第1543話「健康のため」
シフォンの『白いマフィン』が非難轟々で幕を下ろした後、再び甘党たちが喜び、俺のコーヒー消費量が増えるターンに入った。やはり、基本的にはNPWの甘さをそのまま活かした方向性で考える方がやりやすいのだろう。多いのはチョコバーのような携行食らしい見た目のものだ。それがまた、硬くて甘くて大変なのだが……。
そして、数人の甘ったるい作品を審査したのち、再び身内の作品が登場した。
エントリーNo.81『ド健康スムージー』
台車に載せられ運ばれて来たのは皿ではなくガラスコップ。とはいえ、珍しいが絶無だったわけではない。砂糖水やココア、甘いコーヒーなんかを出してくる挑戦者もいた。
今回の『ド健康スムージー』が異彩を放っていたのは、それがどろりとした粘性の高い真緑色の液体で、何故かポコポコと自発的に泡立っていたからだ。
『つ、続いてはスムージーのようですね。これは……ゔっ!?』
恐る恐る鼻を近づけたウェイドが濁った呻き声をあげて悶絶する。続く光も醜態こそ晒さないものの、眉を顰めてグラスを遠ざける。
スムージーの匂いは、まず一言に生臭い。青魚の内臓と未熟なフルーツを混ぜ合わせ、そこに納豆と生卵を突っ込んだかのような、なんとも複雑で捉えようのない臭気が漂ってくる。
しかもよくよく見てみれば、細かくすり潰された何かの骨のかけらなども混ざっていて、まるで沼地から掬ってきた泥水――。
「いや、あんまり考えるのもダメだな」
見た目のイメージに引っ張られすぎるのも良くない。あくまで主要な審査項目は可食性、携帯性、保存性の三つなのだから。見た目は関係ないはずだ。
ちらりと横を見てみれば、ウェイドがカップを抱えたまま固まっていた。これを飲むべきか否か、踏ん切りがつかない様子だ。
『なるほど……。これは素晴らしい情報量ですね』
そんななかで先陣を切ったのは意外にもT-2だった。何よりも情報量を求める彼女としては、雑多に色々な素材を混ぜてすり潰したという調理が琴線に触れたのかもしれない。臆することなくカップを手に取り、口に近づける。
『T-2!?』
ウェイドが真剣に彼女の安否を心配して名前を呼ぶ。
T-2は、T-1とT-3が見守る中、ごくごくと喉を鳴らし――一気に飲み干した。
『なるほど。これは……素晴らしいですね』
空のカップをテーブルに置き、一言。どうやら彼女のお眼鏡には適ったらしい。予想外の反応に、客席がざわつく。
T-2の勇気ある行動を目の当たりにして、いよいよウェイドたちも逃げられなくなる。彼女は意を決してカップを掴み、傾ける。
『――んべばっ!?』
「ウェイド!?」
一口めが触れるか触れないかといった刹那、ウェイドの口元が爆発した。
緑色のスムージーは投げられたペイント弾のように床に広がる。その惨状に弁明する余裕すらないようで、ウェイドは唇を抑えバタバタと足を激しく動かして悶絶していた。
思わず駆け寄って肩を抱くと、彼女は荒い呼吸を繰り返す。
「大丈夫か? しっかりしろ!」
『はぁ……はぁ……。だ、ダメです、これは……』
俺の手を掴み、何かを伝えようとするウェイド。だが、彼女の息は荒く、言葉にならない。
『ぬぅ。見たところ害のある成分は無いようじゃが』
T-1はグラスをまじまじと見つめ、首を傾げる。事前のレギュレーション確認を通過している以上、管理者たちに危害を加えるような危険物ではないはずだ。成分もすでに確認され、ただのスムージーであることは分かっている。
T-1はそのまま、グラスを傾ける。
『んむぶっ!? こ、これは……』
「どうしたんだ、T-1。何があるんだ、そのスムージーに」
試飲した直後に顔を青くするT-1。俺の腕の中でビクビクと痙攣しているウェイドほど悪い状況ではなさそうだが。
『これはマズいぞ、レッジ!』
「何がまずいんだ?」
『いや、このスムージー自体が信じられんほどマズいんじゃ!』
ばばーん、と言い切るT-1。俺の腕の中でウェイドが事切れた。
強い衝撃を受けてスリープモードに入ったウェイドを席に戻し、俺も自分のテーブルにあるスムージーを少しだけ飲む。
「んん゛っ! なるほど、これは確かに……」
青臭いという言葉が霞むほどの強烈な味。本能が摂食を拒否するような匂い。これは本当に食べ物なのかと疑いたくなるほどの強烈な違和感。
だが。
「うん? なんというか、身体が軽くなったような」
飲むと不思議にすっきりとする。形容し難い感覚ではあるが、体の内側から溜まった毒素を全て洗い流されているかのような、ちょっとした爽快感だ。むろん、喉元と胃のあたりには依然として凄まじい異物感があってキツいことに変わりはないのだが。
『このスムージーからは愛を感じます。素晴らしい愛ですよ』
T-3はこのスムージーが気に入ったようで、ゴクゴクと飲み干している。T-1も顔を顰めてこそいるが、嫌いなわけではないらしい。
