第1562話「ありえない拳」

 ミートの拳がエンジェルの鱗に迫る。


『てやあああっ!』


 だが、届かない。


『キィイイッ!』


 荒波を貫いて放たれた拳が水の外に飛び出した。わずかな違いだが、それが全てを決定する。ミートの拳はエンジェルの障壁によって阻まれ、むしろ大きな隙を晒すことになる。

 すかさず長い体をしなやかに曲げたエンジェルが、強烈な尻尾の一撃を放つ。ミートの攻撃が水中でなければ届かないのに対し、エンジェルの反撃は環境に左右されない。ストレートな直撃を受けたミートの小柄な体が勢いよく吹き飛ぶ。


『うわあああああっ!?』


 轟音と共に中央制御区域の隔離壁に叩きつけられるミート。その衝撃は壁の上に退避していたウェイドたちにも振動となって伝わる。堅固な都市防衛設備さえ揺るがすほどのエネルギー、さしものミートも無事では済まないのではないか。そんな思いが脳裏をよぎり、ウェイドは慌てて下を見下ろす。


『もーーっ! 不公へーだよ!』

『ぜ、ぜんぜんピンピンしてますね……』


 そこにいたのは、自身の腰くらいまで水位の上がってきた制御区域でしっかりと立ち上がり、頬を膨らませるミートだった。彼女の左腕には無数の白いマッシュルームのようなものが浮き上がっており、それがボロボロと崩れ落ちている。

 エンジェルの直撃を受ける間際、彼女は自身の体表に柔らかいキノコのような組織を生成した。それによって衝撃を吸収したのだ。


「ウェイドさん、ミートのあんな能力はレティも知らないんですが」

『私だって知りませんよ!』


 まだ危険な能力を隠し持っていたのか、とウェイドは頭を抱える。

 変異マシラは特異な能力を持つこともあるとはいえ、ミートのそれはシンプルなフィジカルであると考えられていた。一瞬にしてキノコを体表に生やすなどという奇妙な力は、ウェイドですら把握していない。これは事態が落ち着いた後にも仕事が積み上がったことを意味している。

 〈七人の賢者セブンスセージ〉による雨が降りしきるなか、ミートは反撃の構えを取る。エンジェルは微笑みを崩さない。


『とりゃーーーっ!』

『キィイッ!』

『もう追いつけるよ!』


 走り出したミート。足元の水など全く意識させない機敏な走り。エンジェルが再び体をしならせ、尾鰭による強打を繰り出す。だが凄まじい速度で弾き出されたその一撃を、ミートは紙一重に避ける。

 マシラに共通する厄介な点として挙げられるのが、その学習能力の高さである。言語を即座に習得し、相手を理解し、そして対策する。これにより、ウェイドもどれほど手を焼かされてきたことか。

 だが、今はその能力が最大限に活かされていた。


『えっと、こうかな?』


 ミートが拳を握り込む。足を斜め前に踏み出し、更に擦るように後ろの足を引き寄せる。


「あの動きは……」

「アストラさん?」


 戦況を注視していたアストラが眉を寄せ、レティがその動きに気が付いた直後のことだった。


『はかいめっさつこくりゅーけんっ!』

『キュィイアアアアアアッ!?』


 鈍い音が響き渡る。エンジェルの声がわずかに変わった。

 だが何よりも、ウェイドたちが眼前の光景に驚愕していた。黒い稲妻のようなエフェクトがミートの手から放たれたのだ。それはエンジェルの白鱗を貫き、吹き飛ばす。

 事前に見せた奇妙な動き。それに呼応したよく通る声。それはまさに、“型”と“発声”そのもの。――彼女は〈体術〉スキルレベル65で習得可能なテクニック『破壊滅殺黒龍拳』を確かに繰り出した。


「そんなまさか!?」

『何がどうなって――!?』


 レティとウェイドが目を剥く。

 ミートの一撃は確かにエンジェルに一泡吹かせた。だが、驚くべき点はそこではない。

 なぜミートが、スキルシステムの恩恵も制約も受けないはずの変異マシラがテクニックを発動できるのか。

 スキルシステムは調査開拓員という機械人形によって運用される機能だ。故に通常の生命に扱えるものではない。根本の原理としてそうなっている。ドワーフもコボルドもグレムリンも、人魚もエルフも使えない。ただ調査開拓員のみが使えるものであったはず。

