第1577話「幽霊船追跡」

 クチナシ級十七番艦の甲板から稲荷寿司が投げられ、それに謎の乾いた魚が食いついたところまでは、周囲の僚船も「また〈白鹿庵〉が妙なことをやりはじめたぞ」と驚きつつも平静を保っていた。状況が変わったのは、その直後のことだ。

 甲板に引き上げられた魚をレティたちの連撃が襲い、守備よく最初の功績が打ち立てられるかと思われたその時。乾いた魚が急激に膨れ上がり、そして破裂した。噴き出したおびただしい量の黒い体液がクチナシ級十七番艦を侵蝕し、そして沈めたのだ。

 あまりにも急な事態に周囲が慌てる中、真っ先に動き出したのは〈大鷲の騎士団〉の繰る船だった。しかし、救助活動が始まるよりも早く、第二の変化が訪れた。


「団長! なんかよく分からない船が出てきました!」

「全船停止! なにか様子がおかしい。あれはレッジさんの船じゃなさそうだ!」


 観測員の連絡を受け、アストラは即断即決で指示を繰り出す。練度の高い第一戦闘班の面々は、戸惑いや迷いすらなく迅速に船を停止させた。


『ヨーホー! なんだィあの船は!』

「さてね。……見るからに不気味な雰囲気たっぷりだけど」


 ドクロマークの飾りを付けた三角帽子を被った少女――クチナシ級一番艦のSCS、通称“船長”が古びた真鍮の望遠鏡をぶんぶんと振り回す。その隣でアストラは注意深く、現れた船を見つめる。

 すでに騎士団の観測班も動き出している。

 クチナシ級十七番艦と入れ替わるようにして海面下から現れたのは、時代的にも時間的にも古びた雰囲気の帆船だった。往時には勇壮な気風すら纏っていたのであろう三本のマストも、今は帆が破れ微風に揺らめいている。船首には顔が半分欠けたマーメイドの飾りが掲げられ、船側の窓からは黒々とした砲が顔を覗かせている。


『ありゃあ海賊船ってヤツだな! 旗があれば完璧なんだが』

「乗組員が足りないじゃないか。とにかく、各船は砲の射線に入らないよう注意しろ」


 少し悔しそうに腕を組む船長を適当にあしらいつつ、アストラは指示を出す。全く未知の存在に対して勇猛果敢に襲いかかるほど、攻略組も短絡的ではない。まずは各種の手段で調べられることを調べなければ。


「レーダーでは感知できません。実体があるのかも怪しいですよ」

「文字通りの幽霊船ってわけか。本部に連絡し、霊術師も調査に加わってくれ」

「了解!」


 目視での確認は間違いなくできている。にもかかわらず、カメラのような撮影機器では捉えられず、レーダーでもその存在を感知できない。アストラはすぐに三術系のスキルを習得している人員を呼び寄せ、調査に加える。


「団長!」


 そして、その結果は程なくして上げられた。

 一人の団員が、興奮した様子で一枚の写真を持ってやってくる。


「霊術師に『霊感撮影』をさせました。その結果が……」

「これは……」


 〈霊術〉スキルと〈撮影〉スキルの二つを高いレベルで持つ調査開拓員によって撮影された写真。電子データ化ができないため、インスタントカメラで撮影したような暖色系の色味の強い実物の写真だ。

 そこに写っていたのは、不気味な笑顔のようにも見える表情でこちらを見る骸骨の群れだった。


「強襲はもうしばらく待て。霊術師、少なくとも三術系術師で隊を組み、参謀部で作戦を」

「了解! 幽霊船とは、また面白くなってきましたねぇ!」


 攻略組最大手に所属するだけあって、団員たちの士気は高い。本物の幽霊船の出現と聞いて、恐ろしげな悲鳴をあげるものの、多くの者は笑みも含んでいる。

 作戦立案を担当する参謀部がTELを用いて侃侃諤諤の議論を始めるのを聞きながら、アストラは幽霊船の出現と同時に消えたレッジたちの行方に思考を巡らせる。


「おそらく、稲荷寿司を海に投げ込んだこと……いや、それで魚を釣ったことがトリガーか。魚に一定のダメージを与えると、船が沈められて代わりに幽霊船が出てくる? もしそうなら、レッジさんたちは幽霊船側の世界に行っている可能性もあるか」

