第32章【シュガー&ラブ】
第1505話「主従の絆」
世界規模に版図を広げ、毎期のように成長する経済界の怪物。清麗院グループは数千を超える関連企業を抱え、まさにこの星を牛耳っていると言っても良いほどの存在感を放っていた。それはさながら夜空に輝く星のように。
グループを統括しているのは清麗院家の屋敷主、清麗院光その人だ。多忙を極める彼女は清麗院家の邸宅から全世界に向けて昼夜を問わず連絡を取り、経済界の怪物の手綱を御している。
そんな広大な敷地面積と豪華絢爛を極めた邸宅の一角。清麗院家の家族と一部の特に信頼を置かれた側仕えのみが滞在することのできる、風情豊かな和の色を彩る屋敷がった。応接も行うことがある本宅とは違い、こちらは完全なプライベートの空間である。
忙殺という言葉も生やさしいほどの超人的な業務に追われる清麗院光だが、彼女は公私を厳格に分けることでも知られていた。今日も彼女はいつもの休憩時間を過ごすため、金に輝く龍の姿が鮮やかに描かれた屏風が置かれた大広間でゆったりと寛いでいた。
「ふぅ。ここでゆっくりするのも久しぶりですね。FPOにログインしてもいいのですが、〈紅楓楼〉の皆さんも忙しいようですし」
ここ最近は休憩時間を使って自社製品でもあるFPOに一般プレイヤーとしてログインし、プレイを楽しむことも多くなった。とはいえ、所属するバンド〈紅楓楼〉のカエデとモミジは社会人、フゥも夕方や休日の昼間などは家業の手伝いがあるようで、さほどログイン頻度が高いわけではない。〈白鹿庵〉のように、どの時間にログインしても大体リーダーがいる、というわけではない。
光自身、天下の清麗院グループを御するため、基本的には忙しい身の上だ。そんなわけで今日は珍しく現実の私宅の方で優雅に庭園を眺めて目の保養と決め込んでいた。
その時だった。
「ちょっ、杏奈! ダメです! 待って――」
「いいえ。これは奥様にお話ししなければなりませんので!」
「いや――」
突如、襖が荒々しく開かれる。
清麗院家の人間が世間の喧騒を忘れるために作った私宅では、使用人たちも落ち着きを求められる。そのような突飛な闖入者は珍しい。あまりの行動に光の側近である侍女頭が眉間を寄せて身構える。
そこに現れたのは、涙目でメイドに抱きつく儚げな色白の少女、清麗院茜。仕えるべき主人に縋られながらも意に介さず強引に歩んできたメイドの杏奈。いつも行動を共にしている二人だった。
「杏奈! あなた、何を――」
娘でもあるメイドに対し、美園が悲鳴をあげる。顔も真っ青にして、今にも倒れそうだ。美園家は代々、清麗院家の側近として強く信頼を寄せられていた。杏奈の行動は主人に対する反抗。しかも光の余暇を害するという信じられない暴挙である。
「美園、抑えなさい」
「お、奥様……」
しかし。光は落ち着いた声で侍女頭を抑える。彼女も杏奈が日頃から茜に尽くしていることは知っている。だからこそ、この行動にも意味があるものだと理解していた。
「杏奈、いったい何があったの?」
「奥様!」
事情を尋ねる光に、杏奈は無礼を詫びながら語る。
普段は静かに仮想現実図書館で読書をしているはずの清麗院茜。次代の清麗院グループを背負っていくはずの彼女が行っていたことを。
「茜様は仮想現実世界で図書館には向かわず、あろうことかFrontierPlanetOnlineというゲームにうつつを抜かしていらっしゃったのです!」
「そう。なるほどね……」
杏奈の腰に抱きついた茜は、もはや抵抗も諦めていた。御令嬢にはあるまじき体勢で、ぐったりと項垂れている。そんな娘を見下ろして、光は微笑みを浮かべた。
「存じておりますよ」
「……えっ!?」
穏やかに、当たり前のように頷く光に虚をつかれたのは杏奈である。主人の堕落は自分の責任と痛感し、一族からの追放も覚悟の上で光へ報告しに来たのだ。しかし、光はすでに知っている。つまり、知った上で放置していた。
「当然です。FPOも私の屋敷の中ですの」
清麗院家の屋敷。その言葉は、現実におけるこの敷地だけに留まらない。巨大な企業複合体である清麗院グループの頂点に立つ女主人、清麗院光にとって屋敷の中とは、その傘下にある企業の全てが当てはまる。
FPOの開発運営もまた清麗院グループの関連会社が担っており、故に光にとっては屋敷の中の出来事なのである。
「は、え、え……?」
ぽかんと口を開いて間抜けを晒す杏奈。彼女の背後に立った茜は、だから言ったでしょうと唇を尖らせる。
「なんなら、私もやっていますの。FPOはなかなか楽しいですよ」
「へぁっ!?」
茜は少し前にゲーム内で光と出会っている。実の親が金髪幼女の姿で遊んでいる様子はなかなか直視し難いものがあったが、とにかく理解の下でプレイを許可されている。そもそもの話として、屋敷内の通信内容も光は当然の如く把握しているのだ。逃げられるはずもない。
