第1516話「青ざめる顔」

『レーーーーッジ!!!! 大変です、養殖していたシュガーフィッシュが外洋に流出してしまいました!』

「何ぃ!?」


 寝耳に水とはまさにこのこと。

 ウェイドによる承認も受けてシュガーフィッシュの養殖が本格的に始動して数日後のことだった。〈ワダツミ〉の別荘農園で土いじりに興じていた俺の元へ、血相を変えたウェイドが飛び込んできたのだ。

 突然のことで手元が狂って危うくコンタミが発生するところだったが、すかさずカミルが遮断措置を取って事なきを得る。後の作業を彼女に引き継ぎ、俺はウェイドから詳しい話を聞くことにした。


「シュガーフィッシュの養殖は水中水族館深層でやってたはずだろ? 仮に脱走できたとしても、外部の水圧には耐えきれないって話だったじゃないか」


 遺伝子改良を施したシュガーフィッシュは、万が一にも外部への脱走は許されない。そのため、二重三重に万全の収容体制を整えていたはずだった。その上でさらに、養殖を深海に設定することで、仮に外壁が破られたとしてもその水圧で圧死してしまうように対策していた。

 だが、それを指摘されたウェイドは、何やら言いにくそうな顔で手を絡める。


「おい、まさか……」

『えっと、その……。ハイリターンを得るにはハイリスクを取る必要があるといいますか』

「具体的に何したんだよ」

『深層の収容スペースだけだと手狭になってきていたので、上の階層でもちょこっと間借りしていたというか』


 思わず頭を抱える。

 水中水族館は深層に向かうほど危険な個体を収容している。つまり、上層に行くほど収容体制が甘いとも言える。シュガーフィッシュなんて危険な原生生物を上層に置いておけば、どうなるかなど火を見るよりも明らかだろうに。おおかた砂糖の生産量に目が眩んだのだろう。


『ちゃ、ちゃんと監視体制は整備していたんですよ!』

「それでまんまと逃げられてんなら世話ないだろ。逃げた個体は特定できてるのか? 数は。現在地の捕捉は」

『……ははっ』


 乾いた笑い。

 思わず手が伸びていた。


『ひぎぎぎぎぎっ!? いひゃいでひゅっ! 管理者はんりひゃの頬をちゅねりゅにゃんてっ!』

「これくらいで済んでていいだろ。全く、ウェイドが任せろって言うから全部渡したんだぞ」


 俺の仕事はシュガーフィッシュを生み出すこと。それ以降はウェイドとナキサワメが共同で管理責任を持っていたはずだ。それがこうして泣きついてくるとは。

 ぷにぷにした白い頬を抓りながら、レティたちのログイン状況を見る。シュガーフィッシュの養殖に向けて、個体の生殖能力もかなり高めていた。管理下から逃れた場合、どうなるか想像するだけで恐ろしい。


「しかし、俺がやらかした時は問答無用で殴り込んでくるくせに……」

『うぅ。申し訳ないです……』

「まあなったものは仕方ない。カミル、農場ちょっと頼む!」


 珍しくしょんぼりとしているウェイドを連れて別荘を飛び出す。兎にも角にも現場を見なければ対応策も取れない。

 管理者専用機を使えば、〈ワダツミ〉から〈ナキサワメ〉までもすぐだ。中央制御塔の頂点に降り立つと、そこには涙目のナキサワメが待ち構えていた。


『レッジさぁあああんっ! まずいですよ、大変ですよ、終わりですよぉ!』

「落ち着けって。とりあえず指揮官連中はなんて言ってるんだ」


 シュガーフィッシュの脱走はフィールドにも多大な影響を与える。管理者で制御できる範疇を超えているということは、作戦の指揮は指揮官が執るべきだろう。そう考えての質問だったのだが、ナキサワメは顔を青くするだけ。

 嫌な予感がして、ウェイドの方を見る。


『あ、あの、ある程度成果が上がってからしっかり報告しようと』

「秘密裏にやってたのかよ! 本格的に俺のこと偉そうに言えないじゃないか!」

『ごめんなさい! ごめんなさい!』


 詰まるところ、俺はT-1たちに事件が露呈する前に解決しなければならないということか。まったく、この管理者……。一体誰に似たんだか。

 平謝りされても好転しない。とにかく動き出さなければ。


「ナキサワメ、シュガーフィッシュが脱出した経路は? 水深は分かるか?」

『あ、穴が空いていたのは水深4000m地点ですぅ』

「だいぶ浅いな……。それくらいだと生存は容易だろうし脱走は確実だろうな。とはいえ、適正水圧を考えるとかなり生きにくい環境ではあるはずだ」

『深海探索NPCを投入して周辺を捜索してます。ただ、数が数なので……』

「いったいどれだけ逃したんだよ」


 冷や汗が止まらない様子のナキサワメ。その表情から見るに、10体程度ではないはずだ。


『3,200……』

「は?」

『3,200体が流出していますぅ』


 ふらりと立ち眩みを覚える。

 いくらなんでも、増やしすぎだろ。


「ウェイド」

『はひ』

「とりあえず、終わったらいろいろ貸しにするからな」

『はひぃ』


 起きてしまったことは仕方ない。

 とにかく事態は一刻を争う。今にも各所で被害の報告が上がってもおかしくないのだ。

 グルグルと思考を巡らせる。シュガーフィッシュの成体は全長5メートルを超える巨体だ。相応に力も強く、凶暴で、3,000体を一網打尽にするのは難しい。しかし一体でも逃せば、そこから更に個体を増殖させる危険もある。


「クチナシは出港できるか? 十七番艦だ」

『せ、整備完了してます!』

「じゃあ彼女に連絡を入れておいてくれ。あとは……おっと」


 フレンドリストを見て、とある人物がちょうどログインして来たことを知る。


「ウェイド!」

『ひょぃっ!』

「ちょっと人を迎えに行ってくれ。いろいろ渋られるかも知れないが――」

『了解しました! ふん縛って引きずってでも連れてきます!』


 いや、もっと穏便に連れてきてくれたらいいんだけどな。

 とにかく張り切るウェイドに仕事を託し、俺はナキサワメと共に港湾区画へと急行した。


「ナキサワメ、事件の隠蔽はどれくらい持つ?」

『わ、分かりません。とりあえずインシデント記録は閲覧制限をかけて防御していますが……』

「とりあえず急げってことかぁ」


━━━━━

Tips

◇インシデント記録-W03-No.██

 当記録は管理者によって閲覧が制限されています。閲覧を希望する者は海洋資源採集拠点シード03-ワダツミ〈クサナギ〉に問い合わせてください。


[指揮官T-1によるアクセス申請]

[閲覧権限がありません]

“は?”――指揮官T-1


 代替資料としてシード03-ワダツミのおすすめ稲荷寿司マップを表示します。


“し、仕方ないのう……”――指揮官T-1


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