用には〈調理〉スキルレベル50が必要となる。
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