第1578話「表裏一体」

 海の大渦から飛び出した“怒り狂う大渦の海蛇アンガーサーペント”は、全身を駆け巡る衝動に突き動かされるまま、幽霊船へと飛びかかる。鋭利な肉食の牙が並ぶ顎が、船縁へと食らいつく。


『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!!』


 バリバリと豪快な壊音と共に、船の柵が砕ける。だが甲板の骸骨たちはケラケラと顎を鳴らして笑っているだけだ。


「攻撃は効くみたいだな」

「しかし、連中は意に介してませんよ」


 攻撃が届いたというのに、反攻どころか防御の姿勢すらとらない幽霊船は不気味だった。警戒していた船側の大砲も火を噴く気配はない。

 ただ大海蛇だけが全身の鱗を逆立たせ、憤りの咆哮を上げている。


「団長、どうしましょうか!」


 アンガーサーペントを使役する霊術師が叫ぶ。荒波が立ち上がり、豪快に船を揺らす状況では、間近でも声を張り上げなければ届かない。戦闘の続行如何を尋ねる霊術師に、アストラは指示を下す。


「締め上げろ! 沈まない程度に破壊するんだ!」

「無茶を言ってくれますねぇ!」


 霊獣とは、怨恨を残して死に、死にきれず残留した執念の魂魄だ。それに無理やりに契約という枷を嵌めて使役している。特に憤怒の冷めやらぬ大海蛇を意のままに操るなど、トッププレイヤーの霊術師であっても簡単ではない。

 それでも彼は逡巡すらせず動き出す。攻略組トップ、〈大鷲の騎士団〉第一戦闘班所属という気概が、彼を鼓舞した。


「行け! 竜骨は折るなよ!」

『オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!』


 霊術師の号令に、霊獣が従う。むしろ、その指示を待ち侘びているようですらあった。

 リードを外した猛犬の如く解き放たれた海蛇は、その刃の如き牙を幽霊船に突き立てる。古い木が砕ける乾いた音が轟々と響き、船内の一室が露出する。

 だが海蛇はさらに身をくねらせ、甲板を横断するように倒れ込んだ。


『オ゛オ゛オ゛オ゛ッ!』

「ちょ、ちょっとは加減しろよ!? 分かってるな!?」


 霊術師が少し不安になるほどに、アンガーサーペントの動きは荒々しかった。まるでその幽霊船が仇敵であるかのように、情け容赦なく攻撃を畳み掛ける。

 戦況は圧倒的で、一方的だった。反撃すらしない幽霊船に、大蛇が巻き付く。ギリギリと逆立つ鱗を押し付けて身を窄めていく。古びた風貌の船は、その外観に違わず脆いようだった。軋む音がして、割れる音が連なった。

 霊術師が内心で焦り、そろそろ海蛇を呼び戻そうかと思った、その時だった。


『オ゛オ゛オ゛――』


――ザンッ


『……オ゛ァアアアアアアアッ!!!』


 突如、大海蛇の姿がブレる。鳴動する霊獣に周囲が身構えた次の瞬間、その巨体に横一線が走る。瞬時に赤黒い血が溢れ出し、アンガーサーペントの巨体が二つに千切れる。


「なぁあっ!?」

「総員退避! 距離を取れ!」


 理解の追いつかない霊術師。アンガーサーペントが一撃で葬られたことにより、彼にも反動のダメージが伝わる。

 アストラは即座に離脱を指示し、甲板に転がった霊術師には支援機術師の治療を当てる。そうして自身は目の前の不可解な展開に注視した。


「一体何が……。あの骸骨たちは何もしていなかったはず。船自体にカウンター能力が?」


 考えられる可能性は無数にある。だが、どれも根拠に欠ける。

 アストラは慌ただしく走り出した団員たちを見守りながら、より詳細な情報を待った。


「あの切り傷……どこかで見たような……」


━━━━━


「はええ……」

「どうした、シフォン。何かあったか?」


 〈塩蜥蜴の干潟〉の座標に向けて船を進めるなか、シフォンが船縁から身を乗り出して海面を覗き込んでいた。尻尾だけが揺れているところに声をかけると、ぴこんと狐耳が飛び上がる。

 振り返った彼女は、瞳に深い青色の光を宿していた。


「レイラインが通ってないか調べてたんだけど、やっぱり全然ないね」

「そもそも〈黄濁の溟海〉がそういう土地だったよな」

「うん。そんなこともあるんだねぇ」


 唐突な飢餓感と関連があるかは不明だが、〈黄濁の溟海〉にはレイラインが通っていない。これもあり、この海には拠点となるような海洋資源採集拠点ワダツミなどの都市が建築できないのだ。

