第1515話「砂糖を生む魚」
海洋資源採集拠点シード03-ワダツミ。〈ナキサワメ〉の名でも知られるこの水上都市には、水面下に広がる大規模な研究施設が存在した。
〈ナキサワメ水中水族館〉――そこには広大な海の原生生物が収容され、その生態の研究が熱心に行われている。
「きゅ、急に水族館だなんて。レッジさんもいよいよ大胆になっちゃいましたね。うえへへ……」
「おお、レティ。よく来てくれたな」
エレベーターの前で待っていると、珍しく私服姿のレティが現れる。いつもは街中でも戦闘装備を着たままの彼女だが、今日はラフで春らしいスカートとシャツという出で立ちだ。
何やらクネクネとした動きでこちらへやって来て、口元をにやつかせている。
「レティも暇な訳じゃないんですけど。はー、困っちゃいますねぇ」
「だったら来なくてもいいんだよ」
「げえっ!? ラクト!?」
俺の後ろに隠れていたラクトが顔を出すと、レティは仰天して飛び上がる。まるで想定外の闖入者でも現れたかのような驚きっぷりで、ラクトも呆れている。
「何を期待してるのか知らないけど、今日はわたしも一緒だから。まったく」
「ぐぬぬ……。レッジさんに期待するだけ無駄でしたか」
「そういうことだね」
「なんで俺の株が下がってるんだ?」
大事な話があるから来てくれと言っただけなのに。
レティはぷっくりと頬を膨らませ、「結局なにをするんですか?」と少し苛立ち混じりに聞いてくる。時計を見ると、約束の時間にはまだ少し早い。全員揃ってからの方がいいだろうということで、少し待ってもらう。
「レティ以外の人も誘ってるんですか!」
「ああ。ちょっとびっくりするようなものを見せてやるって言っただろ」
なぜかレティの機嫌が直下降で悪くなっていく。若い子のことがわからない……。
「レッジ、そんな事言ってレティを呼び出したの?」
「そうだが。なんでラクトまでそんな顔するんだよ」
「自分の胸に手を当てて聞くんだね」
ラクトまで「まじかコイツ」と言いたげな顔をして居心地が悪くなるなか、予定時刻が到来する。それときっかり同時に水中水族館のエレベーターが開き、中から銀髪の少女が現れた。
『なんですか、レッジ。重要な話とは。私も暇ではないんですが』
「おお、ウェイド。よく来てくれたな」
現れたのは我らが管理者ウェイドさん。いつも通りの不機嫌顔でこちらへ歩み寄ってくる。〈ナキサワメ〉での予期せぬ他都市の管理者出現に、周囲の調査開拓員たちがどよめいていた。
そういえば、この水族館は上層は普通に観光スポットとしても有名で、よくよく見てみれば男女の二人組も多い。
『な、なんですか突然周りを見渡して……。はっ!? そんな、ダメですよ。調査開拓員と管理者は――』
「おっとすまんすまん。ウェイドに見せたいものがあるんだ。ナキサワメには無理言って内緒にしててもらったからな。ちょっと来てくれ」
『はい?』
ラクトとレティ、そしてウェイドを引き連れて、水中水族館深層へと向かう。階層を下っていくにつれて、レティとウェイドの表情が怪訝なものへ変わっていくのが見てとれた。
「ここから先って立入禁止区域ですよね?」
『私は当然通れますけど……』
巨大で頑丈な装甲扉の前に立ち、ラクトにコンソールを操作してもらう。
「研究を進めたら侵入できるのさ。俺とラクトはここ一週間ほど篭ってたからなぁ」
「ちょっ、レッジ!」
長く苦しい研究生活を思い返して溢すと、ラクトが何やら焦った顔で振り向く。
「ふーん。へー。ほーぉ。そうですか、そうですか。レティがアンと一緒にフィールド回ってボスをシバいてる間に? ラクトは? レッジさんと水中深くで? 二人きり?」
「そんなんじゃないよ! ほんとに!」
「なんでラクトが怒ってるんだ?」
「胸に手を当てて聞けばいいじゃん!」
目から輝きをなくすレティ。ラクトが理不尽に俺を睨み上げてくる。
『とりあえず開いたみたいですから、先に進みませんか』
呆れ顔のウェイドに促され、俺たちは水族館の最奥へ。
そこに並んでいるのは頑丈な保管庫。内部にはまだ研究が完了していない危険な原生生物が多く収容されている。〈怪魚の海溝〉は広大なフィールドだけあって、出現条件が限られるレアエネミーも多い。ボスエネミーであるポリキュアよりもよほど強力なものも多く、〈捕獲〉スキルを習得したエネミーハンターが捕獲に精を入れている。
「結局、こんなところに連れてきて何するつもりなんですか?」
海棲原生生物を収容しているだけあって、深層は常に生臭い。タイプ-ライカンスロープの嗅覚には刺激が強すぎるのか、レティが鼻をつまみながら呼びつけた目的を尋ねてくる。
俺はそれに答える代わりに、目の前に立ちはだかった扉を開いた。
「ご覧あれ! ってな」
目の前に広がるのは巨大な水槽。透明だが厚さ70cmを越える巨大な装甲ガラス高耐久アクリル複層素材を用い、万が一にも内部のものが脱走しないようになっている。更に部屋そのものに死角なく監視装置が設置され、規定の手順を踏まないことには扉も解放されないという徹底ぶりだ。
