第1582話「釣り餌の候補」

 アイたち騎士団第一戦闘班の乗るクチナシ級二番艦と共に、裏世界における〈塩蜥蜴の干潟〉の座標へと向かう。表世界のアストラたちは攻撃を諦めてくれたのか、今のところは平和な状況が続いていた。


「はぁ……。こんなに綺麗な魚が見えるのに、どうして釣れないんでしょう」


 表世界から霊術による攻撃がなければ、こちらとしてもやることはない。クチナシや隊長に操船を任せると、レティたちも各々にリラックスし始めた。そんななか、ひとり元気がないのはアンである。

 彼女は船縁から海面を覗き込み、深いため息をつく。

 裏世界の海は暗くも美しい。水面近くを輝く魚が悠々と泳ぎ、まるで頭上の星空を鏡に映したかのようだ。魚の姿形も多種多様で、当然ながらそのすべてが未知の種類でもある。

 釣り人であるアンからすれば、垂涎の光景だろう。しかし悲しいかな、彼女がどれほど竿を振っても、針に魚はかからない。まるでそんなものはないかのように、ただゆったりと泳いでいる。


「ミイラ魚は普通の釣り餌じゃ反応しなかったし、今回もそうなんじゃないか?」


 あまりにも意気消沈している背中を見るに見かねて声をかける。俺たちがこの裏世界へやってくる原因となったミイラ魚は、通常の方法では釣ることもできなかった。思い返せば、よくシフォンが稲荷寿司を落としてくれたものだ。


「そう思ってシフォンに稲荷寿司が欲しいと言っているんですけど」

「だ、ダメだよ! そんなのもったいない!」


 一縷の望みをかけて、アンはちらりとシフォンを見る。テントの中でもむもむと稲荷寿司を齧っていた狐娘は、まるでトンビに狙われたかのように背中をこちらに向けて稲荷寿司を隠す。

 彼女もT-1ほどではないにせよ、なんだかんだ稲荷寿司が好物になっている。そうでなくとも、食べ物を海に投げるというのはあまり気持ちのいいことではないのだろう。

 アンもそんなシフォンの心情は理解できるようで、強硬に要求はしていない。


「アイも稲荷寿司を使ってこっちに来たんだよな?」

「はい。とりあえずレッジさんたちの状況を再現することが優先だったので」


 こういう状況でなければ、攻略組として稲荷寿司以外の餌でもミイラ魚が反応するのか検証をするのだろう。しかし、当初は俺たちの状況の再現性を確認するだけで精一杯だったという。

 収穫がまったく無かったというわけでもなく、アイたちの再現実験によって、ただ稲荷寿司を投げるだけでは意味がなく、稲荷寿司を釣り餌としてミイラ魚を釣ることが重要であることは分かっていた。

 稲荷寿司を投げるか針につけるかで品質が変わるとも思えないので、どちらかというと儀式的な意味合いの方が強いのだろうか。


「ダメで元々ですけど、この海で別の餌も試してみます?」


 色々候補はありますよ、とアイ。さすが騎士団の船だけあって、物資の量も種類も桁違いだ。特にやることもないので、ぜひにと参加させてもらう。


「とりあえず釣り餌として使えそうなものは、カニカマ、エビ、スルメ、サバ……。このあたりでしょうか」


 騎士団員が船倉から小さな保管箱を持ってきてくれて、その中身を甲板に広げる。何がいつ使えるかも分からないからか、騎士団は常に色々な備えを取っているのだろう。


「ああ、俺のツマミが……」

「せめてスルメは残しておいてほしい……」


 ……それだけが理由でもなさそうだが。騎士団の団長と副団長が若いから勘違いすることもあるが、騎士団員には普通に俺と同世代っぽいおじさんたちもいるのだ。非VR系の時代からゲームを楽しんでいた身からすれば、やはり何か食べながらプレイするのも楽しいものだ。


「チョコレートカップケーキ、チョコレートマフィン、チョコシフォンケーキ、生チョコレート、フォンダンショコラ、チョコカヌレ……」

「うわーーっ! そ、それはダメです!」


 続いて出てきたのは大量のチョコレート。あまりのチョコチョコしさに瞠目していると、騎士団のなかから慌てた声と共に長身の女性が飛び出してきた。


「クリスティーナ、またこんなに積み込んでたんですか」

「だ、だって……。なくなると口寂しいじゃないですか」


 呆れるアイに対し、保管箱を守るように抱えて唇を尖らせるのは、騎士団突撃隊隊長のクリスティーナだ。どうやら、この大量のチョコレートの山は彼女が密かに他の荷物に紛れ込ませるように積み込んだものらしい。


「というかチョコレートで魚は釣れませんから! これは預かります!」

「預かりますって……。まあいいですけどね」


 チョコレートは引き取られ、また仕切り直しになる。

 とはいえ、出てくるのはほとんどが食材レベルのアイテムばかり。基本的には、これらは後方支援部に属する調理担当が色々な料理にするためのものなのだそう。


「あ、そういえばアレがあったな」


 ずらりと並んだ食材を見て、ふと船倉にしまい込んでいたものを思い出す。レティに頼んで持ち出してもらったのは、冷凍保存してそのまま放置していたレペルロブスターの剥き身だった。


「立派なレペルロブスターじゃないですか。いいお値段するんじゃないですか?」

「元々は売るつもりだったんだけどな。なんやかんやあって20kgほど手元に戻ってきたんだ」


 これは以前、屋台の店主に条件付きで売ろうとしたものだ。しかし店主がこんなに大量にあっても持て余すと言って、20kgがこちらに戻ってきた。それからまた売り先を探す余裕もなく、なんだかんだでここまで持ってきてしまっていた。


「せっかくだ、これもちょっと使ってみるか」

「豪華な餌ですねぇ。レティが食べたいくらいなんですけど」


 〈塩蜥蜴の干潟〉のレアエネミーという、今のところ最高ランクの高級食材だ。当然、調査開拓員用の料理にしてもとても美味しい。クチナシの大型冷凍庫に入れていたこともあり、状態もまだまだ良好だ。

 まあ20kg全部を使う必要もない。残ったものはみんなで食べるとしよう。


「アン、それじゃあちょっとやってみるか」

「任せてください!」


 やっと釣りの出番だとアンが張り切る。彼女に続くのは騎士団の釣り師たちだ。彼らもまた、アンと同じ釣りバカなのである。


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Tips

◇スルメ

 イカを開いて内臓を除き、乾燥させた食品。噛めば噛むほど旨味が広がる。酒のツマミ。

“カメカメスルメ”

 効果中、〈賭博〉スキルの効果量がごくわずかに上昇する。酩酊度が高いほど効果は低くなる。


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