第1556話「言語解明の道」
エンジェルを口説くためには、エンジェルの言葉を知らなければならない。そんなレッジからの助言を受けて、アストラたちは再び頭を悩ませることとなった。
未知の言語に対する解読作業自体は、調査開拓団が初めて遭遇する問題というわけではない。〈窟獣の廃都〉に住むコボルド族たちの地下言語、〈アトランティス〉の人魚たちの海洋言語なども解読され、現在では翻訳機によって円滑な意思の疎通も可能となっている。さらには〈エウルブ=ギュギュアの献花台〉では古代エルフ語の完全な解読が一大プロジェクトとして進められてもいる。
そもそも未知の言語を解き明かす〈解読〉というスキルも存在し、解析班と呼ばれるような調査開拓員たちのほとんどがそのレベルを上げている。彼らが適切なテクニックを使えば、大抵の言語は小一時間で意味の特定まで漕ぎ着けられる。
「問題なのは、エンジェルの言語――仮に天使語とするものが全く分からないってことですね」
作戦本部として建てられたテントの中でアストラが切り出す。テーブルに集った調査開拓員たち、管理者、指揮官たちが揃って頷く。
調査開拓員の発する言葉がエンジェルには理解されていないのではないか、というレッジの指摘は一定の理解が示された。言語を操る程度の知性は、エンジェルに存在するだろうという予想からだ。
しかし現在に至るまでエンジェルは一言も発声していない。鳴き声と呼べるようなものさえなく、ただ微笑みを浮かべているだけだ。
「ずっと黙っててサンプルも取れない相手に、どうすればいいんだろ」
腕を組むラクトの言葉が、その場の全員の胸中を代弁していた。
〈解読〉スキルも解析対象となる言語――少なくともある程度の意味や文法があると推測される音の羅列がなければ使いようがない。
「色々な周波数の音を、エンジェルが反応するまで流してみますか?」
「力技ですね。それに、周波数だけが言語の要件じゃないでしょうし」
トーカの、彼女らしい真正面の提案に、アストラも苦笑する。
〈大鷲の騎士団〉は副団長が〈歌唱〉スキルを扱うアイで、彼女が率いる楽器演奏隊も擁するということで、音響設備も一定のものが揃っている。やろうと思えば今すぐにでも、低周波から高周波まで様々な“音”を発生させることができる。
だが、それでエンジェルが反応するかと問われれば期待はあまりできない。人間であっても、ただの音を聞かされて言語とは理解できないのだから。
「やはりここは共通言語を使うしか……」
「ダンスは最後の手段にしましょうね」
「そんなぁ」
決意を固めたレティはエイミーによって抑えられる。
「いっそ、シフォンがなんか話しかけたら応じてくれるんじゃない?」
「はえええっ!?」
Lettyの自暴自棄なアイディアに、油断してT-1と一緒に稲荷寿司を摘んでいたシフォンが驚きの声をあげる。だが、それを聞いた周囲の反応は、荒唐無稽だと笑い飛ばすものではなかった。
「シフォンならあるいは……」
「シフォンさんですしね」
「そうか、その手が……」
「ないよ! みんなわたしの事なんだと思ってるの!?」
妙に期待を向けるレティたちに、シフォンはぶんぶんと勢いよく首を振る。
「現国も英語も得意じゃないから。わたし、あんまり頭良くないから! ていうかそれなら、ラクトの方が適任じゃないの?」
シフォンが視線を受け流した先は、古代エルフ語の解読にも一役買った才媛、ラクトである。しかし、彼女も微妙な表情だ。
「文字的な記号でもあればパズルみたいに解けるかもしれないけどね。何も手掛かりがないんじゃ、どうしようもないよ」
「はえええ……」
やはりシフォンに頼るしか……。そうその場の空気が一致しかけたその時だった。
「ねえ。私はあんまりエンジェルの事は知らないんだけど、T-3が何かを元にして作った存在なんだよね?」
手を挙げて口を開いたのは、〈
「そうですね。レッジさん曰く、以前レッジさんが改良を施したシュガーフィッシュが元になっているという話でした」
「てことは、その言語体系はシュガーフィッシュに準じてるって考えていいんじゃない?」
「とは言っても、シュガーフィッシュは喋りませんよ?」
首を傾げて困惑するレティ。話の流れが今の所うまく汲み取れない。だが、そんな彼女を飛び越えて、じっと耳を傾けていたアストラがはっと顔を上げた。
「なるほど。言語は身体的特徴や周囲の環境にも強く影響されますからね。そのアプローチはいいかも知れません」
「ええと、つまりどういうことですか?」
「エンジェルの天使語はシュガーフィッシュ由来、ひいては海洋言語との類似性があるのではないかという指摘ですよ」
エンジェルの来歴を辿れば海に辿り着く。そして海には、すでに高度な言語体系を構築している一族がいる。同じ海という環境にいるならば、その言語には相似点も見られるのではないか。ミオの指摘はそのようなものだ。
「T-1、ポセイドンに連絡は取れますか?」
『んむ? もぐもぐ……ごくん。それはもちろん問題ないのじゃ』
『ウェイド、少し体を貸すのじゃ』
『ええっ!? ぬわぁあああっ――くぴっ!』
唐突にウェイドの体が震え、目が閉じられる。一瞬全身が弛緩し倒れかけた直後、はっと目を覚ました彼女は纏う雰囲気を変えていた。
『わっしょーーい! なんだか楽しそうな事してるね!』
現れたのははるか遠方の海の底、呑鯨竜の腹の中に築かれた人魚たちの都市〈アトランティス〉にいる管理者ポセイドンである。元々管理者機体は端末にすぎず、こうして中身を切り替えることもできるのだ。
とはいえ、ウェイドの楚々とした外見でパッションに溢れた少女が話すと、レティたちには凄まじい違和感を覚えてしまうのだが。
「えっと、ポセイドンさん?」
『そうだよ、わっしょい!』
T-1からの情報共有を受けてすぐに、ウェイドの体を借りてまでやって来た彼女は、レティたちに早速ひとつ伝える。
『もし、海洋言語を使いたいとしても、陸上だと無理だからね』
「そ、そうなんですか?」
『もちろん! だって、あの言葉は人魚たちが海中で話すために作ったものだから』
目から鱗、とはこのことだった。
レティたちはポセイドンの指摘に愕然とする。
当然と言えば、当然の話である。地底言語がコボルドやドワーフたちの身体的特徴、反響しやすい暗闇という環境に対応した言語であるように、海洋言語もまた話される土地や発話者に影響される。人魚の言語は、水中でその効力を発揮するのだ。
「じゃあ、どうすれば……」
「なに、そこは問題ないでしょう」
困惑するレティ。だが、アストラはさほど深刻な表情はしていない。むしろ元々、この事態は予測していたようですらあった。
「水がなければ作ればいいんですよ。――まずは〈ウェイド〉を水没させましょう」
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Tips
◇海洋言語
人魚たちが用いる独自に発達した言語。水中での発話に適応しており、破裂音を多用するなどいくつかの特徴があり、発音が非常に難しい。
調査開拓員たちにとっては“泡が弾ける音”のようにも聞こえる。
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