そんな監獄のような水槽の中で待ち構えていたのは――。
『ゴプルゥゥゥアアアアアッ!』
「は、白神獣!?」
猛々しい咆哮をあげガラスに体当たりをかます巨大な原生生物。純白に光り輝く魚体をくねらせ、尾鰭を叩きつけてくる。長いヒゲを口元から生やし、老練な雰囲気さえ纏っている。
その姿を認めたレティとウェイドが目を剥く。彼女たちの驚きも理解できたが、実はそうではない。
「白神獣じゃないぞ。ほら」
彼がしたたかに水槽へ打ちつけた体を指で指し示す。目を凝らして見てみると、キラキラと白い欠片が体表から剥落しているのが見える。
『何か、結晶を纏っているんですか』
「そういうことだ。ほら、白鎧のユカユカっていただろ」
俺がその名前を出すと、ウェイドはすぐに察しがついたようだ。
『まさか、遺伝子を融合させたんですか』
「そういうことだ。ちょこっと加工もしてな」
そのために研究活動に没頭していたのだ。集めた研究ポイントを使って〈塩蜥蜴の干潟〉のボスエネミー“白鎧のユカユカ”の遺伝子を手に入れた。それを更に他の遺伝子と掛け合わせ、ちょこちょこと細かく弄って、アレを作り上げた。
「ついに植物以外の品種改良にまで手を出したんですか……」
「流石に植物ほど簡単ってわけにもいかなかったけどな。世代交代のサイクルも長いし」
「そういう問題ですか?」
レティが呆れたような顔をするなか、ウェイドは水槽に額を張り付けて、
『はわ、は、はわ……』
何やら慄いている。
『れ、レッジ! レッジ、これ、この白い粉って……』
「お、気付いたな。上質のブツだぞ。末端価格もかなりのものになるだろ」
『はぁーーっ! はぁーーっ! こ、これ……これください! もう、もう我慢できませんよ!』
第三者に聞かれていたら誤解されそうなコントだ。
いや、ウェイドの方は目が本気だが。
「レッジさん、これって……」
「ユカユカの、体表を純粋塩で覆う能力に着目してな。コイツは餌の中に含まれる糖分なんかの物質を濃縮して体表に纏うことができる。その名もシュガーフィッシュだ」
精製能力はサトウキビに劣るが、そこは体の大きさでカバーする。呑鯨竜の大喰らい遺伝子も掛け合わせ、無尽蔵に餌を食べ続ける。そこから取れる砂糖の結晶は、これまで以上の糖度を誇る。
俺は事前に用意していた、シュガーフィッシュから採れた角砂糖をウェイドに渡す。
『はわぁ……。こ、この糖度……素晴らしい!』
「お眼鏡にかなったようで良かったよ」
これ一粒で50mプール満杯の水が濃厚な砂糖液になるほどだ。そもそも、シュガーフィッシュが入っている水槽自体が飽和した砂糖溶液で、そのおかげで結晶も安定して取れるのだが。
「この魚、餌は何を食べてるんです?」
「こう見えて植物食生だからな。今はあのワカメを食べさせてるよ」
「さらっと原始原生生物食べさせてるじゃないですか!」
シュガーフィッシュの凄まじい食欲を満たすには、ワカメを食べさせる他なかったのだ。
「仮にこいつが海に解き放たれてみろ。その食欲で暴走して、あちこちの海藻を食い尽くすんだぞ」
「めちゃめちゃ危険生物じゃないですか……」
『レッジ! 今すぐこの魚を養殖しましょう。どんどん増やして、砂糖を量産するのです!』
「ウェイドさん!?」
レティは何やら危惧しているようだが、ネヴァと〈ダマスカス組合〉と〈プロメテウス工業〉と〈ビキニアーマー愛好会〉が総力を結して作り上げたこの収容室の安全性は実際完全に保証されている。管理者の承認もあったことだし、早速養殖を本格的に始動させるとしよう。
「ラクト、よろしく頼む」
「はいよー」
俺の合図で、ラクトが水槽側のコンソールに取り付く。元々養殖を想定して、水面下でいろいろと準備は進めていたのだ。水中水族館だけに。
「ちょっと考え直した方がいいんじゃないですか? これ絶対ダメなやつですって!」
『まずは十体、いや、百体を目標にしましょう。ナキサワメも協力させますので。さあ、砂糖を量産するのです!』
「ダメだ、ウェイドさんも砂糖に目が眩んでます!」
餌が次々投入され、シュガーフィッシュがガブガブと食べていく。景気のいい光景が続き、施設中にウェイドの高笑いが響いた。
━━━━━
Tips
◇シュガーフィッシュ
〈ナキサワメ水中水族館〉で人為的進化改良によって生み出された水棲原生生物。際限のない食欲で凄まじい量の餌を食べ、体表に高純度の砂糖結晶を精製する。
管理者ウェイドの承認を受け、大規模な養殖事業が始動している。
“おいなりさんを付ける魚は作れぬじゃろうか?”――指揮官T-1
“そんな魚がいるわけないじゃないですか。常識で考えてください。”――管理者ウェイド
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