第1557話「必要不可欠な水」
地上前衛拠点シード02-スサノオ、通称〈ウェイド〉は調査開拓員たちが初めに降り立つ都市であるシード01-スサノオから西方に進んだ先にある。都市が位置するフィールド〈鎧魚の瀑布〉は全域を二分する巨大な滝があり、常に霞が立ち込める湿林地帯となっていた。
〈ウェイド〉自身はフィールドの下層、滝の下に広がる森林を切り開いて造られており、風向きなどによっては瀑布の飛沫が飛んでくることさえある。
そして現在。
『な、何をしてるんですか!? やめなさい! やめ、やめろーーっ!』
都市の管理者は警備NPCたちによって羽交締めにされて絶叫していた。
中央管理区域に次々と背の高い壁が作られ、微笑みを続けるエンジェルを取り囲む。その壁は透明度の高い強化アクリルガラス製で、内部を覗き込むことに苦はない。だからこそ、ウェイドは眼前で進められる無慈悲な工事に声を荒げているのだ。
『大人しくするのじゃ、ウェイド。これも作戦なのじゃから』
『何が作戦ですか! これから何をするつもりですか! あのバカデカいパイプは!?』
ウェイドを拘束しているのは、彼女よりも強い権限を持つT-1だ。彼女の指示であれば、ウェイド麾下の警備NPCとて逆らうことはできない。
ポセイドンに身体を乗っ取られ、気が付いた時にはこうなっていた。ウェイドからしてみれば、何がどうなっているのかさっぱりだ。唯一理解できるのは、自分の町の中枢に巨大な水槽が完成しつつあること。そして水槽に向かって東の方向から巨大なパイプが連ねられていることだけ。
「申し訳ありません、ウェイドさん。ですがこれも必要なことなんです」
『調査開拓員アストラ! あなた、自分が何をしてるか分かっているんですか! これは都市に対する反逆行為ですよ!』
「T-1さんからの許可は得ておりますので」
『私が管理者ですよ!』
工事の指揮を執るのは〈大鷲の騎士団〉団長アストラ。彼の下に騎士団の土木工事班だけでなく、〈ダマスカス組合〉や〈プロメテウス工業〉といった有名生産系バンドの人員も集まって作業している。中にはコボルドやドワーフといった他種族の者さえ見られた。
ウェイドはじたばたと手足を動かすが、彼女の目の前で土木工事用のNPCが轟音を立てて鉄筋を持ち上げている。その隣では調査開拓員の鍛治師が溶接をしている。
着々と作業は進み、まもなく完了するだろう。
『安心。水没する面積は都市総面積の1%未満』
『何が安心ですか! 1%未満だろうがなんだろうが、あそこは都市の中枢なんですよ! 私の本体もあそこにあるんですよ!』
『制御塔の防水措置は完璧じゃ。案ずることではないのじゃ』
『ぬぁーーにを悠長なこと言ってるんですか!』
上位権限者である指揮官を相手にも一歩も引かないウェイド。そんな彼女の姿を見て、T-1などはむしろ感慨さえ覚えていた。易々諾々と従うのみであった管理者が、ここまでの個性を見せるとは。
『お主も成長したのう』
『何を稲荷寿司食べながらしみじみ言ってるんですか!』
そんな言葉の応酬の間にも、作業はちゃくちゃくと進む。やがて完成した水槽の骨組みにパイプが接続され、バルブが絞められる。パイプは長く延々と町の外まで、さらに言えば轟音とともに膨大な水を落とす滝にまで繋がっている。それが何を意味するのか、ウェイドが分からないはずもない。
ウェイドが叫ぶも、すでに始まっている作業は滞ることもない。更に追い討ちをかけるように、ウェイドの頭上にけたたましいローター音が響き渡った。今度はなんだと彼女が見上げれば――。
『わっしょーーーいっ!』
『うわーーーーっ!?』
雲を貫いて飛び込んできた、大型の貨物輸送機。尾翼直下のタラップが開き、そこから何かが飛び出してくる。それは寸分の狂いなく座標を定め、ウェイドの鼻の先を掠めて石畳を盛大に陥没させて着地した。
