第1575話「釣りあげた怪魚」

「はえええっ!? ひ、干物!?」

「生きてると思うよ。とりあえず戦闘準備!」


 慌てふためくシフォンに、ラクトが冷静に喝を入れる。

 稲荷寿司を追いかけるように飛び出してきた巨大魚は、骨に皮が張り付いたようなおどろおどろしいミイラのような姿をしていた。ギョロリと大きな目がいやに生々しく、迫力に満ちている。

 しかし、待望した“功績”の登場に、レティたちは一切怯む様子がない。むしろ今こそ出る時と気炎を挙げている。


「アン、釣り餌を稲荷寿司に変えてください」

「ええっ!? わ、分かりましたよぉ!」


 レティからのとんでもない指示を受け、アンが釣り針に稲荷寿司を引っ掛ける。かなり頓珍漢な姿だが、その行為を疑う者はいない。

 アンは竿を振り上げ、勢いを乗せて振り下ろす。針が飛び、海面へ。飛沫を上げて稲荷寿司が落ちた瞬間、


『グォオオオオオオオオッ!!!』

「かかったっ!」


 水面下に戻っていたミイラ魚が食いついた。リールが猛烈な勢いで回転し、糸が伸びていく。アンは慌ててハンドルを掴み、糸を巻き上げ始める。


「ほいっ、ほいっ! ――私の釣り技を舐めないでくださいよっ!」


 釣りはタイミングよく竿を引くことで、魚を引き寄せることができる。一般に獲物のレベルが高いほどタイミングはシビアでパターンは複雑になっていく。だが、アンはすでに百戦錬磨の釣り名人となっていた。鮮やかな竿捌きで、着実にミイラ魚を船に近づける。

 その表情は鬼気迫るものがあり、額には脂汗も浮かんでいる。重量もさることながら、反抗の意思が凄まじい。油断していれば、アンの体ごと海に引き摺り込まれそうですらあった。


「今だ!」

「はい、師匠!」


 激しい攻防の末、ミイラ魚が船から五メートルほどの距離に入る。その瞬間、バチンと弾ける音と共に鋼糸製の頑丈な網が魚体を掬い上げる。俺とヨモギによる〈罠〉スキル、吊るし網だ。

 体の自由を制限されたことで、アンも釣りやすくなる。彼女は竿をU字になるほどしならせ、大声で鼓舞しながら糸を巻く。


「ふおおおおおおっ!」

『グォヴァアアアッ!』


 アンとミイラの声が重なり合う。網の効力が切れた瞬間、解放されると共に釣り上げられたミイラが宙を舞い、甲板へ。

 そこに待ち構えるのは――。


「いい位置です、アン。――咬砕流、二の技!」


 ハンマーを構え、睨み上げるレティ。水から飛び出した魚は、重力から逃れることはできない。その鼻っ柱目掛けて、黒鉄の巨鎚が繰り出される。


「『骨砕ク顎』ッ!」

『ゴヴァアアアアアアッ!!!!』


 凄まじい衝撃。反発する力で船が傾くほどの威力を、レティはハンマーの先端で爆発させた。高く打ち上がったミイラは悲鳴を上げるが、まだ終わりではない。

 レティはモデル-ラビットの卓越した脚力により高く跳躍し、ミイラの頭上へと先回りする。『骨砕ク顎』のシーケンスはまだ終わっていない。


「てゃああああああああっ!」


 頭部を的確に狙う打ち落とし。突き上げた勢いを相殺し余りあるほどの衝撃で、今度は下へ叩きつけられる。

 クチナシの分厚く頑丈な甲板に、ミイラ魚の頭が強かに打ち付けられた。衝撃でシフォンが『はえん』と鳴いている。

 咬砕流、二の技『骨砕ク顎』は敵を高く打ち上げ、そして叩き落とす。その二連撃を的確に頭部に叩き込むことによりほぼ確実に目眩を、より強く打ち付ければ気絶させることもできる。

 そして――。


「うふひっ。レティさんとの共同作業、漲りますっ! ――咬砕流、二の技っ!」


 落下地点にはまだハンマーがある。

 待ち構えるのは鮮やかな真紅の髪を靡かせたウサミミの少女。レティと全く同じ装備、全く同じ構え、全く同じ動きで繰り出される、同じ攻撃。まるで時を巻き戻したかのように、再びミイラ魚が打ち上げられる。


「『骨砕ク顎』ッ!」


 そして打ち上げられたならば、叩きつけられる。

 畳み掛ける二連撃の二連続。四つの打撃によってミイラ魚は反撃の隙さえも与えられず一方的に打ちのめされる。破壊力に特化したハンマーの打撃は、その骨と皮だけの乾いた体に遺憾無く威力を発揮することだろう。


「魚ならば首がある。首があるなら――斬りましょう」


 攻撃はまだ終わらない。

 レティとLettyによるコンビネーションアタックが決まった直後、甲板を軽快に蹴る足音が。黒髪を広げ、紅刃が煌めく。


「『一閃』ッ!」


 斬。


━━━━━


『むむっ!?』


 〈塩蜥蜴の干潟〉中央、〈エウルブギュギュアの献花台〉の集積地に作られた臨時の作戦本部にて。テントの中で山盛りの稲荷寿司を頬張っていたT-1が片眉を上げる。彼女の元には先ほど出発した第一陣からリアルタイムに情報が送られてくる。それと同時に航行支援標識〈ミオツクシ〉の設置も進められており、〈黄濁の溟海〉の調査結果もまた、本部に併設された解析室で処理が進んでいる。