 それを今、ミートは繰り出した。テクニックの証明である激しいエフェクトを伴って。


『っ! ダメです、ミート! 止まりなさい! 今すぐ下がりなさい!』


 明らかな異常事態であった。ミートが能力を隠していたとか、そういった次元の話ではない。管理者ですら把握できていないスキルシステムの可能性がそこに垣間見えていた。

 ウェイドが声を上げるが、ミートには届かない。むしろ彼女はテクニックの行使に成功したことに昂り、連撃を繰り出していた。


『ふんこつさいしんひゃくれつけんっ!』


 凄まじい重機関銃の連射のような音。一つの長音のようにさえ聞こえるそれは、ミートの繰り出す無数の打撃だ。水位が増すなか、彼女の攻撃は障壁を抜けてエンジェルへと到達する。その拳に赤く燃えるようなエフェクトが纏われていた。


『キィィィ……ッ!』


 エンジェルの巨体が揺らぐ。

 ここにきて初めて、その獣にダメージが入った。ミートという特異な存在が、スキルを行使した。明らかな異常事態だ。その奇跡が、獣を圧倒していた。


『うおぉおおおおおっ!』


 ミートがエンジェルの尻尾を掴み、ぐるりと回す。ぐるぐるとハンマー投げの予備動作のように大きく回す。波を味方につけ、巨大な渦を巻き起こしながら旋回する。

 彼女がこれから何をするのか、ウェイドたちには予想すらできない。だが、凄まじい危機の急接近だけは強く予感していた。


「ウェイドさん、ここから離れた方が……」

『だ、大丈夫ですよ! この区画閉鎖隔壁は特に頑丈に作られてるんです。たとえミートの攻撃だろうが、びくとも――』


 自分に言い聞かせるように話すウェイド。彼女の眼前で、ミートが笑っていた。


「ちょっと、マズいわよあれ!」

「フィーネさん!?」


 そこへ焦燥感を露わにしながら現れたのは、〈大鷲の騎士団〉幹部で格闘家のフィーネだった。彼女は慌てた様子でレティたちの手を引く。


「どうしたんですか? 何が起こるんです?」

「あの攻撃、多分ヤバいやつだから!」


 説明している暇はない、とフィーネが急かす。

 その時だった。


『ひっさつ! いしどげざ!』


 再び、ミートがテクニックを繰り出す。

 グルグルと振り回されていたエンジェルが尻尾を離され、遠心力に従って吹き飛んでいく。それの向かう先は当然、周囲を取り囲む隔壁だ。


「全員気を付けて!」


 フィーネが叫んだ直後。


 ――ドガアアアアアアアアアアアアンッ!!!!!!


『ほぎゃーーーーっ!?』


 凄まじい衝撃と共に隔壁が木っ端微塵に砕け、無数の瓦礫が吹き飛ぶ。せっかく蓄積された水が大穴から激流となって放たれ、〈ウェイド〉の町中へと広がっていく。

 衝撃のまま吹き飛ばされそうになったウェイドはレティによって抱き抱えられ、そのまま隔壁から落ちる。


「な、なんなんですかあの攻撃は!?」

「『石土下座』よ! 相手の頭を地面にぶつけて、岩ごと砕くの!」」

「趣味が悪すぎませんか!?」

「私に言わないでよ!」


 だから忠告しに来たのに、とフィーネが叫ぶ。

 だが事実は変わらない。隔壁は崩され、水が流れ出す。頭部を強かに打ちつけたエンジェルは、ぐったりと倒れていた。


━━━━━

Tips

◇『石土下座』

 〈体術〉スキルレベル50のテクニック。辛酸を舐めさせた相手に憤怒と共に反撃を繰り出し、強制的な反省を促す。対象から受けたダメージ量が多いほど威力が増幅する。対象がこのテクニックによってフィールド上のオブジェクトに接触した場合、威力に応じて破壊される。

“真摯なる反省の気持ちがあれば、その額で岩をも砕くことができるだろう”――嘆きの格闘家シマントガワ


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