「団長!」


 アストラの下に、再び報告が。


「幽霊船が移動を始めました! 〈塩蜥蜴の干潟〉の方向です!」

「一番艦、四番艦は一定の距離を取りつつ追いかけろ。本部とも連絡は取り続けているな?」

「問題ありません!」

「支援部、稲荷寿司は用意できるか?」

『い、稲荷寿司ですか!?』


 幽霊船が動き始めたことで、一番艦から五番艦まで、〈大鷲の騎士団〉が保有するクチナシ級も動き始める。アストラが乗る一番艦とアッシュが乗る四番艦が幽霊船の追跡を、アイの乗る二番艦は現在地で留まり、三番艦と五番艦は〈黄濁の溟海〉を更に先へ進む。

 その間、一番艦の支援部に連絡を取ったアストラは、稲荷寿司を注文する。突飛な要求にも拘らず、騎士団の矜持にかけて支援部も稲荷寿司の製造を始めた。


『あうぅ……。だ、団長さん……、私も……あの船ぶちコロ……じゃなくて、追いかけたいです……』

「隊長はアイと一緒に水面下の調査をしてください。まだ見ぬ敵がいるかもしれませんから」

『うぅ……りょ、了解です……。敵さえ出てきてくれたらぶっ潰すのに……』


 二番艦のSCSからも素晴らしい意気込みを聞いたところで、アストラは移動を始めている幽霊船に視線を戻す。霊術師による観測では、乗船している骸骨たちは錆びたサーベルなどを振り回し威嚇こそするものの、飛び移ってくるような気配はない。


「銃撃と機術攻撃を試してみるか」

「効きますかね?」

「さて、それを調べるのが俺たちだ」


 ちょうど折よく本部から『正体不明船舶を捕縛せよ』との指令も送られてきた。アストラの指示一つで引き金を引けるよう、長大な狙撃銃を構えた銃士たちが船縁にずらりと並ぶ。


「照準固定、弾丸装填。――撃てッ!」


 ――ダンッ!


 整然と並んだ二十五の銃砲が一斉に火を噴く。一分の狂いすらなく同時に発撃され、その音は単発のそれに聞こえるほどだ。並んで飛び出した鉛玉は、一直線に幽霊船へ飛びかかる。


『ヨーホー!』


 船長の快哉。

 幽霊船の速度は見た目相応のそれを逸脱せず、旋回すら間に合わない。だが、そもそも幽霊船は射撃に反応すらしていないように見えた。

 数秒後、着弾。


「検証。――全弾命中、しかし損害なし」

「すり抜けてるみたいですね」

「ま、そうなるか」


 狙いは正確だった。にも拘らず、銃弾は敵に被害を一切与えなかった。

 その結果に、アストラと周辺の団員たちは宜なるかなと頷くのみだ。見た目からして幽霊船、しかもカメラやレーダーに映らないとなれば、弾丸が当たるはずもない。続くアーツ攻撃も各属性ともに不発であった。


「それじゃあ、本命いこうか。――霊術師、攻撃準備」

「了解!」


 動き出したのは霊術師。霊魂を使役し、理外の攻撃を繰り出す三術の一角。

 騎士団第一戦闘班に所属しているだけあって、その実力は本物だ。ただし、スキルに対するシナジーの関係で、装備はおどろおどろしい黒く古びたローブの怪しげな雰囲気である。

 待ってましたとばかりに現れた霊術師が、幽霊船を睨む。


「さあ、出番だよ。『霊獣召喚』――“怒り狂う大渦の海蛇アンガーサーペント”」


 首にじゃらりと下げていた、無数の首飾り。その一つを手に取り、彼は朗々と呼びかける。首飾りの骨片は、彼と霊獣の契約の印。その呼びかけに応じて、異形のものが目を覚ます。

 霊術師が骨片を海に投げ落とす。直後、その波紋を中心に水面が泡立ち、大きくうねる。船が巻き込まれないよう急速に離れていくなか、大渦の中から巨大な蛇が飛び出した。


『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!』


 憤怒の雄叫び。怨嗟の唸り。眼窩は虚ろながら、その奥に赤い狂気の光を宿している。全ての鱗が逆向きに飛び出し、荒々しく禍々しい躯体に暗い赤色の血管が張り付いている。

 強い怨念を宿し、確固たる執着の楔によって魂魄を留める霊蛇が、勢いよく幽霊船へ飛びかかった。


━━━━━

Tips

◇ “怒り狂う大渦の海蛇アンガーサーペント

 大時化の海で激闘の末に死んだ大海蛇の未練。その闘志は衰えるところを知らず、怨嗟は尽きることがない。沈みゆく躯体に鞭を打ち、ただあと一撃を渇望する。浮かび上がる泡沫を見送りながら閉じるべき終幕は、まだ訪れない。


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