第1583話「釣王決定戦」

「はぁはぁ……やっと釣りができる……釣り……釣り……」


 なにやら禁断症状のような手の震えを抑えつつ、アンは釣竿に餌をつけていく。彼女が選んだのはイカの干物――スルメイカだ。食品ではあるものの、実際に釣り餌として使えるものでもある。飲兵衛たちの悲哀を軽やかに一蹴し、早速竿を振った。


「はぁっはあっ! 釣りだぁ!」

「アン、仕事でストレス溜まってるんでしょうか……」


 レティが心配そうに見守るなか、アンの投げたスルメイカは幻想の海へと落ちていく。

 彼女の後を追うように、騎士団の釣り師たちも次々と針を投げていった。


「けど、ほんとに魚なんてかかるの? 上から見えてるやつも実体はないんでしょ?」


 疑わしげな目を向けるのはLettyである。彼女の言う通り、この裏世界の海を泳ぐ魚を捉えることは、今のところできていない。幻想的な光を放ちながら泳ぐ魚は、ただ眺めることしかできないのだ。


「ま、こういうのは実験するのが楽しいんだ。アンだって実際に釣れるかどうかはそこまで気にしてないんじゃ――」

「いけーーーっ! 食え! 食いつけ!!! スルメですよ!!! 旨みたっぷり!!!! 食えーーー!!!」

「……何事にも本気で挑むというのも大事だからな」


 あんなに叫んだら釣れる魚も釣れないのではないかと思うのだが、彼女はまるで全財産を賭けたかのような必死さだ。彼女だけでなく、騎士団の釣り人たちも大声で釣り針に声援を送っている。

 釣りってあんなに賑やかな競技だっただろうか。


「ハハハー! 〈白鹿庵〉の釣り、お粗末デース!」

「なんですとぉ? 誰ですかあなたは!」

「〈大鷲の騎士団〉のフィッシングチャンプ、三度の米より飯が寿司と申しマース!」


 騎士団から、またイロモノが出てきた。星条旗柄の海パンに濃く焼けた肌、手にシンプルな竹竿を持っている。


「アイさん、あの方は……?」

「三度の米より飯が寿司という名前なんです。あんなんですけど、釣りの技術は高いんです」


 本当なんです、信じてください。と必死に訴えるアイ。別に信じていないわけではないのだが。ガチ勢の中のガチ勢が集まる〈大鷲の騎士団〉の、更に精鋭が選び抜かれた第一戦闘班にあのような逸材がいたとは。


「くっ、勝手に言わせておけば……。釣りは競い合うための道具じゃありませんよ!」

「よりデカい獲物を多く釣れた者が一番なんデース!」

「な、なんてことを……。私と釣りで勝負です!」

「受けてたちまショウ! ただし、真正面から啖呵を切ったからには、メートル越えの大物を釣らないと話にもなりまセーンよ!」

「ええっ!? メートル越えの大物を!?」


 釣り好き通し、なんやかんや波長は合うのだろうか。二人は釣り対決をする流れになっていた。そもそもアンは先んじてスルメを投げ込んでいるし、そちらはうんともすんとも言っていないのだが。

 ともかく、騎士団のアメリカン海パン野郎こと三度の米より飯が寿司とアンの釣り勝負が勃発した。長らく状況に変化がないだけあって、周囲の騎士団員たちも軽率に囃し立てている。


「大丈夫でしょうか」

「別に死ぬことはないと思うから、好きにやらせればいいんじゃない?」


 いつもとは様子の違ったアンに不安を覚えるレティとは対照的に、ラクトはあっけらかんと言い放つ。

 その間にも二人の勝負は華々しく幕を開けた。


「相手の方が経験もスキルレベルも上、スルメ一本では分が悪いですね。なればこそ、こちらは手数で勝負です!」


 アンの行動は素早かった。彼女は船倉に駆け込むと、重そうな保管庫を引きずってくる。その中から次々と取り出したのは、俺も見たことのない真新しい釣竿の数々だった。


「ああっ! アンったらあんなに散財して!」

「お許しください、お嬢様。出番が来たので実質チャラなんです!」


 知らぬ間に釣竿コレクターの道も歩み始めていたアンに、レティが驚きの声をあげる。本人は悪びれる様子もなく、釣竿スタンドにそれらを立てかけていく。どうやら、同時に何本もの竿を使ってチャンスを増やす作戦のようだ。


「何をたくらんでいるのか知りまセンが、この勝負はワタシの勝ちデース!」


 三飯は手に持っていた竹竿を振るう。その竿は、海釣りという勝負の条件を考えるとあまりにも異質だった。夏休みの子供が田舎で楽しむような、そんな郷愁に駆られることはあれど、それが大物を釣り上げるとは到底思えない。

 だが、その釣り様を見た周囲の反応はどよめきだった。


「お前、それは……!」

「そもそもこの裏世界にやって来た状況からして、通常の釣り餌では意味がない可能性は濃厚デース。稲荷寿司に痩魚が食いついたところから条件を推測すると、食品のそのものよりも、それが宿す神聖性――つまりマイナスのカルマ値が重要なのではないかと思いマース! ですので、ワタシが使うのはこの鹿せんべいを用いマース!」


 その言葉に、ずっと我関せずを貫いてた白月がぴくりと耳を揺らして反応する。しかし鹿せんべい自体はお気に召さなかったようで、またぷかぷかと船を漕ぎはじめた。船の上で船を漕ぐとは、ふふふ。

 ともあれ流石は腐っても攻略組の精鋭ということか、三飯の推測は理に適っているような気もする。なぜそこで鹿せんべいが選ばれたのかはよく分からないが、実際のところ鹿せんべいは稲荷寿司と同様にカルマ値を下げる働きを持っているらしい。


「シフォン的に鹿せんべいはどうなんだ?」

「鹿用だから薄味であんまり美味しくない……」


 一応、彼女も食べたことはあるらしい。

 軽量で保存も利き、味を度外視すればモデル-ヨーコの“消魂”対策にはいいものなのだろう。

 三度の米より飯が寿司はそれを大胆にも竹竿の糸にくくりつけ、海に向かって投げる。


「せぇええええいっ! デース!」


 取ってつけたようなひょうきんな語尾とともに、鹿せんべいが海に落ちた。

 その直後のことだった。


『コォオオオオオオオオンッ!』

「うわーーーーーっ!?」


 静寂を保っていた海が突如として荒れる。猛烈な波と飛沫が吹き上がり、並んだ二隻の船が大きく揺れる。俺たちが慌てて近くのものを掴んで体を固定するなか、三飯は歓声を上げていた。


「っしゃらーーーい! やはりワタシの推測は正しかったようですネェエエエエッ!」


 彼の投げ込んだ鹿せんべいに間髪入れず食いついたものが、海中から勢いよく飛び出す。それは……。


「か、蟹ぃ!?」

「でも鑑定した名前は“ホロウフィッシュ”と出ています!」

「あの姿はまやかしですよ。解析した結果、巨大なサメの姿が!」


 狐のような声で鳴く巨大な蟹。名前はホロウフィッシュ。そして、高い〈鑑定〉スキルを用いて真の姿を見てみれば、禍々しい牙を並べたサメ。奇妙なほどにチグハグな存在が、大きく海面に飛び出した。


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Tips

◇鹿せんべい

 鹿を愛し、鹿に愛されたせんべい。鹿の、鹿による、鹿のためのせんべい。鹿が食べると幸福が世界を救う。鹿以外が食べたら「あ、こんな感じなんだ」となる。せんべいof the 鹿。

“おいしいよ”


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