第1596話「反転反転」
『毎回毎回毎回毎回、何回反省したら気が済むんですか? ああ!?』
俺の胸元に掴み掛かったウェイドは、背丈が足りず宙ぶらりんだ。にも関わらず、謎の力でグイグイと襟を引っ張り、首がどんどん締まっていく。
「こ、今回は反省した結果だろ。ちゃんと対応策は用意してたじゃないか」
『絶対に使わない保険みたいなもんだから、とか言ってたじゃないですか! なーにが保険ですか!』
表世界に現れたホロウフィッシュの群れを原始原生生物“戒める牙針の叢樹”で一掃したのち、それを事前に用意していた枯死剤“スノウホワイト”によって沈静化した。これで〈黄濁の冥界〉には平穏が戻って一件落着だったはずなのだが、スノウホワイトと一緒にシューティングスターで飛んできたウェイドが、パラシュートなしで俺に飛びかかってきたのだ。
「研究所から種を持ち出した時は、ちゃんと許可も降りたじゃないか」
『勝手に使っていいとまでは言ってませんよ!』
俺は正当な手順を踏んで原始原生生物の種を行使したのに、ウェイドはそれが気に入らないという。まったく、世の中というのはなんて不条理なんだろう。
「とにかく“戒める牙針の叢樹”は完全に活動を停止したんだろ? だったらいいじゃないか」
『枯れた枝を集めなければならないのと、〈黄濁の溟海〉の環境負荷が爆発的に上がっているのに対処しなければならないことを除けば、言うことなしですね!』
「よし、一件落着だな」
『話聞いてました!?』
周囲では“戒める牙針の叢樹”から逃れた調査開拓員たちの船が、えっさほいさと海面を漂流している枯れ枝をかき集めている。そのまま放置していたら環境にどんな影響があるかも分からないため、緊急で【流木回収任務】という特別任務が公布されたのだ。おかげで流木の完全回収も時間の問題だろうし、環境負荷に関してもそもそもフィールドに原生生物がいなければ猛獣侵攻は発生しない。
つまり、今の海はどこまでも穏やかなのだ。
『本当にあなたという人は、本当に……』
恨みがましい目を向けてくるウェイドだが、種子自体は彼女が持ち出し許可を与えたことに間違いはないだけに、それ以上は何も言ってこなくなった。
ただし、その後こそこそと周囲を見渡して、そっと耳元で囁く。
『これで本当にNPWよりも甘い砂糖が作れるんでしょうね?』
「もちろん」
その様子を目の当たりにしたラクトが何やら呆れた顔をしていた。
「ウェイドもずいぶん変わっちゃってまあ。レッジの言うことなんて信用しちゃダメだよ。約束も守らないんだから」
「ら、ラクトさん? なんか怒ってらっしゃる?」
「別にー?」
何やらラクトまで俺に辛辣だ。彼女に対して何か不義理を働いただろうか。記憶を掘り返してみるも、それらしいことが思い当たらない。
「ねえ、レッジ。ちょっといい?」
「どうしたミカゲ、何かあったか?」
甲板でそんな話をしていると、ミカゲが声をかけてくる。何事かと振り返ると、覆面の隙間から覗く黒い瞳は憂いを帯びていた。
「“戒める牙針の叢樹”は、完全に死んだと思っていい?」
「ああ。スノウホワイトの薬効はヨモギのお墨付きだからな。原始原生生物でも完全に活動を停止したはずだ」
「むふん!」
ちょうどよく通りがかったヨモギが自慢げに力こぶを見せつける。まあ、彼女も腕のBB配分はゼロだから隆起はゼロなのだが。
「実際、回収もつつがなく進んでるみたいだしな。元々が強力だから、もし生きてるならすぐに分かるはずだぞ」
「そっか……」
ミカゲを安心させるべく説明を重ねるが、むしろ彼はより深刻そうな顔をする。一体何がそんなに気掛かりなのだろうかと無数の木が浮かぶ海を見渡して、はたと気づく。
「もしかして、いや……まさか」
「その可能性は、あり得ると思う」
俺の表情を見て察したのか、ミカゲが頷く。
彼が何を言いたいのかようやく理解した。“戒める牙針の叢樹”も原始原生生物、つまり命ある存在であることに違いはない。それが活動を停止したということは、死んだと言うこと。この海で死んだならば――。
「シフォン、稲荷寿司を出してくれ!」
「はえええっ!?」
急いで甲板の隅にいたシフォンの元へ。彼女はちょうど、稲荷寿司を食べようとしていたところだった。申し訳ないが、今はそれが欲しい。
「ど、どういうこと!?」
「裏世界――レティたちが大変なことになってる可能性があるんだ。“戒める牙針の叢樹”が死んだってことは、向こうに行っているかもしれない」
「はええええええっ!?」
端的だが説明すればシフォンも察した。彼女は驚きながらも手に持っていた稲荷寿司をこちらに突き出した。
「本当にもう、なにやってるのおじちゃん!」
「も、申し訳ない」
「わたしじゃなくてレティたちに謝ってよね!」
姪に叱られるという情けない姿を晒すが、これは甘んじて受け入れる。完全に俺の考えが足りていなかった。
「待ってろ、レティ!」
裏世界に残してきた仲間たち。そして、イザナギも。
俺は彼女たちの無事を祈りながら、釣竿に稲荷寿司を取り付ける。
「アン先生、よろしく頼む」
「任せてください!」
そして釣竿を振るうのは信頼と実績のアンだ。彼女は堂々とした佇まいで釣竿を握ると、鋭い眼光で海原を見つめる。彼女ほどの実力者ともなれば、この枝が海面を覆う状況でも精緻に潮の流れを見極められるのかもしれない。
「ねえ、これって稲荷寿司を投げ込めばいいだけなんじゃ……」
「あまり追及しない方がいいですよ」
後ろではラクトとトーカが何やらこそこそと話し合っているが、集中したアンの耳には届かない。そして――。
「そこだあああっ!」
一投。
弧を描きながら稲荷が宙を舞う。そして、
「お、ナイス着地」
「逆にすごいね」
ぷかぷかと浮かぶ叢樹の枝の上の乗る。太い木の枝とはいえ、狙ってその上に載せようと思うとかなり難しいはずだ。さすがはアン先生。
「……ふんっ」
アンはくいっと竿を引き、稲荷寿司を海に落とす。その直後、海面下に黒い影がよぎり、俺たちの方へと荒波が近づいてきた。
━━━━━
Tips
◇豪華海鮮丼いなり
新鮮な海の幸を豪勢に使った海鮮丼をそのまま稲荷寿司にした特別な逸品。おあげの内側に色とりどりの魚介が詰まっている様子は、まるで宝石箱のよう。食べるとたちまち元気が湧いてくる。
Now Loading...
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます