第1574話「お稲荷ころり」

 十七番艦に乗船しているのは俺を含めて11人。そのうち、カミルとクチナシはNPCなので、初期支給のSHIRATAMAがない。現在の白玉残数は124個で、30分で11個消費するとするならば6時間が活動限界ということになる。


「帰りのことを考えるなら、あと3時間も進めませんね」

「それまでになにかしらの“功績”を挙げる必要もあるわ」


 白玉の数を数えて憂鬱な顔をするレティに、エイミーが重ねる。白玉がなければ活動できないが、その活動で何の成果も得られなければ、その後の活動ができなくなる。


「さらに言えば、奥へ進むほど飢餓が強くなるという話もありますからね。単純な計算では済まないと考えると、余裕を持って2時間後には帰途に就いたほうが良いかと」


 トーカの指摘に他の面々も頷く。T-1が事前にもたらした情報によれば、〈黄濁の溟海〉での飢餓感は、陸から離れるほど顕著になるという。30分ごとに1つSHIRATAMAを食べていればいい、というほど単純な話ではない。


「せめて魚影が見えたら釣り上げてみせるんですが……」


 悔しげに水面を睨むのは釣竿を抱えたアンである。この日のために(という口実で)高級な釣竿を購入した彼女だが、未だその出番は訪れていない。

 周囲には飢餓の第一波を乗り越えた調査開拓員たちの船が並び、軽快に海を刻んで進んでいる。どの船も一列に並行ということは、どの船も特筆すべき発見を得ていないということの証左でもあった。

 このまま海を渡り切って陸地が見えれば一番いいのだが、そう簡単な話でもないだろう。


「クチナシ、周りの様子はどうだ?」

『なにも引っかからないね』


 魚探をはじめ、高性能なセンサー類を搭載したクチナシも肩をすくめる。なにもない海で、どう功績を挙げるべきか。それが目下のところの課題だった。


「はぇぇ……。風は気持ちいいんだけどなぁ」

「シフォン。そんなところにいると落ちるわよ」


 とにかく原生生物すら出てこないことには、戦闘力過多な〈白鹿庵〉も出番がない。シフォンなどは船縁に肘をつき、白い耳と尻尾を風に靡かせていた。Lettyの忠告も話半分に聞き流しているようで、ゴソゴソと懐を探ったかと思うと、小さな稲荷寿司を取り出した。


「もぐもぐ」

「シフォンは“消魂”もあるし、色々食べないといけないのがうらやま――大変ですね」


 食欲が隠しきれていないレティは置いておいて、シフォンが稲荷寿司を食べる姿も見慣れたものだ。モデル-ヨーコの特徴として“消魂”というデバフが付くというものがある。実装当初と比べればかなり改善されたとはいえ、定期的に稲荷寿司を食べてカルマ値を調整しなければならないというのは手間に違いない。

 シフォン本人は、もはや定期的に稲荷寿司を食べるのに慣れ切っていると言っていたが。


「あれ、別に稲荷寿司じゃなくてもいいんだよね?」

「カルマ値を下げることができればなんでもいいですからね。とりあえず神聖そうな食べ物ならいいらしいですよ」


 ワインやちまき、桃なんかもカルマ値の調整には言いそうだが、シフォンは携帯性と食べやすさの観点から稲荷寿司を選んでいるという。どこかの指揮官の影響で、かなり種類も豊富で食べ飽きないのだとか。

 それにしても、クチナシの運転とはいえそれなりに揺れる船の縁であんなふうに食べていると――。


「あーん、ほぁっ!? はえええええっ!?」

「絶対やると思ったよ……」


 予想通り、大きく船が浮き上がった衝撃でシフォンの手から稲荷寿司が転がり落ちる。慌てて手を伸ばすも、時すでに遅し。稲荷寿司は重力に従って海へと落ちていく。

 それを見ていた誰もが呆れた、その時だった。


「はえぁあああああっ!? な、揺れっ!? なにこれ!?」

「クチナシ、状況を!」

「きゃああっ!?」


 突如、船が大きく揺れる。航行中の小さなものではない。明らかに外部から力が加わっている衝撃だ。甲板が騒然とするなか、クチナシが急いで状況を確認し、はっとする。また、アンも咄嗟に魚探を見て、驚きの声を上げた。


