第1576話「星の輝く海で」

 それはトーカがミイラ魚の首を落とそうとした時のことだった。レティとLettyの連撃が華麗に決まり、トーカの抜刀術によって戦いに決着が付くと誰もが確信した直後。


「――これはいったい、何がどうなってるんだ?」


 ミイラ魚が一瞬にして膨れ上がり、そして爆ぜた。飛び散った黒い体液のようなものを浴びた瞬間、眼前の光景が一変していた。


「さっきまで昼だったのに」

「真っ暗闇になっちゃったね」


 突き抜けるような蒼穹はガラス片のような星々が散りばめられた幻想的な夜空へと変わっている。波まで墨を溶かしたかのような黒い海には、直前まですぐ近くにいた僚船の姿が見えない。だが、その代わりに、水面間近をのんびりと漂うように泳ぐ立派な海棲生物がいる。体を淡く発光させているせいで暗闇の海の中でも存在感を発揮し、夜天と同じ幻想に満ちた雰囲気を醸し出している。

 沈黙を保っていた魚群探知機が、今は無数の生体反応を捉えている。ミイラのような醜い姿のものではなく、神々しさすら感じる魚たちの楽園だ。


「ほわーーーっ!? 夜釣りがし放題じゃないですか! 素晴らしい!」

「待て待て、アン。まずは状況を調べてからだ」

「そんなぁ!?」


 一面のおさかな天国にアンのテンションが爆上げだが、釣り糸を垂らすのは押しとどめる。

 自分たちが何処にいるのか、どんな状況に置かれているのか。その調査をしなければ。


「ダメだね。本部との連絡がつかないよ」

「予想はしてたが、やっぱりか……」


 本部にいるT-1たちとの連絡を試みていたラクトが首を振る。

 明らかに5秒前にいた〈黄濁の溟海〉とは異なる海で、なんなら空間ごと変わっている可能性すらある。満天の星空のなかに通信監視衛星群ツクヨミの姿もなさそうだ。


「はえええ……。これ、ちゃんと帰れるのかなぁ」

「それも調べないと分からないな」


 涙目のシフォンを励ましつつ、実際どうすればこの世界から抜け出せるのかを考えていく。ミイラ魚がトリガーとなっているのならば、それを探せばいいのだろうが、海面を上から見た感じではそれらしい魚影は見えない。


「とりあえず、何か狩ってみます?」

「いつでも釣りあげますよ!」


 ふんすふんすと鼻息の荒い主従ふたり。

 こちらに解析系スキルを持った人員が揃っていれば、鑑定でいろいろ調べることもできたのだろうが。あいにく、〈白鹿庵〉は俺以外の全員が戦闘職という脳筋集団だ。アンも一応非戦闘員ではあるのだが、今回は様子が違うしな。


「とりあえず、ちょっと釣ってみ――」

「了解です! フィッシン!」


 俺が言い切るまでもなく、アンが釣竿を振る。勢いよく飛び出した針がちゃぽんと水面に飛沫をあげて落ちていく。そして。


「……」

「……」

「……」

「釣れませんねぇ」

「あ、あれぇ?」


 うんともすんともいわない静寂の時間が訪れる。

 アンがリールを巻いて何度か投げ直してみるも、結果は変わらず。そこに見えるはずの悠々と泳ぐ魚たちは、アンの釣り針に全くもって反応しない。


「餌が悪いんじゃないですか?」

「やっぱり稲荷寿司しかダメなんでしょうか……。シフォンさん!」

「はええっ!? だ、ダメだよぉ。もったいないよぅ」

「これも必要な犠牲というやつです!」


 アンに稲荷寿司をカツアゲされるシフォン。釣竿を持ったアンは、なぜか少し怖くなる。


「はええ……」

「稲荷寿司なら船倉にまだあったはずだから。元気出しなさいな」


 シフォンがエイミーに慰められるのを尻目に、アンは釣り餌のかわりに稲荷寿司を取り付けた竿を振る。


「そぉれっ!」


 勢いよく糸が伸び、光る魚たちの群れの直上へ。釣りにハマっているだけあって、その腕前はかなり磨きがかかっている。


「……あれぇ?」

「釣れないじゃんっ!」


 しかし稲荷寿司は無為に沈んでいく。シフォンが船縁から身を乗り出してそれを見送る。アンは困惑顔で首をかしげるしかない。


「あの魚たちは釣れないの?」

「それどころか、実体があるかどうかすら怪しいわね」


 エイミーが水面を指差す。

 沈んでいく稲荷寿司は、幻想的に輝く魚の体をすり抜けているように見えた。魚たちはそれになんら反応を示すこともなく、ただゆっくりと気ままに泳ぎ続けている。まるでホログラムの映像を見ているかのようだ。


「いっそ泳いで直に……」

「流石に水の中に入るのは危険だろ」


 これが昼間ならばともかく、なぜか星空輝く夜の海だ。流石に星の光だけで泳げるほど慢心してはいけないだろう。


「じゃあどうするの? 八方塞がりってこと?」

「塞がってるならぶっ壊そうよ」


 Lettyが頬を膨らませる。彼女もレティのフォロワーをしているだけあって、発想が基本的に豪快だ。


「うーん。……うん? なんだ、地図は使えるのか?」


 どうするべきかと悩んでいると、ふとマップが使えることに気がつく。使えるといっても、座標が表示されているだけなのだが。GNSSを構築しているツクヨミとの通信は途絶しているのだが、いったいどういうことだろう。


「とりあえず、引き返してみるか」

「引き返すって、この状況でですか?」

「地図を見つつ、〈塩蜥蜴の干潟〉まで行ってみよう。何か見つかるかもしれない」


 ひとまずの方針は決めたが、レティたちは半信半疑といった様子だ。とにかく、クチナシは俺の言葉に従って船の進路を反転させる。

 俺たちは幻想的な海を眺めながら、〈塩蜥蜴の干潟〉があるはずの方向へと動き出した。


━━━━━


『なんじゃなんじゃ、どうしたのじゃ!』


 解析班のテントへと飛び込むT-1。彼女が見たのは、広域レーダーのディスプレイを取り囲む調査開拓員たちだった。彼らは血相を変え、駆けつけた指揮官に慌てて報告する。


「〈黄濁の溟海〉で突然、正体不明の幽霊船……のようなものが出現しました。〈大鷲の騎士団〉を含め、近くにいた船によりますと、それは〈白鹿庵〉の船が沈むと同時に現れたとかで……」

『なんじゃと!?』


 しどろもどろの報告だったが、T-1を驚かせるには十分だった。

 しかし、彼女よりもさらに激しく反応したのは、


『レッジは無事なんですか!?』

『ふぎゃっ!?』


 T-1を押し除けて詰め寄るウェイド。解析班の調査開拓員は、狼狽えながらも首肯する。


「い、今のところ〈白鹿庵〉のメンバーが戻ってきたという報告はないです。ただ、通信は繋がらない状況でして……」

『幽霊船は何をしているんです? 危険な兆候は?』

「え、ええと……。あ、今はこちらに向かって進んできているみたいです!」

『今すぐその幽霊船を捕縛しなさい。情報を集め、捜索します!』

「は、はいぃ!」


 ウェイドの号令が全団に響き渡る。

 その背後で、トヨタマが不安そうな顔をして水平線を見つめていた。


━━━━━

Tips

◇正体不明船舶

 〈特殊開拓指令;月海の水渡り〉の最中に発見された、謎の船舶。あらゆる呼びかけに応じず、単独での行動を続けている。調査開拓員各位は、これの捕縛と調査をただちに実行するべし。


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