第1524話「海底に釣る」

 海底に続く砂糖の白い筋を追いかけて、俺たちはテントに乗って沈んでいく。外界から閉ざされた静寂のなかで、アンの緊張した様子だけが伝わってくる。


「そう硬くならなくてもいい。俺に任せろ」

「き、緊張なんてしてませんよ!」


 ならいいんだが。

 “驟雨”の覗き窓から頭上を見れば、海面が泡立ち、大きな魚体が群がっている。白い砂糖の結晶が随分と剥げたシュガーフィッシュたちが、砂糖を集めようと押し合いへし合い争っていた。

 そのなかの数匹、目敏いものが砂糖の線に気がつく。


『プルゥゥアアアッ!』


 水中でもよく通る甲高い声をあげ、身をくねらせて直下へ。俺たち目掛けて大きく口を開いて飛び込んでくる。もちろん、正確には俺たちなど眼中にはないのだが。

 獰猛な形相でこちらへ迫ってくるシュガーフィッシュの気配に、アンが肩を縮める。

 その時だった。


「起爆だ」


 ――ドゴンッ


 鈍い音と共に鮮やかな爆炎が広がり、海水が沸騰する。シュガーフィッシュは至近距離の熱に焼かれて悲鳴をあげる。

 〈罠〉スキルによって浮かべられた機雷――“昊喰らう紅蓮の翼花”の乾燥花弁粉末火薬を5g詰め込んだ特別な爆弾が、少しでも触れた瞬間に起爆する。たとえ水中でも、至近距離から受ければ無傷では済まない。


『プルァアアアアアアアアッ!』


 とはいえ、シュガーフィッシュの方も砂糖の装甲もあって爆炎を受けた程度では倒れない。むしろ怒りを増幅させ、こちらへ肉薄する。


「『点火イグニッション』」


 ――バヂヂヂヂヂヂヂッ!


 その鋭牙が“驟雨”を捉えようとした直前。ばら撒いたもう一つの罠が発動する。

 放たれる大量の電流が、シュガーフィッシュの体を貫く。爆風とは違い体内の奥深くまで浸透する衝撃に、今度こそ巨体が怯む。

 “驟雨”は錘に引っ張られるまま深く深く沈んでいく。シュガーフィッシュがそれを追いかける。水深計を見ると、すでに500mを突破している。しかしまだまだ予定の深度には遠い。


「アン、掴まってろよ」


 ちょっと揺れるぞ、と。

 大きな体で水を掻いて迫るシュガーフィッシュに別れを告げて。


「――『点火』」

「きゃああああああああっ!?」


 “驟雨”に取り付けたロケットブースターが勢いよく燃料を消費する。水中に吐き出された火炎が俺たちを真下へ押し込み、強引に深度を下げる。ついでに炎はシュガーフィッシュの顔面もこんがりと炙っているが、そっちはご愛嬌だ。


「この推進器で水深を稼ぐぞ」

「何言ってるんですかこんな時に!」


 ちょっとした洒落っ気も、余裕のないアンに一蹴される。

 ともかく、驟雨はさらに深度を上げていく。周囲は急激に暗くなり、スポットライトを点灯させる。〈怪魚の海溝〉は深い海が広がるフィールドだ。俺たちも未知の世界が、都市の真下に広がっている。


「さあ、こっちだぞ。追いかけてこい」


 暗闇の中を突き進む。シュガーフィッシュに追いつかれたら一巻のおわりだ。しかも、大変面倒なことに周囲には俺たちだけというわけでもない。


「『フィッシュサーチ』ッ!」


 アンを連れてきた理由がそこにある。

 彼女の〈釣り〉スキルテクニックが光るのだ。『フィッシュサーチ』はいわゆる魚群探知系のテクニックで、一定範囲内の魚群や水底の構造を把握できる。〈ナキサワメ〉直下の海は底こそ遠いが、豊かな生態系が広がっている。