ただ、ウェイドがテーブルに突っ伏しているのと、光も少し具合が悪そうだ。
『可食性は、皆無と言っていいじゃろうなぁ。携帯性と保存性は密封パックなどを使えばありじゃろうが』
『メインにはならずとも、補助的な携行食としては採用できるのでは?』
『名前の通り、健康になれるスムージーですね』
ド健康スムージーはその名前のとおり、飲んだ者の身体機能を強制的に健康にさせる効能があるらしい。俺が食道や胃のあたりに違和感を抱いているのは、ガパガパとコーヒーを飲みすぎたせいもあるのかもしれない。
ウェイドは審査ができる状況ではないためパス、光からの得点も低いなか、指揮官組はそれなりに高い点数を算出した。俺としても、可食性以外は割と非の打ち所がないように感じられる。
『それでは、製作者に来てもらおうかのう』
ウェイドに代わって進行するT-1の呼びかけで、舞台袖から製作者がやってくる。驚いたのは、出てきたのが二人組だったことだ。
「あら、ちょっと薬が効きすぎたみたい?」
「どうですか師匠! ヨモギの薬は効果覿面でしたでしょう!」
現れたのは意外な組み合わせ。我らが〈白鹿庵〉のメイン盾ことエイミーと、最近新たに加入した薬師のヨモギである。エントリー自体は複数人で組んでもできるとはいえ、ここの二人が組むのは予想していなかった。
「二人とも、とりあえずこのスムージーはなんなんだ?」
「名前の通り、ド健康になるためのスムージーよ。ほら、ここまで甘いもの続きで大変だったでしょ?」
腰に手を当て得意げな表情を見せつけるエイミー。
たしかに言われてみれば体がすっきりとしている。甘いもの続きで疲弊していた身体が、一気にリセットされたような気持ちだ。
「エイミーの監修を受けながら、ヨモギがど……薬を調合したんです。あとはNPWで味を整えつつ、甘すぎるのをハーブや発酵食品で補っていって完成させました!」
「ハーブに発酵食品……。なるほどな」
言われたら確かに、脳裏にそれらの影が浮かんでくる。NPWの甘さを相殺するどころか、若干圧倒しかけているのだから凄まじい。
「けど審査員長が倒れてるが、どうするんだ?」
「ああ……。このスムージーは体の調子を強制的にぶっ整えるんだけど」
「ぶっ整えるて」
エイミーの目が据わっている。そういえば彼女、コンテストの開催前から砂糖の過剰摂取に難色を示していたような……。
「卑しくも砂糖を過剰摂取するほど、スムージーの効力と反動は増幅するわ。いわゆる、揺り戻しというやつね」
ウェイドは審査にもかかわらずバクバクと甘い菓子を食べまくっていた。直径2.3mのどら焼きも、俺たちは一切れだけ食べていたところ、彼女は丸々ひとつ食べ切っていた。全身に大量の砂糖を取り込んだ状態が健康であろうはずもない。そこにスムージーを飲んだことで、凄まじい反動で健康になってしまったがゆえにスリープ状態に入ってしまったのだ。
「そもそもこの砂糖、本当に安全は確保されてるの? いくらなんでも甘すぎるでしょう。50,000Kcalも一気に取ったら逆に不健康よ?」
「それはそうだ」
健康第一主義のエイミーとしては、NPWの存在そのものに疑義を呈したいらしい。珍しくちょっと怒っているようでもある。砂糖ばかり食べ続けるという審査で、俺の体を慮ってもくれたのだろう。
「ありがとう、エイミー。正直助かったよ」
「ならいいけど……。いくら仮想とはいえ、リアルにも影響あるかもしれないんだから気を付けてね」
「ま、そっちの方は大丈夫だよ」
光はともかく、俺は花山や桑名が常にモニタリングしてくれているからな。というより、FPO側も健康被害が出るほどのことはさせないだろう。
「レッジにスムージーも飲ませられたし、私たちは棄権するわ」
「いいのか?」
ひらりと手を振ってステージから降りていくエイミー。驚いて声をかけると、彼女は苦笑する。
「まずいスムージーが採用されることはないでしょ。ね、ヨモギ」
「そうですねぇ。あったとしても、医薬品でしょうし」
そう言って、二人はさっぱりとした表情で退場していく。
『――はっ!? 私は何を。うっ、口の中が苦い!? 誰か、砂糖を!』
ウェイドが目を覚まし、光が体勢を整える。
そうして、再びコンテストが進む。
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Tips
◇ド健康スムージー
ごく少量のネオピュアホワイトを取り入れつつ、大量の薬草や薬効のある食品を細かくすり潰して混ぜ合わせたスムージー。以毒制毒の思想を基本とし、飲むと非常に健康になるが、不健康な者ほど強い反動を受ける。
“うーん、マズい! しかしもう一杯飲みたくなるのじゃ!”――指揮官T-1
“いりません”――管理者ウェイド
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