『船体直下に大きい影が!』

「大物出たぁあああっ!」


 これまで完全な沈黙を保っていた魚探に、明確な反応があらわれていた。全長は10メートルほどだろうか。かなり大きな影がレーダーの中に映っている。そんなものが近づいてきたとすれば、クチナシが見逃さないはずもないだろうに。

 周囲の船にとってもこの状況は予期せぬものだったようで、慌ただしく甲板を駆け回る様子が見える。とはいえ、こちらはそれどころではない。


「きゃあああっ!?」

「ラクト、何かに掴まれ! 振り落とされるぞ!」

「ひいいっ」


 謎の存在は怒り狂ったかのように船底に体を叩きつけてくる。そのたびに船が大きく上下に揺れて、体の小さなラクトなどは海に投げ出されそうになっていた。彼女は悲鳴をあげながら俺の足にしがみつき、盛大な揺れに耐える。

 心配になってカミルを見れば、彼女はちゃっかり体に巻きつけていた安全帯を船の取っ手に繋げて万全の対策を取っていた。一人で行動するぶんには全く心配しなくていいメイドさんである。


「アン、あれは釣り上げられますか!?」

「お任せください、お嬢様!」


 海の中、突如として現れた謎の影。それは大まかには魚の形をしているようだ。

 であるならば彼女の出番である。

 それまでの意気消沈した姿はどこへやら。アンは溌剌とした表情で、輝く釣竿を高く掲げる。最先端の材料工学によって生み出された軽量強靭かつしなやかなな釣竿は、鯨でさえも一本釣りできると豪語していた。


「フィッシングの開始ですよぉっっ!」


 アンが釣竿を振るい、針を投げ入れる。彼女の頭ほどもある巨大な針には、マグロ肉を主原料にした高級な釣り餌が付けられている。それが飛沫をあげて水面を叩く。

 だが――。


「あれ?」

「全然見向きもしないじゃないですか!?」


 正体不明の魚影は、そちらには全く興味を向けない。なおも船は揺らされ続け、レティの声が響く。

 アンが困惑した様子でリールを巻いてみるも、まったく興味を抱かれない。あまりにも冷たい反応に、彼女は焦燥を露わにしていた。


「わ、私のリールテクが通じない!? 本当に魚ですか!?」

「分からんが、餌が悪いんじゃないか?」

「アイスツナフィッシュ70%の高級品ですよ!? 1キロ70kもするんですよ!?」

「値段は知らんが、美味しそうに見えてないんだろ」

「こ、この食道楽め!」


 なにやらアンはかっかとしているが、現実として全く針には向かっていない。その間にも船への体当たりは強くなり、クチナシが表情を固くしている。

 俺は一瞬考え、シフォンに声をかけた。


「シフォン、稲荷寿司を投げろ!」

「はえええっ!?」


 謎の魚が現れたのは、稲荷寿司が船から落ちた直後のこと。可能性はある。

 シフォンも驚きつつも素早く動く。稲荷寿司を手に取り、周囲に船がないところへ向けて。〈投擲〉スキルがなくとも、彼女の腕力ならばかなり遠くへ飛ばせる。


「はえーーーーーっ!」


 特徴的な声と共に稲荷寿司が投げられる。

 それが弧を描いて飛び、そして水面に落ちた瞬間――。


『グォオオオオオオオオオオッ!!!!!』

「はええええっ!!?!?!?」


 その稲荷寿司を丸ごと飲み込むように、勢いよく巨大な魚が飛び出してきた。

 ただし、その魚は骨に皮が張り付いたような枯れ木の如き異様な姿で、一言で言えば――。


「まるでミイラだな。なんて姿だ」


 何ヶ月も断食したかのような、おどろおどろしい魚だった。


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Tips

◇複層単連結炭素繊維製強靭釣竿

 〈ビキニアーマー愛好会〉の最先端技術を活用し、ある釣竿職人によって開発された非常に頑丈かつ軽量、そして柔軟な特徴を持つ大型の釣竿。鯨も釣り上げられると豪語され、それに相応しいだけの性能を持ち合わせる。

“カーボンファイバーってほとんどビキニアーマーみたいなもんだよな“――あるビキニアーマー愛好会の同志


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