第1594話「名状しがたき」

 イザナギの放った言葉に、耳を傾けていたレティは首をかしげる。彼女とて、さほど興味はないとはいえFPOの大まかなストーリーは追いかけている。白龍イザナミ――総司令現地代理という重要人物が第零期先行調査開拓団の壊滅とともに失踪してしまったという事実も知っている。

 そういえば〈エウルブギュギュアの献花台〉では元々、白龍イザナミの蘇生が試みられていたのではないか。というかそもそも、表世界の〈塩蜥蜴の干潟〉には、トヨタマがいる。彼女はT-3によって海から集められた白龍イザナミの魂の断片という話ではなかったか。


『レティも分かったみたいだね』

「……えっ? あ、はい。バッチリですよ!」


 すっと目を細めるイザナギに、レティは咄嗟に親指を立てる。何が分かったのか、彼女は分からなかった。白龍イザナギがすでに故人となっている可能性が高いのはなんとなく察しているが、それをどう復活させるつもりのなのか。


『もう時間がない。イザナギが復活すればどうなるか、レティは分かってるんでしょう』

「あー、うー。まあ、ある程度は?」

『だったら、今すぐここから出て行って』

「そ、そういうわけにはいきませんよ!」


 イザナギが怪訝な顔をする。


『……分かってるんだよね?』

「分かってますとも! レティをあまり舐めないでいただきたいですね!」

『じゃあ』

「それとこれとは別問題って話ですよ!」


 白龍イザナミが復活するのであれば、むしろ調査開拓団にとって歓迎すべきことだろう。それなのに、イザナギは『何を言ってるんだコイツ』と言わんばかりの目を向ける。そんな目をしたいのはレティの方であった。


「だいたいですね……! あ、ちょっと待ってください。もぐもぐ」


 イザナギに詰め寄ろうとしたその時、ちょうどセットしていたタイマーがアラートを鳴らす。レティはいそいそとインベントリからSHIRATAMAを取り出し、ぱくりと食べる。しっかりと咀嚼して飲み込み、口元についた白い粉を拭いながら。


「だいたいですね! えっと、……なんでしたっけ?」

『知らないよ』


 あまりにもマイペースなレティの行動に毒気を抜かれたのか、呆れた様子のイザナギ。この様子ならしばらくは大丈夫だろう、とレティの背後ではエイミーたちも白玉を食べ始めていた。


「ああ、そうだ。結局イザナミが復活することのなにが拙いんです。いいことじゃないですか?」


 黒龍イザナギ、彼女もまた総司令現地代理であった。言わば同僚というものだろう。だというのになぜ相方の復活を阻もうとするのか。そこがレティには分からなかった。

 問いただすレティを見て、イザナギは一瞬悲しげに目を伏せる。


『やっぱり、分かってないね。イザナミは、復活したいわけじゃない。ここにレティたちがいて、表にトヨタマがいると、復活してしまうだけ。それは本人の意思ではないから』

「無理やり復活させられると?」

『ここはそういう場所。生死の概念が曖昧で、縁が強くなる。トヨタマがいて、レティ達がいて、現世への縁が強くなっているから』


 砂浜で磁石を転がせば、否応なく砂鉄がついてくるように。レティたちがここにいることでイザナミが復活してしまう。それが何を意味するのかはまだ理解できないが、イザナミもイザナギもそれを望んでいないようだった。


『イザナミは自分で死を選んだ。その身をもって――』


 イザナギが何かを話そうとした、その時。


「きゃああっ!? な、なんか揺れてますよ!?」


 突如、黒土が揺れる。溟海が荒々しく波を立ち上げ、次々とホロウフィッシュが飛び出してくる。その光景に、イザナギさえもが驚きの声をあげていた。


『そんな、早すぎる』

「早すぎるって、まさか……」


 目を見張るイザナギに、レティが予測する。それを推察して、イザナギは頷いた。


『イザナミが、蘇る』


 かつて失踪し、多くの謎に包まれた総司令現地代理イザナミ。それが、このあらゆる法則が反転する曖昧の海で復活を遂げる。

 レティたちの目の前にそれが現れる。


「レティ! 気をつけなさい!」

「れ、レティさーーーん!」


 エイミーが海に向かって盾を構え、Lettyが悲鳴を上げながらレティの方へ。バベルと法王寺の二人は、がむしゃらになって作業を続けている。この状況下にも関わらず全く手を止めないのは、二人が確かに〈大鷲の騎士団〉のトッププレイヤーであることの証左だ。