「20メートル下にマリンリザードが!」

「危ないなぁ!」


 アンの報告を受け、ブースターの出力を微妙に調整する。小さな覗き窓からゴツゴツとした鱗に覆われた水棲トカゲとすれ違うのが見えた。


「これ、ぶつかったらどうなるんです?」

「そろそろ水圧も厳しくなってきてるしな。ちょっと衝撃が加わっただけで装甲にヒビが入る可能性もあるな」

「それって実質死ぬってことですよね?」

「そうとも言うな」

「にぃぃいっ!」


 可愛い悲鳴を上げながら、アンは必死になって目を皿にする。彼女の『フィッシュサーチ』が俺の命運も左右するのだ。


「呑鯨竜の幼体が来ます!」

「はいよ」


 彼女の報告を受けながら、背後にも気を払う。シュガーフィッシュの群れも砂糖袋を抱えた俺たちを諦めるはずがない。むしろテント諸共喰らいつかんという気迫を見せている。

 水深は1000mを超える。

 “驟雨”も耐水性テントではあるが、水圧に対する限界はある。ギチギチと周囲から嫌な音がし始めた。


「レッジさん、本当に大丈夫なんでしょうね!?」

「大丈夫大丈夫。スペック的には6,000mにも耐えるんだ」


 まあ、それは十分にマージンを取りつつゆっくりと沈降していった場合の話で、今回みたいなブースターを背負っての急速潜航は考慮されていないのだが。余計なことを口にして、アンを不安にさせるわけにもいかない。

 俺はあえて自信に満ちた表情をして、ブースターを操作しつづける。


「こんなところで死んだら、恨みますからね!」

「そりゃあ怖いなぁ。そうならないように頑張るさ」


 リベットの並ぶ接合部から、金属の悲鳴が上がる。小魚一匹と衝突しても打ち所が悪ければパカンと割れる可能性がある。アンの声を聞き漏らさないよう神経を尖らせながら、ブースターを動かす。

 俺たちを追いかけてくるシュガーフィッシュも執念深い。しかし、その動きも少しずつ鈍ってくる。水圧は全てに平等に降りかかり、それは海の生き物も例外ではない。彼らの適正生息域と比べれば、水深1,200メートルに差し掛かったこの辺りは深すぎる。


『プギュルアァアアッ!』


 それでも彼らは諦めない。執念深く、こちらに追随する。

 全ては砂糖を求めて。その渇望は、少しウェイドに似ているところもあるような気がする。本人に言ったら烈火の如く怒りそうだが。


「ふぅ、ふぅ……」


 狭いテントの中は空気が籠る。熱気が高まり、俺もアンも額に玉のような汗を浮かべていた。それでも集中を切らすことはない。油断した瞬間、そこに死が待ち構えている。

 クチナシから送られた、ミオツクシの解析データを確認する。それによればそろそろのはずだが……。

 水深は間もなく1,500m。後先考えない急速潜航での限界が近い。


「本当に大丈夫ですか!? すごい音がしてますけど!?」

「賑やかじゃないか!」


 アンが悲鳴をあげる。

 水深は更に増す。空になった燃料タンクをパージしていく。


 ――ベゴンッ


「ひいっ!?」

「装甲が凹んだだけだ。破れたわけじゃない!」


 三角錐型のテントの壁が内側に湾曲していた。凄まじい水圧が、俺たちを襲っている。

 だが、ネヴァの作ったテントならまだ少しはもってくれるはず。


「1,500メートル!」

「今だ!」


 逆噴射のブースターが点火する。


━━━━━

Tips

◇『フィッシュサーチ』

 〈釣り〉スキルレベル30のテクニック。水面を見極め、魚影を探す。熟練度によって見通せる範囲が広がる。

“観察こそ釣りの基本。まずは獲物を探すことから”――釣り人ルーア


Now Loading...

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る