『どうしました、T-1?』


 第一陣の帰還に備え、差し入れのおにぎりを作っていたT-3が首を傾げる。フリル付きのエプロンが妙に様になっていた。


『――このおいなりさん、中に真珠が入っておったのじゃ』


 ぺ、とT-1が手のひらの上に吐き出したのは、小指の爪ほどの小さな玉だ。サイズはともかくキラリと輝き、乳白色の微妙なグラデーションが美しい。


『質問。海鮮と稲荷寿司の相性はいい?』

『もちろんなのじゃ。どちらも寿司じゃからの』


 解析班の様子を見ていたT-2も、T-1の動きに気がついて振り返る。彼女はテーブルの大きな寿司桶にずらりと並んだ稲荷寿司を不思議そうに見ていた。T-1が食べていたのは、〈怪魚の海溝〉で獲れた魚介類をふんだんに使った豪華海鮮稲荷寿司である。


『真珠もまた、愛の形の一つですよ♡ ――それはともかく、みんなが頑張ってくれているのに、一人だけパクパク食べてるなんて、愛が足りませんよ?』


 真珠を見てにっこりと笑った直後、T-1を見てむっと眉を寄せるT-3。


『同意。そもそも、その稲荷寿司は差し入れのために用意したものでは?』

『ぬう。これはちょっと味見をじゃな……』

『もう70個も食べてるじゃないですか』

『ええい、うるさいうるさい!』


 指揮官は多数決を基本とした合議制を採る。一対二で分が悪いことを悟ったT-1は二人の追及の目から逃れるようにテーブルから離れる。


『そもそも、予想はしとったが全然成果が挙がらんからではないか。退屈ですることも無いと、おいなりさんを食べる他ないじゃろ』

『何を開き直っているんですか』

『疑問。論理が破綻しているように思われる』


 テーブルの周りをぐるぐると歩くT-1と、それを追いかけるT-3。そんな二人の様子を眺めて首を傾げいているT-2。三人の指揮官は、特殊開拓指令の真っ最中とは思えないほど平和な雰囲気だ。

 作戦本部で連絡要員として残っている調査開拓員たちも、どうすればいいのか分からず困り顔で互いを見やる。


『というか、ウェイドとトヨタマはどうしたのじゃ。あやつら、〈エミシ〉からの物資を受け取りに行くと言って随分と経っておるじゃろ』

『そういえば、少し遅いですね?』


 本部には指揮官の他に、ウェイドとトヨタマも駐在していた。二人は二十分ほど前に、〈エミシ〉から送られてくる戦略物質を受領するため出掛けていたが、少し時間がかかりすぎている。


『まさか、あやつら勝手に物資をつまみ食いしとるんじゃ……』

『T-1が怒っても説得力がないのでは?』

『うるさいうるさい! 差し入れと戦略物資では意味が違うじゃろうが! ちょっと様子を見てくるのじゃ!』


 T-2の眼差しから逃げるように本部テントを飛び出すT-1。ちょうどその時、〈エウルブギュギュアの献花台〉の出入り口から、大型コンテナを牽く土木工事用NPCの姿が見えた。大型四脚の重機の上には銀髪の少女と羽をたたんだ大柄な少女が座っている。


『お主ら、何を悠長にしとるのじゃ! 物資は受け取ったんじゃろうな?』

『うわ、なんですか突然。ちょっと宇宙船の衝突事故がありましたが、ちゃんと受け取ってきましたよ』


 突然プリプリと怒るT-1に困惑しながら、ウェイドが背後のコンテナを示す。そこには、〈エミシ〉に集められた大量のネオピュアホワイトが詰め込まれている。


『ぬぅ。つまみ食いはしておらぬのか』

『なんでちょっと残念そうなんですか。いくらなんでも特殊開拓指令で重要な物資を勝手に食べたりしませんよ』


 私をなんだと思っているんですか、とウェイドが睨む。

 T-1が下手な口笛で誤魔化そうとした、その時だった。


『あれ?』


 ウェイドの隣に座っていた少女が、首をかしげる。不思議そうな顔をして、目を向けたのは〈黄濁の溟海〉の方角だ。


『トヨタマ? どうかしましたか?』


 不審がるウェイドに、トヨタマは複雑な表情で答える。


『うーん。なんだろう。ちょっと、ざわざわする』

『ざわざわ?』

『うまく言えないけど、何かが出てきたみたいな』


 要領を得ないトヨタマの言葉。T-1とウェイドが顔を見合わせた直後。


「うわあああああああああっ!?」


 本部テントの隣、解析テントから盛大な悲鳴が吹き上がった。


━━━━━

Tips

◇発見された人魚族の古文書

 空は澄み渡り、どこまでも高く果てはない。

 海は深く濁り、どこまでも深く果てはない。

 空の向こうに星はある。

 海の向こうに闇はある。

 空は眺めよ。

 海は見つめよ。

 ただし。

 空に希望を抱くこと勿れ。手を伸ばしても届かない。

 海に求めること勿れ。手を伸ばしたら戻れない。

 高く高く、深く深く。深淵の底を開くこと勿れ。溢れ出すものに気付かれる。蠢くものに知られてしまう。


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