『ポセイドン!?』
『わっしょい!』
両サイドに纏めた青くうねる髪に、キラキラと輝く丸い瞳。小柄な体に活力を詰め込んだ、溌剌とした少女。かつて消息を絶った第零期先行調査開拓団の一員であり、現在は海底都市〈アトランティス〉の管理者である少女。ウェイドの体を乗っ取って会議に出席した少女である。
『ど、どうしてここに!?』
『ボクだけじゃないよ。強力な助っ人を連れてきたんだ!』
『へ? うわーーーっ!?』
輸送機から落とされたのは頑丈な管理者機体の少女だけではない。むしろ彼女はただの先導者であり、主賓ではなかった。
見上げるウェイドに影を落としたのは、巨大な耐水性コンテナ。とあるテントをモデルに開発が進められた、深海でも使用可能なコンテナだ。それが凄まじい速度で迫り、ウェイドの真横に半ば陥没する勢いで落ちる。
『わ、私の町が!』
石畳が捲れ上がり、被害が次々と拡大していく。
そんななか、コンテナの扉が開かれ、水がどぼりとこぼれ出した。その中から現れたのは、湿った肌と硬い鱗を持つ海の民――人魚の一団だった。
『ふぅ。すごい揺れだったなぁ……』
『空飛ぶなんて初めてだ。やっぱポセイドンさんはすげぇなぁ』
垂直に刺さったコンテナから顔を出し、見慣れぬ地上の町並みを眺めて感嘆の声を漏らしている。彼らもコボルドたち他の種族同様に調査開拓員たちと雇用契約を結ぶことはできるものの、その身体的特徴から陸上での活動は大幅に制限されてしまう。そのため、空を飛んで地上に落ちてくるというのは、ほとんどが初めての経験だった。
彼らを連れてきたポセイドンは、ウェイドに向かって胸を張る。
『エンジェルの天使語を知るために、海洋言語も必要でしょ。ボクってば偉いでしょ!』
「あ、わ、わ……』
あまりにも加速しすぎた急展開に、ウェイドは開いた口が塞がらない。そんな彼女の様子を見て、ポセイドンは更に得意げな顔になる。
その時だった。
「水槽部分完成しました! 最終確認も完了です!」
「水路部分、全部開通しました。いつでも行けますよ!」
工事現場から喝采が沸き上がる。それが何を意味するのか、ウェイドははっと目を見開く。
アストラが、最後の号令をかける。
「――レティさん、よろしくお願いします」
『待っ――!?』
ウェイドが止める間もなく。
都市からおよそ10km離れた大瀑布の直下。滝壺付近に急増された巨大な櫓。そこに赤い髪を飛沫に濡らすレティが待ち構えていた。アストラからの指示を、工事の完了の報告を待っていた彼女が、ハンマーを掲げていた。
「行きますよ! ――どっせーーーーーいっ!」
蒼穹へ矢を射かけるような爽やかな声。それに合わせて巨鎚が振り下ろされる。鎖が弾け飛び、重量物が自然の摂理に基づいて傾く。そして――。
『うわあああああああああああっ!?』
長い送水管をガタガタと揺らしながら大量の水が運ばれる。それは徐々に大きくなる地響きとなって近づき、そして放出される。分厚いアクリルガラスによって仕切られた、〈ウェイド〉の中枢制御区域へ流し込まれる。
ウェイドが絶叫を張り上げる中、薄く水が溜まり始めたその場所に、人魚たちが喜び勇んで飛び込んでいった。
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Tips
◇耐水性コンテナ
開口部、接合部の止水構造や、高水圧に対する耐久性を確保した特別なコンテナ。海中に存在する〈アトランティス〉との物資のやり取りを想定して開発された。居住ユニットを取り付けることで、人魚族を遠隔地へと運搬する際にも使用できる。
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