予想と違ったのは杏奈である。主人の堕落を訴えたはずが、その上の奥様までもがFPOをプレイしているという。メイド一筋でそういった娯楽から縁遠い生活を送っていた杏奈は、むしろそう言ったものに苦手意識すら持っていた。それが一体、どういうことか。
「茜もずっと息の詰まる生活でしょう。たまには羽を伸ばすのもよいでしょう」
「たまには……。ここのところは毎日5時間以上お楽しみになられているようですが」
「学業に支障がないのであれば、問題ありませんの」
茜は花の女子大生である。日中は清麗院グループ関連の大学に通い、勉学に励んでいる。彼女が仮想現実にある電脳図書館に向かう――という名目でFPOに通っていたのは帰宅後のこと。そう考えれば、わざわざ目くじらを立てる必要もないように思えてくる。
だが、杏奈はまだ引き下がらない。彼女にはもう一つ、むしろこれこそ報告しなければならないと思うことがあるのだ。
「奥様、こちらを!」
彼女は手首の端末を操作し、Webサイトを表示させる。それはFPOの関連ニュースなどを扱うファンサイトだった。〈龍王の酔宴〉というイベントが終幕したことや、新型の飛行機がめでたく爆発したことなどがずらりと書かれている。
杏奈が示したのは〈龍王の酔宴〉というふざけたイベントの結末について書かれたレポート。その最後に一枚の写真が貼り付けられている。
「んふぁっ!? ちょっ、杏奈それ――」
「お嬢様がこ、こここ、このような不埒なことを! 破廉恥ではありませんか!」
顔を真っ赤にさせた茜が手を伸ばすが、杏奈はそれを遮る。
ホログラフィックで空中に投影されたのは、赤髪ウサミミでリアルよりも若干胸を盛った少女のアバターが、なんと公衆の面前で冴えない男の額にキスをしているという激写だった。
「このアバター、お嬢様なのですよ! えーっと、レッジ? とかいう何処の馬の骨とも分からない男と!」
「ええ。存じておりますの」
「へぇぁっ!?」
「ひょえっ!?」
一大スクープとばかりに掲げられた写真に対しても、全く動じない光。その泰然とした態度に杏奈のみならず茜も目を丸くする。
「お、お母様? その、この時はいらっしゃらなかったはずでは――」
「このようにニュースとなっているのに、知らないはずもないでしょう?」
「うぐぅ。そ、そうでした……」
平然と返す光に茜もがっくりと項垂れるほかない。FPOも、それどころかこのニュースサイトのサーバー管理会社も、清麗院グループである。
「あ、そ、そんな……。それでは、これは奥様公認? ど、どういう……」
決心の直談判が予想外の展開を見せ、狼狽する杏奈。見かねた光が、彼女の手を取り慰める。
「ごめんなさい。実は、先日の“交流会”もFPOのお友達との集まりだったのよ」
「は、はぁ……」
レッジたち〈白鹿庵〉メンバーが一堂に会したオフ会。また、アイと行ったオフ会。それらは茜の私的な友人との交流ということで、杏奈もそれ以上に詳しい話は聞いていなかった。何やら天眼流のご子息姉弟や謎の男、正体が全く分からないマンションに住む女性などが出てきたが、清麗院家の交流であればこの程度はあるだろうと、少し感覚が麻痺していたところもある。
先日の太刀川愛衣も、身辺調査をした限りではごく普通の一般家庭の少女のようだったが、側仕えが主人の友好関係に口を挟むわけにもいかない。
「そんな……。お嬢様、どうして言ってくださらなかったのですか……」
「ごめんなさい。その、あんまりイメージを崩したくなくて」
「私はお嬢様の側仕えですよ。この程度のことで失望するはずがないではないですか」
むしろ杏奈にとっては、今の今まで隠されていたことがショックだった。偶然、同僚が見ていたこのレティのキス激写報道が目に入って、少し見覚えがある横顔だったことに違和感を抱いて話したのが発端である。失望を恐れて隠すほど、信頼関係がないのかと悲しみさえ覚える。
「ふふっ。主従というのも、一朝一夕にはいきませんの。美園だって昔は――」
「奥様!」
何やら興味深げな話を始めようとする光を、耳を赤くした侍女頭が遮る。主人に対して物怖じしない性格は、美園の血ゆえというところもあるようだ。
「ともあれ、隠し事をしたままというのも今後に関わりますの。そうですわね……」
少し思案する光。
彼女は目を糸のように細めて、言い放った。
「杏奈もFPOを始めてみればいいですの」
「……へぁっ!?」
突拍子もない一言に、杏奈は今度こそ理解が追いつかず腰を抜かしかけた。
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