第1542話「奇跡の白」
ラクトの琥珀糖のおかげで少し気持ちも持ち直した。その後も甘いお菓子が連続したが、コーヒーをお供に審査を続けていく。ブラックダークが監修しているからか、このコーヒーもあらゆる甘味を綺麗さっぱり洗い流してくれる素晴らしい味だ。
『さて、そろそろこのコンペも後半戦に差し掛かったところ。スキル持ちの専門職による作品はほぼ全て披露され、残るは完全手動操作を用いる調査開拓員の皆さんによるものです』
エントリーナンバーは70を超えた。もう折り返しというべきか、まだ折り返しと言うべきか。とにかく、まだラクト以外に知り合いの作品は見られていない。彼女達も参加しているはずだが、いつ頃になるだろうか。
ラクトの一件は自分でも驚くほど精神的な余裕を生み出してくれた。彼女があれほど素晴らしい作品を出してくれたのだから、他のメンバーも俺を助けてくれるのだろうと。そう思っていた。
エントリーNo.77『白いマフィン』
直径2.3mのどら焼きを審査した後に出てきたのは、その対比を抜きにしても小さな手のひらサイズのマフィンだった。しかも白くてふわふわとしていて、カップに雲や綿菓子を詰め込んだと言われても納得してしまいそうな、可愛い見た目をしている。
『ほほう、マフィンですか』
『砂糖をメインにしたお菓子が多いなか、珍しいですの』
マフィンの登場は甘党たちの意表も突いたようで、第一印象の衝撃は強い。
皿に載せて運ばれてきたマフィンを手に取ると、驚くほど軽くて柔らかかった。
「本当にこれ、レギュレーションを満たしてるのか?」
『ええ、そのはずですが』
今回のコンテストでは出品に際してレギュレーションが設定されいている。“一単位あたりの熱量が50,000Kcal以上“という、非常識なものがそれだ。一単位という指定が妙であり、フゥのようにレトルトパウチ一つであったり、ラクトのように琥珀糖の欠片をいくつか纏めたものだったり、物理的に一つとカウントするわけではない。
とはいえ、この『白いマフィン』はこのワンカップでしっかりとレギュレーションを満たしているという。つまり、これ一つで50,000Kcalを内包しているということだ。
『ちょっと恐ろしいくらいじゃのう』
『凄まじい情報量を感じさせますね』
T-1たちもその不可解なマフィンに慄いている。
「とりあえず食べてみないことにはな。――いただきます」
重量をほとんど感じないマフィンを手に持ち、一口。
ふんわりと柔らかな食感と、ほのかな甘みだ。あまりにも優しすぎるテイストに、思わず目を見開く。
『な、なんと……』
『全く予想できないお味でしたの!』
甘党たちには無に等しい甘さかと思ったが、二人もこのマフィンのすごさに気づいていた。本当に、これで50,000Kcalもあるのかと、食べてなお疑ってしまう。これならいくらでも食べられそうだ。
『おいしい! もう一つください!』
実際、ウェイドが早速おかわりを要求している。しかし残念なことにこれは審査の場であり、公正を期すため一人ひとつしか食べられない。
『重量も軽く、可食性もピカイチですね。保存性に少々難があるようにも思えますが、それを補って余りある素晴らしい作品ですよ!』
ウェイドの評価に異を唱える者もいない。もはや満場一致で最高得点が出そうな勢いだ。その興奮に当てられてか、客席も盛り上がる。
『シェフを呼びましょう!』
興奮気味のウェイドが叫ぶ。その呼び声に応じて、ステージの袖からひょっこりと白い狐耳が現れた。
「はえ……」
「シフォン!?」
おずおずと現れたのは、ふわふわの尻尾を体の前に回してぎゅっと抱えるシフォンだった。さぞ名のある菓子職人が現れるのだろうと思っていた会場が一斉にどよめく。
『このマフィンはお主が作ったのかの?』
いまだに半信半疑の様子でT-1が尋ねる。シフォンがこくりと頷くと、指揮官たちにも衝撃が走った。
『製造方法を教えていただいてもよろしいですか? 機密があるのならば、無理強いはしませんが……』
「はええっ!? えっと、それは……」
にじり寄るT-2は情報量の多さを予感してか、目が大きく開いている。しかしシフォンはゴニョゴニョと言い淀む。これまでの挑戦者の中にも、製造方法の中に革新的な独自の技術が使われていると言っていた者はそれなりにいた。
「正式採用されるなら、結局全部話すことになるんだぞ」
「そ、そうなんだけどね」
俺の言葉にも鈍い反応のシフォン。一刻も早くこのマフィンを量産したい欲に駆られているウェイドが見るからにやきもきとしている。
客席からも好奇心のこもった熱い視線が向けられる中、シフォンは意を決して口を開いた。
「わ、分からないの! ……なんか、砂糖を練ってたらバチバチし始めて、慌てて水とかお醤油とか、その場にあったものを色々突っ込んでて。気付いたらこういうのに……」
「は?」
今の言葉は、この場にいる全ての者の代弁だっただろう。
この狐娘はいったい、何を言っているんだ?
ぽかんとする俺たちを前にして何を思ったのか、シフォンは慌てて詳しい説明をし始める。何やら、最初は稲荷寿司の砂糖漬けを作ろうと思っていただの、分量は勘だから覚えていないだの、色々なことを捲し立てる。だが、俺たちが聞きたいのはそこじゃない。
「つまりあれか。このマフィン? は再現性がないと言うことか?」
「はええ……」
こくり、とシフォンが頷く。
50,000Kcalもあるのに甘さ控えめで食感もふんわりと軽く、いくらでも食べられそうな、夢のようなマフィン。歴代最高点を叩き出しそうになったシフォンの作品は――。
『論外じゃな』
『失格です』
『もう一度チャレンジして来てください』
指揮官、管理者たちからけんもほろろな対応で追い返されることとなったのだった。
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Tips
◇白いマフィン
砂糖を練っていると何故かバチバチとして、周囲のものを手当たり次第適当に突っ込んだら完成した謎のマフィン。マフィンと呼んでいいか厳密なところは分からないが、形状は間違いなく白いマフィン。ふわふわと軽い食感と優しい甘さで無限に食べられそう。
再現性はない。
“最後が致命的すぎるのじゃ”――指揮官T-1
“このマフィンの再現プロジェクトに予算を割いてもいいのでは?”――管理者ウェイド
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