 約束の時間、建物が完成するまであと数十秒。


『お、が、ぁ、ぁ、A、Ga……あアぁァァあああああああっ!!!!!』


 黒々とした海の底から、巨大なものが現れる。大量の海水を押し除けながら、急速に浮上してくる。その姿を、レティたちは正面から目の当たりにした。


「な、なんですか、あれは……!」

『あれが、白龍イザナミ。総司令現地代理』


 イザナギの言葉も、レティにはにわかには信じられなかった。あれが本当に調査開拓団を導く存在であるのか。あんなものが、存在していいのか。


『お、ぉ、O、おおお、オオオ、Gi、gA、あああああ、ォぁああアあ阿亞鳴呼或!!!!』


 言語とも呼べぬ声を発しながらドロドロとした黒い水を拭いとる。ボロボロと崩れながら、グチャグチャと再生している。絶えず自壊し、常に生まれている。死にながら生き、生きながら腐り、腐りながら死んでいる。


「う、うえええ……!」

「Letty、無理しなくても大丈夫ですからね」


 堪えきれず、Lettyがえずく。そんな彼女の背中を撫で、優しく声をかけながら、レティはしっかりと前を見据えていた。


「ごめんなさい、イザナギ。あなたの言っていたことが分かりました」

『が、ガ、Ga、力゛、ヵ゛、ぁが』


 黄ばんだ牙は歯茎が溶け、抜けかかっている。眼球の収まるはずの眼窩は虚で、闇の奥に爛々と真紅が輝いている。腐った骨が突き出し、錆びた肉が崩れ落ちていく。

 それは目を背けたくなるほどの醜悪な存在だった。海の底に堆積した澱の全てを無造作に固めたような、この世界の悪いものすべてを濾し取ったような。いますぐ目を閉じて、理解を拒絶したくなるもの。

 名前を付けることさえ憚られるような、そんな存在。


「見覚えがあります。――〈コノハナサクヤ監獄闘技場〉のミニボスたちが、似たような形をしていますね」


 汚染術式に侵され、簡易輪廻転生システムによる地道な浄化治療を受けているかつての第零期先行調査開拓団員たち。その姿に、目の前の龍は非常によく似ていた。だが、その腐敗は“汚穢のクソト”の比ではない。

 それをさらに醜悪にしたなにかだ。


「イザナギ、これを眠らせてあげるには、どうすればいいんですか?」


 レティはやるべきことを決めた。

 イザナギは端的に答える。


『もう一度、沈める。深い海の底に』

「分かりました。――では」


 祈りを込めて。哀悼をこめて。レティがハンマーを握り、そして――。


『Ga Aあアアアア鳴呼あゝあああああああっ!?』

「ほぎゃーーっ!?」


 走り出すよりも早く、異変が起こる。

 溟海から復活を果たそうとした白龍イザナミ。それが陸に向かって動き出そうとしたその時、どこからともなく巨大な、黒々とした針がそれを突き刺したのだ。否、それは針ではない。イザナミの体にまとわりつき、締め付けるように生長しつづける巨大な樹木のようだ。水の中から飛び出し、イザナミの体を蹂躙している。

 あまりにも突然の展開にレティは足を止め、イザナギも理解が追いついていない。


「え、エイミー、あれはいったい!?」

「知らないわよ。というか、私たちも危ないんじゃない?」


 謎の木は周囲へ広がる。それはすぐにも上陸し、レティたちにも襲いかかりそうだった。レティの天性の戦闘センスが警鐘を鳴らしている。今すぐに逃げろ、と。


「レティ、完成したぞ!」


 そこへバベルの声。

 戦場建築士二人によって、堅固な砦が作り上げられていた。


「っ! Letty、イザナギ、とりあえずここは避難しますよ!」


 レティは即断即決し、砦に向かって走り出した。


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Tips

百龍無敵城砦バイロンウディチェンバオ“アンブロークン・ナイツヘッズ”

 立ち誇る、堅牢の城。百刃千矢の猛攻に不動。故にそれは敵を無しとする。完璧の盾となり、絶対の防御が保証される。

“PDBにあったんだが、ブラックダークちゃんの設計?”――〈大鷲の騎士団〉支援部長

“くっくっく……。全然知らん、何これ……”――管理者ブラックダーク


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