 裏世界――さっきそう名付けた――であればもしや、とシフォンは思ったようだが、結局こちらにもそれらしいエネルギーのラインは走っていなかった。


「このまま平和に進めればいいんだけど」


 甲板にチェアを持ってきて優雅に横たわるエイミー。そんな彼女の言葉に、レティが目を三角にする。


「この状況が異常なんですけど」

「そうはいっても、敵も出てこないと張り合いがないわよ」


 ふわーぁ、と大きなあくびまでする始末。実際、ラクトも32面体のルービックキューブとかいう難解なものをいじり始めているし、ヨモギに至っては薬を煎じはじめている。敵が出てこない幻想的な夜の海ということで、彼女たちの緊張感も緩みきっていた。


「まあ、この状況で気を張れっていう方が酷かねぇ」


 海には幻想的な光を放つ魚たち。頭上には満天の星空。景色だけを見ればシャッターを切るのが止まらない絶景だ。


「せめて鬼でも蛇でも出てきてくれたらいいんですが……」


 などと、トーカが零したその時。


「はええええええっ!?」


 突如、シフォンが悲鳴を上げる。何事かと顔を上げるも、周囲には何も見えない。だが。


「うおわああっ!?」

「きゃあああっ!?」


 船が大きく揺れる。油断していたラクトたちが甲板を転がるなか、クチナシは周囲の様子を調べるが、その顔には困惑が浮かんでいる。


「シフォン、何か見つけたのか!」

「み、見えてないの!? そこにでっかい蛇がいるよ!」


 シフォンが右舷を指差す。確かに衝撃はそちらの方からやってきた。だが、俺の目には何も見えない。


「すまんが見えない。シフォン、特徴を挙げてくれ!」

「はええっ!? そ、そんなこと言われても……大きくて牙がバキバキしてる蛇だよ! 見上げるくらい大きい!」

「とりあえずやばそうだな……」

「てゃあああああああああああっ!」


 シフォンの説明では、敵がどのような姿なのかもいまいち分からない。

 だが、考えることなく動き出せるのが、彼女の利点だ。


「レティ!」

「とああああっ!」


 シフォンの指示だけを元にハンマーを繰り出すレティ。即断即決、むしろ反射的と言っていいほどの迅速な攻撃だった。だが、その一撃は虚しくも空を切る。手応えがないまま海に落ちそうになった彼女を、慌ててエイミーが引き寄せる。


「シフォン、どうだ?」

「全然効いてないよ! たぶん、霊体だと思う!」


 重要な情報が与えられた。

 霊体ならば、なるほど見えないはずだ。そしてシフォンはレイラインを見るための占術テクニックを使っているから、偶然捉えられたのだろう。


「シフォン、反撃できるか」

「ちょ、ちょちょちょっと待って……」


 シフォンは慌てて詠唱を始める。機術製武器を得物とする彼女の数少ない弱点が、行動開始の遅さだった。わたわたと準備をするシフォンの隣に、トーカが並ぶ。


「シフォン、位置だけ教えてください」

「はええっ!? でも、物理攻撃は……」

「大丈夫ですから」


 彼女は確信を持った声で、刀の柄を握る。

 それを見て、シフォンも覚悟を決めたようだった。


「ま、真正面にいるよ。というか、この船に巻きつこうとしてる!」

「なるほど。近づいてくれるなら、斬りやすい」


 深い前傾姿勢を取るトーカ。彼女の最も攻撃力の高い姿勢だ。

 その姿勢のまま、彼女は朗々と発生する。


「『血気盛ん』『鬼々恢々』、『血炎発火』『鬼の一撃』――」


 見れば、彼女のツノは真紅に染まっていた。

 タイプ-ヒューマノイド、モデル-オニ。その特徴として、鋭敏な感覚器であるツノを備え、血を浴びることによって酩酊に近い状態――“血酔”状態へと至る。そして、“血酔”状態のオニは各種身体能力が底上げされ、さらに一部の特殊なテクニックが解禁されるという。

 トーカの周囲に次々と怪しげな火の玉が浮かび上がる。それは数を増やし、取り囲んでいく。彼女の腕に、荒々しい血管が浮き出た。


「彩花流、一の技」


 不可視の敵に向かって、刃を繰り出す。


「――『紅椿』」


━━━━━

Tips

◇ 『鬼々恢々』

 タイプ-ヒューマノイド、モデル-オニの専用テクニック。高い“血酔”状態の時にのみ使用可能。

 〈戦闘技能〉スキルレベル50のテクニック。鬼の膂力を呼び起こし、瞬間的に破壊的な衝動を呼び起こす。“血酔”状態が強いほど、繰り出すテクニックの威力が底上げされる。

“嗚呼おそろしや、鬼の邪気よ。その凶刃から逃れることは叶わぬと知れ。”


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